第6話 狂い始める世界
帝国ヘルムダード、そこはフィスカの北に位置する大陸で最も勢力の強い大国だ。そのさらに北にあるツァーレとフィスカの牽制によってその力を留めてはいるが、どの時勢に爆発してもおかしくないだけの力と強欲を持て余している。
『ヘルムダード兵』『キヴ族』『冥府の輩』、この三つには喧嘩を売るな、と言うことわざがある。どこが発祥かは分からないが様々な国の言葉で同じ様に言い伝えられている。
……言ってしまえば厄介な連中なのだ。
その厄介者達を代表して来訪した大使は、やる気のなさそうな、よく腹の出た男だった。行き過ぎた軍国主義の末路みたいな国の大使とは思えないほど力の抜けた肥満体型の男は、名乗る声からも覇気の類いが漂っていなかった。後ろに立つ付き添いの視察官二人と比べると、それが余計に際だつ。
「えーわたくし『ヴェクストレフ』と申します。長いのでヴェクスとでもお呼びください。みなさんそう呼びます」
「これはご丁寧にありがとうございます。私はラヴィー=リー=メイロン、事務管長を務めさせて頂いております」
お互い頭を下げてから手を取り合う。お互い腹の底が見えないやりとりはメイロンの不得手ではない。メイロンが嫌うのは二人が今日出会ったこの派手な応接間だ。
「本日はわざわざ遠路を経てのご足労、痛み入ります」
「いえいえ、遠くなんてとんでもございません。国境を超えてからというもの、フィスカの馬車に送って頂き……ああ、途中では観光案内までして頂いて。お礼を言うのはこちらのほうです」
ヴェクストレフと名乗る男はその脂肪のせいか目が小さく、しかし態度は畏まっている。よく頭を下げ、茶を持って来た下女にまで「これはこれはご丁寧に」と会釈を繰り返していた。
「不躾ながら単刀直入にお伺いしたいのですがヴェクストレフ殿、本日はどのような御用で?」
「ヴェクスで構いませんよ」
「ではヴェクス殿」
メイロンは派手なこの部屋の次くらいに、形式ばった無駄なやり取りが嫌いだ。基本的に無駄な事は嫌いなのだ。
「本日はですね。実はたくさんの『奇妙な噂』に関して窺いたく参ったのです」
「奇妙な噂?」
メイロンはその内容がなんとなく分かって、白を切る覚悟を決めた。
「ええ、クヮコーム攻略のご功績はその輝くばかりの……」
そこまで言って、ヴェクストレフは応接間に飾られた彫像に見入ってしまう。
「その像がどうかされました?」
「いえ、素晴らしい彫像だと関心してしまいまして」
その言に噓は無いらしく、男は席を立ち女神の像を四方から舐めるように眺める。
「我が国ではそれほどのものは作れません。古の都、エテア=ルミラスにある彫像を模して、ルクシャの職人に作らせたものです。『愛の種を大地に撒く女神シェレールの像』。よかったら手に取って見てください」
「いえいえとんでもない。こうして見ているだけで……今にも動き出しそうです」
メイロンはこの無駄なやりとりに関しては全く腹を立てなかった。妹が名をあやかった女神の像だ。太った大使はメイロンに背を向けたまま突飛な質問を投げかけた。
「失礼ながら、メイロン殿は神というものを信じておいでですか?」
「神? また急ですな。どうしてその様なものを?」
ヘルムダードの大使は振り返ってメイロンに笑顔で返答する。笑うとその小さな瞳が隠れてしまう。
「なに……興味本意というやつです。フィスカは仮にも『天使』が守護する翼人の大国。神を見たり信仰する者がいたって、なんら可笑しくは無いと思いませんか?」
「当たり前の事ですが……誰も見た事が無いものを信じる人間などいないでしょう。天使や神といった存在はいわば『偶像』です。もっとも、遠い過去にはそのようなものがあったのは確かでしょう。エテア=ルミラスのその像がいい証拠です」
「この世界にも信仰が無いのですね……」
最後の呟きは独り言らしく聞き取れなかったので、メイロンは話を本筋に戻した。
「して、妙な噂とは?」
「ああ、すみません。そうですね。あまりにも不思議な噂なのでお話差し上げるのもなんとも恐縮なのですが……」
「構いません」
よくある事ではあったが、メイロンは上流階級にとかくありがちな、遠回しな物言いも好みではない。
「どこから話していいのやら、時系列を追ってみますと……まず『ディルミーの影』をご存知ですか」
「ええ、存じております。クヮコームの」
さらに話の核心を掴みはじめ、相手に与える情報を必要最低限に抑える事務管長。
