第35話 これからの道標
ザクライは夢を見ていた……それはあまりにも奇抜にして奇怪、異常な夢だ。
夢の中のザクライは自由に飛び回っている……まるで風そのものを操っているように。
その気ままな空の散歩の途中、少年は不思議なモノに出会う……巨大な鳥のような造形物だ。
「こんにちわ」
空飛ぶ巨大なソレが陽気に話しかけてくる。ザクライも「こんにちわ」と返す。
そこから先が異質だった。ザクライは夢の中だとは気づかない自由な空で、その異常性だけは実感し始める。
「こンニちわ、コンニチわ」
そう繰り返しながら、ソレは縦にまっ二つになったり千切れたりしながら、透明になったり、曲がったり、くるくる回ったりしているのだ。
……ただ何故だか、少年は不思議と恐怖を感じない。
「あなたは誰ですか?」
ザクライのその声に反応するかのように、そのモノは次第に正常な振る舞いしだす……かのように見えた。
次の瞬間、そのモノは激しく乱れ、散り散りになる。声を出している間はカタチを保てないみたいだ。
「正しく甚ダ? 疑問だ伝わるか……一方的にコンニチ発信するガー」
声だけは鮮明に聴こえてくるが、言葉の意味も形状も朦朧としはじめる。
「もしや……? 伝えて欲しい。あナたが情報を……伝わっているノカ? 明日ミを知るなバーー……ツタッて欲しい」
この声が話している間は、空間さえも千切れて歪んでいる。鮮明な声も散り散りで途切れ途切れになっていた。
ザクライはそんな事は構わずに聞き返す。
「アスミ? シンカの事? 何をそんなに伝えて欲しいの?」
ザクライが恐怖を感じない最たる原因は、その声の優しさにあった。なんとも眠気を誘う様な、優しい響きで語りかけてくる。
「伝えたい……この世界アー届く? 君の望む……ーガ塔の……別位Test sIGN……座標——」
「なに? よく聞こえないよ……ねえ、なんて言ったの?」
少年の瞳によく知る石の天井が写り、耳に涼やかな雨音が染み込んだ。
兵舎のベッドのようだと思い気だるい体を起こすと、よく知る友人がいつものように椅子で本を読んでいる。
「よかった。このまま目を覚まさないかと思ったぞ。具合はどうだ?」
仏頂面の大男は本を閉じた。ザクライから見ると、普段のシンカの行動は、本を読むか食事をしているかの二択だった。
「なんか変な夢を見ていた様な……」
「それは良かった」
それは良かった、と棒読みに返す声の中に、優しさと安堵が詰まっていた。そしてその直後、少年に恐怖の記憶が蘇る。
「シンカ……そういえば僕、死んだはずじゃ?」
段々気が遠くなって、悲しい気持ちも未練も意識さえも薄らいでいく白い感覚を、少年の体はまだ鮮明に覚えていた。
「少なくとも天国じゃなさそうだな」
「……シンカはなんで死んじゃったの? もしかして僕のせい?」
それを聞いた偉丈夫は少しの間を置いてから、声を出して豪快に笑い出してしまった。こんなに腹の底から笑う友人を、ザクライは初めて発見した。
「安心しろ。ザクライは死んでない」
「なんで……そうだ! ルシア様は?」
「ルシアも無事だ。ザクライのおかげでな。順を追って話そうか。あれから四日も経っているんだぞ」
シンカはまだ病の気が抜けない親友に、一通りの説明を終えた。
「そっか、シンカが助けてくれたんだね……この命の恩は忘れないよ」
「すぐ忘れて構わん。ザクライはルシアの命を救ったんだ。その功績の方がよほど大きい」
「僕が……ルシア様を……あっ!!」
少年は急に素っ頓狂な声を上げる。驚いたシンカがその顔を見ると、茹でたカニみたいな色になっていた。
「どうした」
「僕……ルシア様にしゅごい恥ずかしい事を……」
「なんだ? しゅごい恥ずかしい事とは」
「二人きりで空のデートだとか、憧れのルシア様に抱かれて死ねるとか……うわぁあ」
婦女子みたいに顔を手で覆うザクライに、シンカは真顔で答える。
「それは……しゅごく恥ずかしいな」
「揶揄わないでよ……どうしよう……もう生きて行けないよ」
