第10話 国境線の戦い
「最後に名前くらいは聞いておこうかのう?」
戦いの終わりに、老兵は鎧を除いてこう言った。
相手は空飛ぶ重戦車の突進を何度も受け、腹の深い傷を抑えながら、それでも声の調子は変わらない。
「竜殺し……ヴァーゼル」
「本当に礼儀を知らん男じゃのう。普通はフルネームで名乗るもんじゃ」
よろめきながらグレに歩みを寄せ、ヴァーゼルと名乗った男は口を開く。だが続きを躊躇して再び口を閉じてしまった。老人のソウルが散り、名乗る意味がなくなったからだ。
「礼儀……」
目を右往左往させて、ヴァーゼルはその続きを木漏れ日の射す先、老兵のソウルが散りゆく先に見出した。
「ヴァーゼル・ハンツァーだ……強き鎧の老人よ」
もう動かないグレの口元は少し笑って見える。
ヴァーゼルが全身全霊で放った最後の突きで巨木に打ち込まれ、死してしばらく倒れなかったその小さな巨体がついに崩れ落ちた。
「そっちも終わったみたいだね?」
森のどこからかそんな声がした。ヴァーゼルがゆっくりと振り返ると、女が木に逆さまにぶら下がっている。その背に生える翼を見ればコウモリの様であり、逆さまに垂れ下がるツインテールはクワガタの様にも見える。
「ああ……そっちは?」
「もちろん。ヘルムダードは全滅さ」
女はくるっと回り、そのブーツがふわりと地面に触れた。ヴァーゼルが正面に捉えたその顔は子供っぽく、あどけない。
「フィスカは……少し逃がした」
「仕方ないよ。そっちはほとんど翼人だったみたいだし」
女はヴァーゼルに歩み寄る。
「ヘルムダードが片付けば……問題は無いはず」
「ボクは早くシャワーを浴びておふとんで寝たいよ。血と汗でもうベットベト」
少女の歩みはヴァーゼルを横切り、奥の老兵の前で腰を落とした。
「しばらくは……森の生活だろう」
「このおじいちゃん? 君をそんなボロボロにしたのは」
話が若干噛み合っていないが、両者とも気にする様子はない。
「ああ……そうだ」
「どう? このおじいちゃんは君に恐怖をプレゼントしてくれた?」
男はまた目を左右に泳がせる。そしてやっと絞り出したように回答を提示する。
「その老人は暖かかった……『恐怖』からは程遠い存在……たぶん」
「ふーん」
ヴァーゼルの言葉は自分に問いかける調子だが、この女の声は誰に対する抑揚も持たない。無頓着な声で、無関心な顔のまま、少女はグレの亡骸を傷つけ、そのソウルでグレの心臓を引きずりだした。
「何してる……」
「ねえ、知ってる? 心臓って愛の象徴なんだよ。だからこれはきっと平和なフィスカの、あったかい愛のカタチなんだ」
まだ脈打つ暖かい心臓を胸に抱き、安らいだ表情で少女は目を閉じた。端から見れば猟奇的なこの行動にヴァーゼルが返したのは、ありがちな、しかしこの場には妙な一言だった。
「服……汚れるぞ」
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急遽開かれた会議の場で、リッパールはその体の随所に刻まれた傷とは無関係の涙を流した。
「申し開きの一言もございません。私がもっと早くに……」
「自責ならあとにして。早く報告を」
続きを遮断したルシアの声は、広い会議室の温度を下げるほど無慈悲に響く。
「はっ! グレ様の混成軍は全滅、我々もほぼ壊滅し、現在は平野まで戦線を下げて応急しております。独断でグレ本隊からの補給と人員補給を行いました」
「ヘルムダード側は」
「森林の中、混戦を極めただめ確認できておりません。ただガトレンド殿が矢に倒れる瞬間を目撃したものがおります」
とてつもない事が起きている。ここまでの報告だけで場に居合わせた全員がそれを認識した。せざるを得なかった。
両軍の将が倒れ、軍は壊滅……あの森には数え切れない怪物や悪魔が潜んでいる、そう説明した方が自然だったかもしれない。
「敵について詳しく」
「大変申し訳ないのですが……数や目的、所属などいっさいが不明です」