「その方が……あ、わたくしは男性なのか女性なのかも存じ上げないのですが、その方がですね。クヮコーム陥落直前に突如雲隠れしてしまったのです」
「はあ」
はあ、と気の抜けた返事をわざとして、メイロンは相手の言葉を待つ。
「それだけならいいのですが、話はこれで終わりません。その後将軍リマシィまでもが失踪した事も、もちろんご存知ですよね?」
「ええ、存じております」
話しながら調度品を見て回っていたヴェクストレフはようやく席に戻り、事務管長に対面した。
「まずこの二点に関して、フィスカ側で何かご存知の情報はございませんかね?」
そのあまりに唐突な請求にメイロンは驚いた。下手に出ていた相手方からの一方的な要求だった。
「その事に関して、我々は明瞭な情報を持ち合わせてはおりませんし、失礼ながら仮に持っていたとしても友好国でもないヘルムダードの貴方にその様な情報をお伝えするいわれは無いかと思うのですが」
「ああ、これはこれは失礼致しました。いえ、そういった……なんと言いますか、高圧的な受け取られ方をされてしまうのも致し方ないのですが……」
よく分からん男だな……メイロンはそう思いながら返答もせずに相手の出方を窺う。
「我々としては情報を提供致したく参った次第でして」
「情報? それはどのような?」
「いえその情報自体も曖昧にして不可解なものでして」
「構いません」
この不必要にだらだらとした喋り方はこの男の策略かもしれない。メイロンはそう思い、自分のペースを崩さないよう努める。
「噂というものは往々にして紆余曲折を経るものでして、万里を走り、走った後にはもう原形を留めていない、などと言う事も珍しくありません。ですが、その与太話を信じるならばこんなおとぎ話になります」
それでも『さっさと話せよ』とついつい心の奥で苛立ってしまう。
「ディルミーの影は死神に殺された。告死天使リマシィは竜巻の化物に連れ去られた」
「面白いおとぎ話が出来そうですね」
笑うメイロンを見るヴェクストレフの小さな目の奥が、嫌な光を讃えている。
「この話、どう思われますか?」
「どうもこうもヴェクス殿の仰られた通り、原形を留めなかった噂話の成れの果てではございませんか? 神も信じていないのに、死神や竜巻の化物を信じろというのは無理があります。もちろん真相を究明するようこちらも尽力させて頂きますが」
「それは助かります。こちらもこちらで調べてはみますが……噂にせよ何にせよ、実力派の英雄二人が忽然と消えたと言うのは、恐ろしいながらも事実ですから」
結局、肝心要の部分では何を視察しに来たのか分からない大使は、そのあと事務的な話題をいくつか上げてから『それではこれで』と、感謝の辞と手を差し出して応接間を後にした……後にしたかと思いきやドアをまた開き、見送ったはずのメイロンにこんな事を言う。
「そうそう、言い忘れていましたが『ソウルを持たない人間』についてご存知ありませんか?」
不意を突かれたメイロンは一瞬固まってしまった。
「……ソウルを持たない人間? どういう意味でしょうか?」
「いえ、先ほどの与太話の節々にそんな話が聞かれるのです。『ディルミーはソウルを持たない悪魔に殺された』とか『リマシィはそいつに連れて行かれて失脚した』とか。まあ私は信じていないんですがね」
(リマシィは勝手に付いて行っただけだろうが……)
「なんだか不思議な話ばかりですね」
「いや本当に……それではこれで」
今度こそ大使が帰った事を確認してから、メイロンは業腹に全身が煮える心持ちだった。
(あの男はほとんど調べがついた上であんな長い無駄話をしていたんだ。俺の反応を窺うためだけに……だがそれは何のためだ? 知っていてなぜ聞きにきた……)
息の荒い伝令と共に戦火の煙がもたらされたのは、それから数日後の事だった。
「北の国境線にてヘルムダードと思われる部隊の攻撃を受けております。数は不明、それに経緯もよく分かっておりません」
聞いていたルシアはまだ休日の感覚が抜けきらずポケーっとしていた。寝間着のまま、ボサボサの髪を気にかけるほどの血も頭に巡っていない。
「もっと詳しい様子は分からないの?」
「ラーネイザ隊が応戦していますが英雄クラスをかなり動員していると思われ、攻撃が苛烈を極めているとの事であります」
自宅の扉のすぐ目の前でその報告を受けながら、ルシアはなんとか頭を働かせ始めていた。そしてようやく気づく。
(それけっこうヤバい状態じゃない……?)