(命の恩はもう忘れたらしいな……)
シンカはせっかく助けた命をそんな粗末にしないで欲しいと思いながら、せっかくだし良い機会なので椅子から腰を上げた。
「ルシアはそんな事気にしないと思うぞ」
「どこへいくの?」
「食事を取ってくる」
「あ、ありがとう」
シンカは兵舎を左手に進み、石造りのアーチを抜けそのまま兵舎をあとにする。
「またダメだったか……」
アーチの影に隠れていた少女は、悔しそうにそう呟いた。ルシアは毎回毎回気配を殺してやってくるので、最近はシンカもちょっと躍起になっていた。
「見舞いか」
「うん。ついでにシンカも驚かしてやろうと思ったんだけどね」
男は雨に打たれながら少しだけ笑った。サービス精神溢れる天使は、ちゃんと花束に果物まで持っている。
「早く行ってやれ。ザクライ喜ぶぞ。その前に発狂するかもしれないが」
「??」
シンカは挨拶も短いままに、首を傾げるルシアに手を振って歩き出した。この後の二人の会話を想像して、男は一人でもしばらくニヤニヤしていた。
その足で自室へと向かう。束の間の休息、午後にはメイロンが来る事になっている。
ボトルシップは相変わらず風を孕んで部屋に溶け込み、ロボとパドルは部屋の角で静かに雨音を楽しんでいる。その横には百枚以上に及ぶ日記とレポートが束ねられていた。
「ずいぶんと……長い間この国にいたんだな」
ついそう思わずにはいられない厚さになっていた。ソウルに関する考察。歴史に関する考察などなど。
それを読み返すうちに、この国の事務官長はそのドアを叩いた。いつもここまで足を運んでもらっているのは仕方の無い事だが、かなり手間を取らせている事に代わりはない。
「入りますよ」
そう言いながら、さした遠慮もなくメイロンは入って来る。
「まず、これが今月分の給与です」
小包を部屋中央のテーブルの置く。以前に提示したとおり、シンカの生活には一切の不便を感じない程度の見返りを払ってくれていた……これには彼の食費を計算し直して増やした経緯もある。
「ありがとう」
シンカは心からそう思う。自分の力を認め、実際に頼ってくれたのはこの男に他ならない。芯の部分でメイロンがどう思っていようが、シンカはこの男に感謝していた。その男は率直に切り出す。
「旅の件ですがね。私はあなたにずっと国にいてもらいたいと思っています。おそらくそのスタンスは今後も変わる事はないでしょう」
「そうか。それは残念だが、メイロンのように端的に言ってもらえると助かる」
端的には言葉をまとめようとしなかった女、リマシィの顔が脳裏をよぎる。
「でも、あなたは止めても行くのでしょう?」
「ああ。俺には俺の目的がある」
メイロンの眼差しには力強いものがあったので、シンカも負けじと、凛として返した。力強い眼差しのまま、メイロンはその唇を笑わせる。
「何かあなたを引き止める、良い方法はありませんかね?」
「それは分からんが、俺は目的地を決め兼ねている」
質問の答えにはなっていない。しかしなぜかそんな言葉がシンカの口をついた。
「そうだろうと思いました。地理や歴史に疎いあなたに代わって、私が探してみましたよ」
その意外な言葉にシンカは思わず目を見開いた。無表情な事務官は淡々と語り出す。
「この世界で最も古い史跡と言われる『精霊の塔』。ここはあなたのルーツを辿るには最も適した場所でしょう」
「精霊の塔……」
「雲を突き抜け、どこまでも伸びると言われる万丈の塔です。といってもまだ誰も入った者はいないのですが」
「なぜいない? そしていないのになぜ古い遺跡だと分かる」
「近づけないのはソウルの嵐が吹き荒れているからです。ソウルが暴風となり、竜巻と化して一切の人々を寄せ付けないのです。精霊達だけがその塔を行き来出来るとか」
ならばなぜ古い遺跡だと分かるのか。
「もう一つの質問についてはこう答えるしかありません。『その塔があまりに高い』のです。我々の技術では到底辿り付けない高さの、さらに何倍もあるような遺物だそうです」
