第3話 シンカの軌跡
男の子は有り体に言えば手のかからない方だった。よく泣き、よく暴れたが、よく食べて、よく学んだ。
拾った日から数えて八歳になった頃、学者は我が子が我が子では無い事を教えた。
「お父さんはお父さんだよ」
泣きそうな顔で、意固地なまでに少年は叫んだ。そんな息子に『お前は人間ですらない』なんて追い打ちをかけられる学者では無かった。
さらに数年後、言えなかったその言葉はついに少年の口から放たれる。
「父さん、俺はやっぱり人間じゃないのかな?」
物理生物学者はシンカに、息子に協調性をさんざん説いてきた。それで他の皆と同じ様に暮らせる様ずっと努めていたが、それでも隠しきれない事が多々あった。
「シンカは人間だよ、君がそう願い、想う限り、ずっと人間だ」
さらに高等な教育を受けるようになった頃、シンカはそんな事はもう気にしなくなり、執拗なまでの情熱をある事に傾けはじめた。
「博士、俺はどうしても強い敵と戦いたいんだ」
「いったい、どうしてそこまで……」
「分からない。分からないが本能みたいなものだろう」
この頃はまだ、馬鹿力という言葉で苦し紛れながら説明できるレベルの力だった。
道場やジムを訪ねては頭を下げ、礼儀正しい道場破りとして多種多様の格闘技を、古今東西の武道を吸収して回った。
それも段々と常識の枠組みでは満足できなくなる……自分の可能性に気付きはじめてからというもの、それに歯止めが効かなくなり始めた。
十七歳のある日。シンカはその可能性を証明する。
「本当にやるのかい?」
父は息子を前に珍しくたじろいでいた。その左手には大口径の銃が握られている。
「博士だって興味あるだろ。ちゃんとしたデータを取ってみたいと言ってたし」
「だからって……こんな大口径じゃなくても」
「俺だって痛いのは嫌いだ。だから一回で済ませたい」
「次は大砲とか言い出しそうで嫌だなぁ」
学者は射撃場で数回撃った事があるだけのその腕に力を込め、シンカの大腿部に照準を合わせた。
「やってくれ」
「まあシンカなら死なないとは思うけど……いくよ」
学者は少し間を置いてから引き金を引いた。爆音と共にシンカの左足が後方に飛び、その勢いでうつ伏せに倒れ込んだ。小さな呻き声と大量の血が流れる。激しい痛みに伴って、シンカの目からは彼の意思とは関係なく涙が流れていた。
自分で撃ったにも関わらず、学者は震えた手から銃を取り落とし、涙を流して介抱した。
一ヶ月もすると、彼の持つ可能性は凄まじい成果を示した。『弾丸を通さない』とはいかないまでも、より強靭な肉体に変化し、回復力も人間のそれとは比べ物にならないレベルになった。
「凄まじいとしか言えないね……一個体で進化を遂げる事が立証された初めての生命体かもしれないよ」
まだ包帯のとれないシンカはそれを聞き、誇らしげな顔をした。そして男はさらに実践を……実戦を求め続けた。
「あまり目立つ事は許されないよ。君の力が軍にでも転用されてみろ。ジョークじゃなく世界が終わってしまうかもしれないんだ」
そう父親に釘を打たれ、シンカはなるべく秘密裏に戦いを続けた。時にスパーリングパートナーと称して、時には道場破りとして。
そしてついに男は『時の最強』、総合格闘技の世界王者、無敗のまま王座に君臨し続ける男に魔の手を伸ばす……言ってしまえば方法は『闇討ち』だった。
伝説的チャンピオンは闇討ちによるストリートファイトを、あまりにもすんなりと歓迎して笑った。
「僕は君みたいな相手を求めて世界中を日夜かけずり回っているのさ。君のような人達は皆、僕の師匠でありパートナーなんだ」
その時はよく聞きとれなかったが、シンカは帰ってから辞書をひいて王者の言葉をノートに書き記した。
「では遠慮なく」
「遠慮なんかするつもりだったのかい?」
戦いの行方は、シンカにとって『無上の喜び』と呼べるものには成り得なかった。還って初めて『現実的な絶望』を覚える日になったと言える。
「悔しいよ……こんなに悔しい事は僕の人生で初めてだ。でも……どうやっても僕は君には勝てなそうだね、完敗だよ」
その言う黒い肌の王者は、所々腫れ上がった顔で勝者を見上げ手を伸ばした。シンカはその手をしっかと取り、立ち上げた。
「だって君は僕を壊さない様に手を抜いていたんだから」
その時の誇らしそうなチャンピオンの顔が、アスミ=シンカはこの上なく羨ましかった……『悔しいのは俺の方だ』と泣きつきたかった。
