第9話 冥府の戦い
「おめぇら、どこのギルドのもんだ?」
一番権力のありそうな、小柄の男がドスの効いた声を張り上げる。右手を肩まで挙げ、武器を掲げているのだろう。見えないシンカにもそれくらいは分かった。
「ギルドとかいうのには入っていない」
「噓を付くんじゃねえ」
「本当だ。ルクシャから冥府には来たばかりなんだ」
「じゃあなぜこんなトコにいる?」
「ソレイルという男を探しに来たんだ」
その言葉を聞いた首領らしき男の顔色が明らかに変化を見せた。その男だけではない。他の者も明らかにそれぞれの反応を見せる……それは動揺というより用心を深くする、警戒の反応だった。
「おめぇ、ソレイルの知り合いか?」
「知り合いではないが用があるんだが……居場所を知っているのか?」
「質問は俺が一方的にする。ソレイルに何の用だ?」
こういった相手を脅す行為に手慣れ、且つ油断していない人間の言葉の運びだ。シンカはそれを加味して思案する。
(今この場でソレイルの居場所を問いつめるべきか……取りあえずは言う事を聞いてみるべきか……)
「どうした。早く答えねぇか!」
「至極個人的な用事だ……お前達に言っても伝わらない」
「そうかい……そりゃあ残念だ」
そう言いながら小男は目と顎で辺りに合図を送る。二人を囲む輪が小さくなると共に、『キャアー』というありがちな女の悲鳴が響いた。
「い、痛いです! 離してください!」
なんとも台本に書いてありそうな台詞だが、リマシィの言葉にはどこか迫真に迫るものがある。二人掛かりでリマシィを捕らえたうちの一人もその気になったのか、興奮していた。
「いい女じゃあねぇか……リーダー! 早くその男を殺して、この女を持って帰りましょうよ!」
「お願いです! 助けてください!」
この叫びをリマシィが誰に伝えたいのかは明白だ。シンカの瞳をただ一点に見つめながら、本物の涙を流している。シンカは溜め息をつかずにはいられなかった。
死なない程度に懲らしめておくか……その程度の心意気でシンカが構えたのを確認して、リーダーと呼ばれた男は嬉しそうに叫んだ。
「おう、やる気か!? いいねぇ! 今日は彼女の見ている前でお前をグチャグチャに切り刻みながら楽しんでやるとするか!」
「そんな事が楽しいのか」
「楽しいに決まってるじゃねぇか。最高の女の楽しみ方ってのを教えてやろうか?」
教えてくれ、なんて誰も言わなくてもリーダーは嬉しそうに続ける。
「そいつはな、女が『殺して』しか言わなくなるまで痛めつけた後に待ってるのさ! 絶望の中に快楽を見いだした女ってのはたまんねぇぜ!」
(明らかに違う。フィスカやクヮコームの人間とは……精神の構造が違う)
シンカが悠長な考え事をしている最中にも、男は下卑た笑いと共に眼前で『それしか考えられなくなった女ってのは滑稽で傑作なんだよぉ!』、と叫んでいる。手下らしき連中も四方からにじり寄って来た。
(気の毒……でもないか)
シンカが両足の指先に、拳に力を込め、前に出ようとしたその時、『ちょっと。変なトコ触らないでよ!』と、リマシィのこれまたありがちな叫び声がした。
その声のする方を見てシンカは愕然としてしまう……背後からリマシィを押さえつけていた二人が、言葉と同時に真っ二つになって、計四つの塊になってしまっていた。
統制を失ったチンピラの四肢が崩れ落ちる合間、実行犯はその黒く煌びやかな衣服が汚れぬ様、柔らかな絹のソウルを羽織る。
紅いヴェールの下から現れた女にはもう涙は無く、口にはいつしかシンカが恐れを抱いた微笑みを宿している。
紅の奥から現れたその白い無表情を、シンカは何故か美しいと感じてしまった。
「あらイヤだわ。ついやってしまいました」
「主力は女だ! 女を殺れ! 全員でだ!」
リーダーと呼ばれた男は合理的な命令を皮切りに標的に襲いかかる。紅一点、たった一羽の黒い天使は、シンカの側を横切ってから舞い上がり、すれ違いざまに余裕を見せる。
「見ていてくださいシンカ様! こんなゴミ、シンカ様が相手するまでもありませんわ」
ここに及んで、シンカはソウルによる本格的な戦闘を初めて目撃する……だがそれは戦闘と呼ぶにはあまりに一方的だった。リマシィの体が躍動する度に、男達の体が数人ずつまとめて千切れ、地面に転がっていく。
「あなた方の命乞いも『殺して』なんてダミ声も私聞きたくもありませんから。黙って死んで頂ける?」
鳥が芋虫を啄むように、包丁で青菜を刻むように一方的で、桜の花が春には散るのと同じくらい当たり前の結果だったのだろう。
「もういい! 十分だ!」
シンカが叫んだ時、すでに相手の三分の一は動かないモノになり、動ける者は攻撃が止んだ隙に散り散りに敗走を始めていた。シンカから見るリマシィは空から数回、何かを振り回す様な動きをしただけだ。さらなる戦果を求めてリマシィは鎖を振り回す。
「ですが……全員殺らないと仲間がいずれ報復にやってきますわ!」
「いい。その時は俺がなんとかする」
「まあ……そういう事でしたら!」