(可能性はあるな……)
自分の遥かなルーツの可能性の他に、シンカにはどうしても気になる事があった。
「なんでそんな事を俺に教えてくれたんだ? 俺はてっきり国外には出してもらえないものとばかり思っていた」
「私もそう考えていましたよ……しかしつい先日、軍部と話し合った際に隊長達に言われたのです」
ソファーで静聴するシンカを前に、メイロンは狭い部屋の中を窓の方へと歩き出した。
「あのバ……ダボネオールはこう言いました。『あんな人間離れした力と速さを捕らえる手段が無い。物理的に不可能だ』と」
ダボネオールはリマシィと対峙した時のシンカの動きを直接では無いにしろ目撃している……事務官長は古くさい匂いのするロボを触りながら続けた。
「また、ルシア様は『自分が百人くらいいればなんとかなるかもしれないけど』なんて言うんです」
これはいくらか謙遜も混じっている気がするが、シンカはとりあえず百人のルシアを想像して軽く吹き出してしまった。
「いや、笑っていますけどね。隊長三人掛かりで苦戦したリマシィ将軍をいとも容易く捕らえ、隊長二人にここまで言わせる程の力をもつ存在を、現状で止める手段が無いんです。これはもう異常も異常。本来なら即、軍部で緊急会議を開いて対策を立てるべき事案なのです」
「なるほど、飼っておくには犬がでかすぎたから野に放つ、という訳か」
「そうじゃありません。あなたの知性と良心に賭けたのです……と言っても、それくらいしか頼れるものが無かった、とも言えますが」
メイロンは思った事を隠さずに言ってくれるからシンカは大変助かっていたし、信頼もできた……たとえそれが打算であっても。
「ですから、是非、旅が終わったらまた戻って来てください。仮にもあなたはフィスカの兵なのですから」
「もちろんそのつもりだ」
その言葉を聞いて安心したのか、事務管長は部屋を辞そうとドアに向かった。
「ソレイルという男を知っているか」
シンカの不意打ちに、メイロンは少しだけ驚いた顔をして足を止める。
「なんですか突然? 知らない人間はこの国にいませんよ」
「行方不明だそうだが」
「その通りです。それが何か?」
「本や地図で見ているうちに気になってな。なぜこんな男がクヮコームとの調停間際にパッタリといなくなってしまったのか、と」
ドアにかけた手を離して、メイロンはシンカに向き直った。
「これはあまり有名な話ではありませんが、彼はいなくなる前々から測量の旅に出たいと、常々口にしていたんです」
「そうなのか」
「ええ、なんでも『夢で啓示を受けた』とか言って急に出立を決めたのです。それについこの間、そのソレイルが一瞬だけひょっこりと顔を出したんですよ」
メイロンはソレイルに敬称を付けない程の仲だ。しかしそんな事を気にするシンカではなかった。
「それはいつ頃だ? 何のために」
「なんだか妙ですね? 何故そんなにソレイルを気にかけるのですか?」
「ただ何となくだ」
「……まあいいでしょう。ちょうどあなたをクヮコームに送るか送らないかの会議をしている時でしたね。目的は知りません」
シンカの中で疑惑が確信に変わりつつある。タイミングとしてはリマシィの証言とかなり一致する。
「まだ地図を書き続けているのか?」
「なんでも今は冥府の地図を描いているとかルシア様には言っていたらしいですが……イヤ本当、彼には頭が下がるばかりです」
シンカは『メイフ』という地域を知らないし、別段探しに行く用件も無かった。
(しかしこのまま疑問を放っておいてもいいものだろうか?)
メイロンはドアを開け、別れ際に一つ付け加える。
「そうそう、冥府についてでしたらリマシィ将軍が詳しいかと思いますよ。彼女は世にも珍しい冥府出身らしいですから」
将軍リマシィは現在、この城の地下一階に幽閉されている。
(あまり話をしたくはないな……)
シンカの本音はそんなところだった。




