第36話 女難の休日
「ここか……」
シンカは町外れにあるその豪邸を見上げた。この国では珍しい淡い朱色のレンガが美しい。威風に満ちた重厚なドアをノックしようと手を出したところで、知らない女がドアから顔を出す。
「お、来たな。君がアスミ君だね!」
「そうです」
なぜか敬語になってしまう、そんな女性だった。上背も高くルシアよりよっぽど隊長らしい風格がある。
「入って。ルシアもう来てるよ」
「お邪魔します」
邸内もまた広く、かといって鼻持ちならない雰囲気を全く臭わせない。頑丈で剛健、そんな雰囲気だった。まるでこの家主である隊長の性格を反映しているようだ。
「さ、適当に座って。ルシア! アスミ君来たよ」
そう呼ばれた少女は、小さなベッドに横たわる、これまた小さな生き物を覗き込んでいた。ラーネイザが茶を淹れようとするのを見て、ルシアは『わたしがやるよ』と言って立ち上がる。
結局、シンカは二人がお茶を淹れ、ついでに料理まで作ってくれるまでの間、隣の部屋のテーブルで待つ事にした。
実のところ、事の経緯をシンカはほとんど知らないが、とにかくルシアに、
「隊長には一通り顔合わせしておいて欲しいから」
と言われて、なぜかお茶会にお呼ばれしたのだ。
ただ座って待つ間、シンカは三つの事が気になった。一つは目の端に映る赤ん坊。もう一つは『自分はただ座っているだけでいいのだろうか?』という疑問。そして最後の一つは聞こえてくる会話だ。
「なかないい男じゃないか。ルシアどうよ?」
「なに急に? そんなの考えた事もないよ」
「アタシには分かるね。あれはデキる男の顔してるよ。凛々しくて素敵じゃないか」
「彼、頭もいいんだよ。メイロンと楽しそうに難しい話してるんだから」
(メイロンと難しい話を楽しそうにした覚えは無いが……)
「言う事無しじゃないか! どう? ああいうの?」
「だから考えた事無いって。でもシンカ、わたしと話してる時あんまり楽しそうじゃないし……っていうか、そういうの興味あるのかな?」
(すまないな。興味無さそうに話すのは悪い癖だとは思ってるんだ)
「聞いてみればいいじゃないか。それに自分に振り向かせるのが女の技術なんだよ」
『俺は耳がいいんだ。勘弁してくれないか?』そう言いたい気持ちをぐっと堪えて、シンカはこんなやりとりをじっと聞き流していた。
「はいよ! おまたせ」
「どうも」
簡易な料理とお茶が運ばれてくる。女隊長二人の手料理を食べた人間なんてフィスカにもあまりいないだろう。
三人改めて席についてから、ルシアはやっとシンカの紹介をして手の指を全部シンカの方に向けた。
「この方が例のシンカさんです」
「どうも。アスミ=シンカです」
「アタシはラーネイザ。ヴェラル=リール=ラーネイザ。今は休業中だけど、一応隊長だよ。よろしくね!」
机を挟んで握手を交わすその女性は、切れ長の目の中に、焔を灯したような瞳の女だった。結わえた髪もそれに似た発色をしている。シンカもこの頃はそれがキヴ人の特徴である事を学んでいた。
「君の話は聞いてるよ。なんでも今回のクヮコーム攻略の影の功労者らしいね。ルシアがベタ褒めしてたよ」
「ちょっとラーネ! なんでテキトーな事言うの」
「まあいいじゃないか。それでどうなんだい? 君はいつまでこの国にいるつもりなんだい?」
「……っ! ラーネそれもっ!」
ルシアの言葉を掌で制し、ラーネイザは続ける。