ラーネイザ隊は現在隊長不在で、リッパールという名の副隊長が代理を努めている状態だ。戦力として手薄になったタイミングを狙われている。対応が急がれているのは明白だった。
フィスカ本国には基本的に六隊中三隊が待機している。残る三隊でそれぞれ北方、西方、海洋警備の任に就く。現在王都にいる三隊長は緊急に会議を開く事となった。
「現在ヘルムダード側の猛攻を受けている最中ですが、敵も決定打に欠ける様でして、前線を下げれば数日は戦えるだろうとのリッパール様の判断です」と兵士が告げる。
「まあ増援は必須だろうね」
ゆっくりとした口調でこう切り出したのはフィスカ最年長の英雄、金十字隊長のグレだった。
シンカは彼に面会した際、この隊長を『ヨーダみたいだ』と表現した。『ヨーダ』というのがどんな人物なのか誰も知らなかったが、彼曰くそれは褒め言葉らしい。
「しかし相手の出方、妙ではありませんか?」とメイロンが訊く。
「わしもそう思う。だから確かめる意味でもわしが行こうかと思うのだが」
「と、言いますと?」と口を挟んだのは黒獅子のダボネオール。この男とグレとルシアが現在王都が抱える英雄クラスの勢力といえる。
「変だと思わんかね? 話を聞く限り敵はかなりの兵力を割いている。攻め落とせないのは何故かのう?」
「リッパールが善戦してる……と考えるのは短絡的ですかね?」と黒獅子隊長。
「短絡的とは言わんがの。戦局というのは常に最悪を考えなきゃいかん。この場合における最悪とは何かの?」
口を噤むダボネオールに代わり、メイロンが口を開く。
「我々が釣り出されるのを相手方が待っている状態です。一網打尽にされる、あるいは手薄になった本国を急襲される事でしょう」
「……なればこそ、わしを含めた混成少数の部隊が得策じゃないかね?」
グレは自身が最も英雄としての戦力に欠け、戦況分析ぐらいになら使えるだろうと言うのだ。そんな事は無いと多くの者がグレを讃えたが、結局は年長者の合理的な判断という形でまとまった。
話し合いの後、グレはメイロンを呼び止める。
「あの大使との話し合いは今回の件とは関係ないのかのう?」
「関係性は分かりませんが……」メイロンは一部始終を説明した。
グレはその小さな体に、どうやって詰めたのか分からない程の威風をみなぎらせている。そして多くの困難と経験を経て、それを成長の糧としてきた男達だけが持つ、特有の目の輝きを放っていた。
「と、すると……やはりおかしいのう」
「相手の意図が、という事でしょうか?」
「メイロンもそう思うかね」
「ええ。ラーネイザ隊の報告を聞く限り、やっている事がただの野盗のようです。軍国とは言え、仮にもヘルムダードは歴史と秩序を持つ国」
「大義名分もなく襲いかかる野犬では無かったはずだ、と」
二人は赤い絨毯の廊下に並んで歩きながら、話を続ける。
「大使の一件を聞いて、わしはてっきりヘルムダードは例の彼……アスミ君を狙っているものだとばかり思っていたがね」
「違うのでしょうか? 私は今でもそう考えていますが」
その言葉に事務管長の目つきがほんの少しだけ鋭くなった。
「何か、大使との話し合いから気付く事はなかったかの?」
「これと言って特には……あるとすれば『あの男がきっと嫌な奴』という事くらいでしょうか」
グレは口をモゴモゴさせて笑った。
「相手もきっと同じ事を思ったろうよ」
「それはよかった」
二人はそんな話をしながらも中庭へと歩みを進め、日の光を浴びる。
「現にアスミ君は今この国にいない。それなのに何故攻めてきたのか?」
「憶測の話ばかりになってしまいますが……いないからこそ今のうちに、と考えたのではないでしょうか?」
「それが出来るならとうの昔にやっとるじゃろ……おぬしも気付いてるはずじゃ」
そう言う通り、メイロンは会議の途中でグレと同じ結論をすでに導き出していた。そしてその先をずっと考えていた。
「全く別の理由がある……」
グレは空を仰いでその白髪と白髭をさらに明るくした。
「そう。わしはなんだか嫌な予感がするんじゃ……全く別の……アスミ君よりもっと危険な何かの匂い……香りがするんじゃ」
「彼より危険な何かですか……それは世界の危機ですね」
グレに習って空を見上げたメイロンは、その眩しさに思わず目を細めた。