「またいつか相手をして欲しいな」
その要望通り、その後二回手合わせをした……どこまでも挑戦的で謙虚な王者はそれを糧にさらなる連勝を積み上げ、インタビューにも『僕より強い人間は確かにいる……僕は彼の悲しい顔を笑顔に変えるために、もっと強くならなくちゃいけないんだ』とまで言ってのけた。
男の次の標的は自然とより強い生物、野生の動物になる……熊、虎、ライオン……
「キリンは意外に強かった」
「まさか殺して無いだろうね!?」
「逃げられた」
それで我慢できたのも二年程度。男はまた次の獲物を求める。
「博士、強い生き物やロボットみたいなの作れないのか?」
「また無茶な……もう戦車や戦闘機しか思い当たらないよ」
「それは止めろと、博士が言ったんじゃないか」
段々と狂気じみて来たシンカの欲望はどことなく暴力的で野生的で粗暴だった。
そんな熱情も褪せ、希望をのエネルギーを絶望の静寂へ沈めながら、男はついに父親と同じ道を辿ろうとする。
「博士、山に行ってくる」
「山? 旅行かい?」
「修行だ」
修行をする気力なんて、シンカにはもう残っていなかった。それ以上強くなる意味が見いだせなくなっていた。山で死ぬつもりだった。その山で師匠に出会わなければ、おそらく薬を飲んでそのまま死んでいただろう。
男はついに出会ったのだ。彼の求めて止まなかった超越的な存在に。革命的な思想に……そして敗北に。
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「ロマンチックなお話ですね。私そういった退廃的なおはなし大好きですわ」
リマシィはそう言うが、シンカは別にロマンチックでも退廃的でも無いと思う。
「俺が人間じゃない事は分かっただろう。もう諦めたらどうだ」
「それこそファンタジックで素敵じゃありませんか。恋に落ちた相手が人間じゃなかったなんて」
「…………」
シンカにはやはり、ファンタジックも素敵も理解できない。
「きっと続きはこうですわ。シンカ様はそのお師匠様に出会われて、さらなる強さを手に入れ、お師匠さまを超え、世界を席巻したんです」
「そんな大それた続きも無い。話はこれで終わりだ」
それだけ言ってシンカは自分の分のケーキ代をテーブルに置く。
「ちょっと、まだ肝心なところを聞いていませんわ!」
リマシィは勘定を終えてから、先に出て行った男を急いで追いかけた。
「それでその山で何があったんですか?」
「面白い話じゃない。師匠に出会い、叩きのめされ、もっと強くなろうと思った。そこまでだ」
(そうだ……俺はまだあの人に、ただの一度も勝っていない……)
「その人のお名前は?」
「訊いても教えてくれなかった……最後に会った時、『次に会う機会があれば教えてやる』と言ったきりだ……」
王都フィスカを出て以降、リマシィはシンカが迷惑がられる行動を極力取らなかった。今もシンカが話したく無さそうなので、話を転換する。
「ねぇ、今夜はどちらに泊まるおつもりですか?」
「どこかその辺の宿に」
その辺の宿、といっても港町には宿が三軒しかなかった。二人は民家の一室をそのまま貸し出しているような、小さな宿に泊まる事にした。
次の日も、リマシィはシンカの世界の話をたくさん聞きたがった。興味はシンカの世界一般の話に及んでいた。
「なんと言うか……要は雷だ。雷の力がソウルの替わりになっていた」
「あんなものをどうやって……信じられませんわ」
シンカはいつぞやシェラールに同じ様な事を言われてがっかりした事を思い出す。
「それと同じくらい、俺はソウルというモノが信じられない」
「でも、シンカ様はどうしてそんな信じられない世界から……この世界に来てしまったんでしょうか?」
その答えを探すべく、今旅をしているのだ。ここでシンカはその目的をリマシィに言っていなかった事にようやく気付く。
「それを探すのもこの旅の目的なんだ」
「まあ! そうでしたか。でしたらルクシャはうってつけですわね! あそこには全てがありますから」
「……ルクシャは帰りに見るつもりだ」
全てが揃う国『ルクシャ=スタヤット』。
そこは東西に細長い小さな島国でありながら、多くの国の交易を支える要所として発展した。様々な国の文化が流入し、織物、香辛料、宝石、野菜から絵画までありとあらゆる物が手に入るとされている。
二人は船に乗り、そのルクシャを急いで南下し、さらに南の地獄と呼ばれる地に向かう。