「気にするなって。どうせいつか言わなきゃいけない事なんだ。軍部は君の扱いに関して頭を抱えているらしいよ。簡単に言やぁ『手に余る』って思ってるのさ。要するに君が怖いんだよ」
きっぱりとそう言ってのけるラーネイザから、シンカはやはり隊長らしい堂々とした印象を受け取っていた。男は一口、お茶をすすってから答えた。
「メイロンから同じ様な事を言われました。だから俺はしばらく旅に出ようと考えています。自分の身の振り方を考えるためにも」
ルシアが不安そうな声で割って入る。
「わたしそんなの初耳だよ。どこに行くつもりなの?」
「それは分からんが、メイロンには精霊の塔に行く事を勧められた」
「そう……よかったね。これでやっと自分のしたい事ができるじゃん!」
喜んでそう言うルシアの顔が、シンカにはなぜだか少し悲しそうに見えた。
ラーネイザは緋のイメージをそのままに、溌剌と声を発する。
「なんだ、残念だね。君がいれば仕事はとても楽になるんだけど」
「いずれ戻ってくるつもりです。メイロンにもそう伝えましたから」
「じゃあ戻って来たら君が天空位だ!」
シンカは思わずお茶を吹き出しそうになった。ルシアはちょっと吹き出している。
「自分には翼がありません」
「いいんだよそんなカビの生えたしきたり。君が変えちゃえばいいのさ!」
「翼もソウルも過去もない……そんな気味の悪い人間、民が認めないでしょう」
「意外と常識的なんだね……頭がいいなら軍師にでもなるか!?」
豪放磊落な女隊長の言葉一つ一つがシンカもルシアもハラハラさせる。この強引な感じが、どことなくゴアと似ていなくもない。
「揶揄わないでください。そんなにはやしたてられても……」
この先は甲高い赤ん坊の鳴き声によって中断された。ラーネイザがあやしに離れたこの機会を見逃すまいと、シンカはカップを置き、話を転換する。
「そう言えばルシア。ソレイルという前隊長が戻ったと聞いたが」
少女は隠す様子もなく、驚いた表情になる。
「え……うん。一瞬だけね。誰に聞いたの? メイロン?」
「そうだ」
「メイロンやっぱり、シンカの前だとおしゃべりなんだねー」
目を細めるルシアにシンカは質問を続ける。
「ソレイルにも俺の体質の事は伝えたのか」
「シンカの話はちょっとしたけど……わたしシンカの名前や能力までは喋って無いよ。ソレイル様はもう軍の人間じゃないから」
(だとするとおかしい。ルシアでない誰かが口を滑らせたという事か?)
「ならいいんだ。おかしな質問をした」
ルシアはここで珍しく、本気で機嫌が悪そうなしかめっ面を作った。
「よくないよ。それってシンカはソレイル様を内通者として疑ってるって事だよね?」
「別にそういう訳じゃ無いが」
心無しか、少女は声を荒げているようにも見える。
「じゃあどういう訳? リマシィ将軍はシンカを直接ソウルで攻撃した時に気づいたんでしょ?」
「それではあまりに説明がつかない事が多いと思ってな。タイミングよく対翼兵の布陣で待ち構えていた事。隊の編成まで知っていた事。アジトの場所を知っていた事」
「それについては全部リマシィが納得のいく説明をしてくれたよ。それに、なんでそれでソレイル様が犯人になるの!?」
ルシアがソレイルを尊敬しているであろう事を、シンカはこの猛烈な反論によって初めて思い知った。
「犯人とは言っていない。可能性の話をしただけだ。気に障ったら謝る」
しばらくむっつりと膨れたまま、ルシアはシンカから目線を逸らさない。
「シンカ、また噓ついてるでしょ?」
(どうしてこの少女はこうまでも噓に鋭いんだ? 俺の噓が下手なだけか?)