あっけなく空から戻り、リマシィがシンカに見せた柔らかい微笑みは、不自然なまでに自然で、屈託のない無垢のものだった。
「だからあまり無闇に……人を殺さないでくれ」
「でも……やらなければ私が殺されていたのですよ?」
あたりを見渡せば、一瞬にして将来を閉ざされた十人以上の亡骸が転がっている。彼らは確実に二人を殺そうとしていた……それ以上の事をしようとしていた。だから殺されるのは当然という理屈だ。
シンカもあの連中に同情する程の余地はないと思ったが、それでもただ何となく殺す事には抵抗があった。
「そうかもしれない……だから次からは俺がやる」
「今度こそ私を守ってくださいね……こういう世界なのです」
シンカは頷いた。この女を守る事はその相手を守る事と同義らしい。
「それで、これからどうされるのですか?」
「やる事は変わらない。中央部に向かいソレイルを探す」
「でしたらなおさら、さっきの奴らを追った方がよいのでは?」
「奴らはたぶんソレイルについて詳しい事は知らない。なんとなくそんな気がした。それにここは中央からはまだ遠いんだろう」
「まあ確かに、あんな雑魚どもが中央の事を知っているとは思えませんわ」
二人はまた荒野を進み出した……シンカは常に走り、リマシィは専ら飛行した。冥府は豊潤な土地ではないらしく、緑豊かとは世辞にも言えない景色が広がっていた。
「地獄と呼ばれる土地にも、木々や花々は根付くんだな」
しばらくすると、シンカはふいにそんな事を言った。痩せた大地にも芽吹く命が確かにある。ただ地面を見て率直にそう思ったのだ。
「人の捻れた心が冥府を形作るのです。他の大陸に渡ってから私も初めて気がついたのですが……この土地はやはり異常です」
「さっきみたいなのがゴロゴロいるのか」
「あんなのはどこにでもいる劣等下等のチンピラですわ。もっと危ういのは内地で求め続け、足掻き続け、荒らし続け、彷徨い続けているのです」
さっき殺めた男達の事など、リマシィにはどうでもいいらしかった。
「求め続けている」
「そうです。ヤバい奴らほど自分達に足りないモノ……この大陸に無いモノに気がついてしまうんでしょう」
「なんだ……足りないものとは」
「それは人それぞれですわ。支配して、蹂躙しながら心のどこかでは足りない何かに飢えているんです……もっとも、待てど探せどそれに巡り会えない憂慮を暴力で埋め合わせしているだけかもしれませんが」
シンカは走る足を止めて少し黙って考えた……リマシィの言葉が抽象的で飲み込めていなかった。
脳裏から世界へと意識を戻せば遠くには低く青白い山脈が、近くには木々がまばらに見える。さらに足下の枯れた大地を割って、また一輪の花が芽生えていた。
「リマシィも何かを探すためにクヮコームへ?」
「当時はなんとなく……いろいろと面倒になってしまったんです。私は飽きっぽいので」
それはシンカも知っていた。なにせ軍の最高権力をその場で放り出してしまう女だ。リマシィは少し飛んでシンカの目の前に来た。
「でも私、ちゃんと見つけましたわ。私に足りなかったもの」
「そうか……それはよかったな」
「それが何か教えて差し上げましょうか!?」
顔を近づけたリマシィは、シンカの瞳に写るリマシィ自身を見ているようだ。
「いや……いい。聞かない」
「あっ! 分かっててそんな事言うんですから、シンカ様はいつも意地悪ですわ」
リマシィは不満げに言いながらシンカに腕を絡めた。
「見つかる者が幸運なだけなのかもしれない。俺もきっと冥府の連中と同じだ。探し求めて足掻いて……飢えている」
「それを探しに冥府へ来るなんて……そんなの皮肉にもなっていません」
少し寂しそうにそう言ってから、リマシィは急にシンカの腕を離れてその場に立ち尽くした。立ち止まって振り返るシンカにリマシィはこう告げる。
「ねえ……シンカ様? シンカ様はこの世界に来る時に事故に遭われたと言っていましたよね?」
「ああ。乗っていた空を飛ぶ船が墜落したんだ。それがどうかしたのか?」
告死天使が不安そうな表情をするので、シンカもつい気になってしまう。帰ってきたのは不思議な一言だった。
「ひょっとして……シンカ様ってもう死んでたりして」
シンカはすぐに言葉を返せなかった。絶望したとか馬鹿馬鹿しいからでは無い。理屈と根拠に乏しくあまりに空想的だったので、何も判断できなかったのだ。
「何を……じゃあここは死後の世界か」
「そうじゃなくて、きっと何かの手違いでこの世界に来てしまったんですよ」
「面白い考え方だな」
シンカはそういってまた乾きひび割れた地面を踏みしめて進み出した。リマシィは歩数を増やしてそれに追いつく。
「ただの憶測ですわ! 気になさらないでください」
「別に気にしてない」
実のところシンカはリマシィの空想に少しだけ恐怖を抱いていた。男の心はその程度の憶測に怯える程度には大衆的で、人間的に出来ていた。そしてそんな凡庸な精神をリマシィに見抜かれる事にさえ怯えていた……弱い人間だと思われる事が少しだけ怖かった。
※ 今更ですが、リマシィの一人称は『わたくし』。