声を震わせるリッパールにダボネオールが尋ねる。それは問い詰めるのではなく、むしろ励ます朗らかな声だ。
「何にもわかんねぇって言うけどさ。目ぇ瞑ってた訳じゃあるまいし……なんかちょっとくらいあるだろ?」
「私が見た中に恐ろしく強かった者が二名。黒髪長身で鷹の様な目をした……異常に長い曲刀の男と、奇怪な弓矢を扱うツインテールの女がいました。おそらく前者がグレ様を……女がガトレンド殿を」
リッパールの声は後半になるにつれて震えが大きくなった。ダボネオールは質問をルシアに向ける。
「どうされるおつもりですか?」
「まずはヘルムダード側への対処だ、早急に使者を送って説明する」
『信じてもらえると良いですけどね』と、ダボネオールの小さな声がルシアには聞こえた。ルシアは終始声も態度も冷静だったので、その瞳の揺らぎを感じ取っていたのは親しい極少数だけだろう。
長い長い会議で日が落ち、ルシアは誰もいない休憩場所を求めて城壁を登った。あの小部屋は天空最高位にとっても憩いの箱になっていたのだ。シンカにとっては小さな寝台も、ルシアにとっては十分なソファーだった。
「グレさん……」
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ルシアの前の天空位がソレイルだが、その前の前の天空位が白い旗を掲げた時、すでに金十字の旗はその男のものだった。
天空最高位に最も近かった男、メディーナ=リール=グレ。天空位に推された事は何度もあったが、グレはその度に『自分の器では無い』と断り続けた。
「グレさんがやってくれるなら、わたしいつでも喜んで譲るんだけどな」
「そういってくれる人がいてくれるうちはな、わしゃここでいいと思ってるんじゃ」
「きっと最後のフィスカの人みんな、最後の一人までそう言いますよ」
「ならきっとこの国は滅びんよ。安泰じゃ」
そんな屁理屈を言う人だった。ルシアにとっては模範的な軍の鬼教官でもあり、良きおじいちゃんでもあった。厳しい教えと優しい笑顔、その両面を見続けてきた。
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弱いルシアが涙を流すのを、軍の天使たるルシアは静観する。この世界、人が死んだくらいでいちいち泣いていては精神に疾患がある人間だと思われてしまうのが普通だ。
『強いソウルは人を狂わす』などと言うが、ルシアはこれをソウルのせいとも、狂っているとも考えていなかった。強いルシアが遺憾なく活躍するために必要な部分なのだ。
「グレさんを倒す程の敵……数は? 目的は?」
思考を巡らせる矢先、警邏以外に人はなく、叩かれる事のほとんど無いドアをノックする音があった。
「やはりここにいましたか」
「メイロン、どうかしたの?」
入室したメイロンはまず書棚にあった兵法の一冊を手にとってパラパラめくり出した。
「いえ、この部屋にちょっと用事がありまして」
「なによ」
パタンと本を閉じて、事務官長はルシアに振り返った。
「おおかた『ソレイルさまぁ、助けてください!』って泣いてると思ってたんですがね」
「そりゃソレイル様がいれば、って思う事は今でもたまにあるけど。ってか、からかいに来たなら戻りなよ」
今のルシアはそんな事ないらしい。メイロンのちょっかいに対してだって、長い時間が耐性を作るのだ。
「それは冗談ですが、今回の件もしお悩みのようでしたらアドバイスを、と思いまして」
「わたしなりの考えは一応あるけど……とりあえずメイロンの意見も聞いておくよ」
「今回の事件、理由や目的がよくわかりません」
「理由と目的……それはわたしも考えてみたけど」
「あるとすれば我々とヘルムダードが仲を違えて得をする人物ですが、二国と戦うデメリットを抱えてそんな事をするバカはまずいません。そんなもの考えるだけ無駄です」
本を戻し、メイロンはお手上げのポーズをとる。
「じゃあどうすればいいのさ」