「だってシンカ、自分の事だって『確証が持てないから』って黙ってたのに。急にソレイル様の事疑うなんて、絶対変だもん」
(そりゃあ確かに変だ。それは俺も知っていたさ)
シンカは諦めた。諦めて、この少女を信用して全てを話す事にした。
「ルシアは噓を見抜くのが上手いな」
「あ! 認めた。 全部白状しなさいよ!」
「話すが、その内容は二人だけの秘密にしてもらえないか?」
「……イヤだ、って言ったら話さないんでしょ?」
ちょっとためらい気味に言う少女を見て、シンカは口元で笑った。そして答えずに内容に入る。
「リマシィだ。二人で話した時にリマシィに聞いたんだ。ソレイルが俺の事を教えに来た、と」
「リマシィ将軍が? なんだシンカ、そんな事信じたの?」
ルシアは急に安心したように笑い、テーブルに置かれた菓子を頬張った。
「信じてはいないが別に疑ってもいなかった」
「絶対噓だよ。それだけは間違いない」
その言葉からはソレイルへの絶対的な信頼が伝わってくる。シンカはそんな信頼だけは信じてもいいような気がした。
このタイミングで、そこに明るくハスキーなラーネイザの声が響く。
「やあやあ、お二人とも。お待たせしたね」
ラーネイザが戻って来た事でこの話はおしまいになる。シンカにとってはあまりに少ない軽食と茶を平らげ、先に帰ると言って二人に別れを告げた。
「じゃあね、アスミ君! 素敵な旅を!」
「ええ。今日はありがとうございました」
(顔合わせという事だったが、結局俺がいなくなるのでは、何のために来たのかよく分からんな……)
今日はもう一人、会わなければいけない人間がシンカにはいた。メイロンに許可を願ったところ、一番早い日取りが今日だったのだ。
途中で昼食を取り、城に戻ったシンカは地下二階へと続く階段を降りる……今となってはもう、懐かしくさえ思えるあの牢屋だ。
「お久しぶりです。メイロン様はもうこの先でお待ちですよ」
そう告げた男はシンカの取調べ中、石のようにずっと立っていた、親切でおせっかいなおじさんだった。廊下の中程、ちょうどシンカが取調べを受けた場所でメイロンの持つ灯籠が揺れていた。
「この奥の牢屋です…と言っても、あなたなら苦もなく見つけられるんでしょうけどね」
そう言う通り、リマシィは一番奥の横穴に座っていた。
「どなたかしら? こんな薄暗い、空気の淀んだ部屋までご足労頂いて恐縮ですわ」
靴音に反応してそう言うリマシィは少しやつれて見えた。少し汚れてはいるが、それでも丹精に彩られた刺繍鮮やかな衣服は、この部屋にはあまりに不釣り合いだった。
「アスミ=シンカだ」
「まあ、シンカさん。今日はなんの御用で?」
(シンカ……さん?)
「あんたは冥府の出身だと聞いた。冥府について詳しく聞きたい」
シンカはつい先日、冥府についての知識を本で得たばかりだった。
不吉な名前の地名だと思っていたが、まさかそのもの、つまり『地獄』を指している言葉だとは予想だにしていなかった。冥府には魑魅魍魎が溢れ、奇怪な生き物が溢れ、人々は荒んだ心で溢れているという。
「なぜ冥府なんかの……あらイヤだ」
リマシィは急に背中を見せ、両手でその髪を解き始める。雑な大男には別段乱れている様にも見えない。
「そうだわ。調印式の後にでもまたおいでください。そうしたらいくらでも話しますわ」
「今では駄目なのか」
「不利になる可能性があるので何もお答えできません」
そう言ったきり、将軍は牢の奥を向いたまま動かなくなってしまう。
(冥府についてまで黙秘する必要があるのだろうか?)
シンカと目を会わせたメイロンが静かにうなずく。調印式は約二十日後になっていた。だいぶ出発が遅れてしまうが文句を言える立場でも無い。
「分かった。では調印式の後すぐに伺う」
「ええ、楽しみにお待ちしております」
見えないその表情が例の薄気味悪い冷笑になっていないか、シンカは一抹の不安を感じていた。
結局、クヮコームへの帰路で落ち合う約束を交わしてから、シンカはザクライの見舞いに行く事にした……少年は順調に回復へと向かっていた。