「惑わされない事です。そういう意味では平野に下がって戦力を維持したリッパールの指示は的確と言えるでしょう」
「わたしにピッタリの作戦かもね」
メイロンは少し笑ってから窓の方まで歩いた。
「ところでルシア様。妹から面白い話を聞いたんです」
「なに? 急に」
足を投げ出し、手を真下に落とした力みの無い姿勢の『ロボ』をメイロンは指差した。
「ルシア様、ちょっとこの人形の……この穴にレイピアを刺してみてください」
立ち位置を入れ替え、ルシアは少し嫌そうな顔で言われた通りにしてから、先のザクライと同じリアクションをとった。手放しに驚くルシアを見ながら、メイロンはなぜかソファーで得意気な顔をする。
「なんなのよコレいったい……」
「ルシア様、彼の言っていた『空飛ぶの舟』の話を覚えておいでですか?」
「覚えてるけど……それがどうしたの?」
「妹の話を聞いてから彼の話を思い出して、私はピンときました」
「さっきからその『自分だけ分かってます』みたいな顔、すっごい嫌な感じ。早く説明してよ」
「まあ焦らないでください。ソレ、きっと彼の世界と私達の世界の狭間で出来た物なんじゃないですかね」
メイロンが指差したソレを触りながら、ルシアは目をキョトンとさせる。
「つまり?」
「つまり彼の乗ってきた舟のように動くんですよ。ソウルを原動力にして」
ルシアはさらに目を皿にしてロボを見る。
「え、動いてないじゃん」
「おそらく量が足りないのです。さあルシア様、もっとソウルを注いでみてください」
メイロンの声は次第に大きくなり、本気の目になる。ルシアは対照的に冷めていた。
「え、やだよ。やるならメイロンやんなよ」
「……しかたありませんね」
また立ち位置交代。メイロンは袖をまくってロボの背中の穴に手をかざす。そこから放出されるソウルはみるみる黒い闇に吸い込まれてゆく。
軍で副隊長まで勤めたメイロンが汗だくで虚脱するまで頑張った末に、ロボはうんともすんとも言わなかった。
「動かないね」
「きっと……はぁ……相当なエネルギーを必要と……はっ……する人形のようですね」
メイロンがなぜそこまで全力なのかルシアには理解できないらしい。ロボと同じくらい脱力してソファーでだらけている。
「きっとルシア様がやれば……はぁはぁ……動きますよ」
「えーやだよ。破裂したり暴れ出したりしたらどうすんのさ」
「ご心配には及びません。妹がこの人形に流れるソウルはとても優しいと言っていましたから」
十分な説得力を持つ理由とは言えない。しかし血走るメイロンの目があまりにも真剣かつ怖いので、ルシアは黙って従う事にした。
また立ち位置交代、ルシアは右の人差し指からゆっくりとソウルを注ぐ。最初は怖さ半分興味半分に摩訶不思議な穴を覗き込んでいたルシアも、満ちる様子の全く無い底なし穴に躍起を見せはじめる。その目に灯る炎の変化をメイロンは見逃さなかった。
「ルシア様でもダメとなると、地上最強と呼ばれるゴアやリマシィ将軍、マトゥーヤのように巨大なソウルの持ち主でないと無理かもしれませんね」
リマシィの名を出せば本気になると踏んだのだが、それが当たってかルシアはついに両の掌をロボに向けた。
「見てなさいよ。爆発してもわたし責任とらないからね!」
白天使の莫大なソウルの濁流を受けて、ロボは縦に横にと小刻みに振動をする。それでも満ちない暗い穴にルシアは持ちうる全てのエネルギーを叩き込んだ。その末に、ついにロボは動かなかった。
「動かないじゃん!! 壊れてるのと違う!?」
「……私の勘違いだったかもしれません」
後ろに手に組んで、息を整えたメイロンは冷静にそう言い放った。
「それでは私はまだ仕事がありますので。これで」
唖然として口も利けなかったルシアは、メイロンがドアを閉めてしばらくしてから徒労に対する苛立ちを見せた。
「なによ、まるっきり骨折り損 じゃない! わたしのソウル返しなさいよ!」
穴の蓋を乱暴に閉じ、さらにロボの頭を小突いたその時、悠久の星霜に沈んでいたロボの目が光を帯びた。




