第34話 クヮコーム攻略戦⑧ 〜査問〜
「昨日の続きだ。なぜ俺の事を知っているのか、詳しく教えてもらおう」
「あなたの事なんて知らないわ。昨日もそう言ったでしょう?」
帰路につく直前の早朝、シンカは短い面談の時間を設けてもらった。拘束する兵さえ離れるという異例の配慮が叶ったのも、一人でリマシィ将軍を捉えた実績があればこそだ。
「俺はまだ『アンタが俺の特殊な体質を知っている事実』を誰にも言っていない。これは取引だ。分かるな?」
「何それ? 分からないわよ。その取引って私にしかメリットが無いじゃない?」
リマシィのドレスは所々埃と穴だらけで昨日とは違って見えた。ただしそのそっけない態度と表情は変わらない。痛々しいまでの腹の傷が黒い絹の隙間から見え隠れして、シンカは辛かった。
「軍の人間がそれを知ったら、たぶんアンタを生かして帰さないだろう」
これは噓だ。昨日ルシアと話し合った際に、ルシアにだけはその事を話していた。
「それってルシア隊の捕虜がよほど大事ってことかしら? それともまさか、私に同情してくれたりしてるの? 後者だとしたらすごく嬉しいわ」
リマシィは例の薄気味悪い、しかしどこか美しい笑みを浮かべている。
一方のシンカは自身の不甲斐なさを痛感していた。リマシィの件を誰にも喋っていないのは人質が大事だからでも、ましてや彼女に同情したからでもない。
当事者になる事を回避したかっただけなのだ。
ただ闇雲にこの世界との関わりを薄めようとした結果でしかない。昨日、二人きりで話した時にルシアにそれを言ったところ、『人間らしくて素敵な考え方だと思う』と、逆に慰められてしまった。
「質問しているのは俺だ。答えだけ聞こう」
「答えは決まってるわ。私はね、私の命が何より大切なの。正直、クヮコームが滅びたって私だけは助かりたいと思っているのよ。あなたも私を、気が狂れた人間だと思う?」
(この女の方が俺より、そしてこの世界の大衆よりよほど人間らしい)
アスミ=シンカはそう考える。この世界に来てからというもの、この男はぼんやりと、しかし確実にこの世界と元いた世界の乖離を感じ始めていた。
人の性質が著しく違うのだ。
まず人の命が軽い。それを享受するかのように人々があまりに死を恐れない。これはソウルによる影響が大きいだろうとシンカは考察している。この世界の生物は、怪我や病気による痛みが耐えかねるほどショックなものでは無いというのだ。
それに加えて死んだソウルが天に還るという事が、神の下へと昇る事を連想させて死の恐怖を緩和させていると考える。シンカにはリマシィのセリフがまさにそれを今証明しているようにも思えた。
他にも乖離点は多い。悪人があまりにも少ない事もその一つだ。少なすぎる犯罪、フィスカの治安を見ればそれは明らかだ。フィスカだけではない。クヮコームで暗躍していた時でさえ常に人々の幸せそうな生活を見てきた。シンカが思うところの悪意らしい悪意、人間らしい邪心をむき出しにした人間は、目の前にいるこの女が初めてだった。
「嫌だわ。黙りこくっちゃって。あなたも私を精神疾患だと蔑むのね」
「病気なのかそれは? 普通ではないのか」
さりげなく聞いてみるシンカに、リマシィは珍しく不思議そうな顔を向けた。
「普通じゃないわよ。普通なわけないじゃない」
「なぜ普通じゃない? 皆そうなのか? 自分の命を平気で捨てて、国を優先するのが普通なのか」
その言葉に、リマシィはついにキョトンとしてしまった。よほどシンカの回答が可笑しかったらしい。
「……あなたって変わっているのね」
「そう思うなら世界全体がおかしいんだ。皆が自己犠牲の精神を有しているなんて生物として破綻している」
(そうだろうか? 『変化した』だけではないのか? もっといえば『進化、あるいは退化した』とも考えられないか?)
取り留めも無い思考と逸れた話には終止符を打ち、シンカは話を戻す事にした。
「まあそんな事はどうでもいい。なぜ俺の事を知っていた」
美しい黒髪の女は諦めたように、両手を肘に当てて一つ溜め息をついてから話し始める。
「……得体の知れない男に聞いたのよ。その男は突然やって来てこう言ったの。『近々あなた方の国をフィスカが襲うでしょう。彼らはソウルを持たない化け物を従えている。その男はマトゥーヤの煙を物ともせずに搔い潜り、この国の全てを暴くでしょう』ってね」
「その男がやって来たのはいつだ」
「さぁ? よく覚えていないけど最近よ。一月くらい前じゃなかったかしら?」
「直接聞いたのか」
「そうよ」
「その男について、知っている事を出来るだけ詳しく話してもらおう」
「なんにも知らないわよ。だから戯言だと思って最初は全然信じてなかったの。あなたがディルミーを殺すまではね」
努めてシンカが被っていた冷静沈着の仮面が、苦々しい過去と死という現実によって剥ぎ取られた。それを見たリマシィは嬉しそうに顔を歪める。
「そうか……死んだのか」
「とても苦しんで死んだそうよ。あんなに苦しむ人間は見た事が無いって、マトゥーヤが悲しんでいたわ」
『自分のいた世界ではみな苦しんで死んでいったんだ! 痛みもなく、死を軽んずるこの世界の方がよほど異常だ!』
そんな言い逃れがシンカの脳裏を過った。そしてその全てを噛み殺した……言い訳にすらなっていない。男はもう一度冷血の仮面を被り直し、女に問いかける。
「一つだけ警告する。次からは噓をつくな」
「噓じゃないわよ! すごく苦しんで……死体に至っては私も見たわ」
「そんな事はどうでもいい。噂を流した男の事だ」
(『どうでもいい』なんて言葉、よくも口に出せたものだ)
「さっきも言ったでしょ。私は自分さえ助かればいいのよ。噓をつく理由が無いわ」
「俺は回りくどいのが嫌いだと言ったはずだ。見ず知らずの男の助言を女一人の死で真に受け、人員の多くを対フィスカ用の陣に割き、あまつさえ本隊をダボネオールに向けるなんて事、あるだろうか?」
「それは昨日隊長達にも言ったけど、ダボネオールの居場所はマトゥーヤが察知したのよ。アジトもそう」
こんな時、人質に詰問する効率的な方法などシンカは知らなかった。どんな工夫をすれば答えを聞き出せるか思案しながら、手探りで言葉を探す。
「俺は正直、女を殺してしまった事に責任を感じている。俺が攫ってきたアンタにも、本当は助かって欲しいと思ってるんだ」
これは本当の事だった。ルシアが無事戻って来た以上、彼女を捕らえて軍に引き渡した事は、シンカに言わせれば『余計な事をした』という思いがある。
「だったら、私の言う事を信じればいいじゃない」
「あんたは噓をついている。まずその情報提供者は知りもしない男なんかじゃない。将軍リマシィに直接謁見するだけの信頼と名声を持った人物だ。さらにあんたは俺の名をダボネオールが叫んだのを聞いてから命令を変えた。これは俺の名前と能力、おそらくは容姿まで聞いていたからだ。まだある……」
問いつめられたリマシィが遮る。
「分かった、分かったわ! 全部話すから……ちゃんと軍には秘密にしてくれるんでしょうね?」
「約束しよう」
そのあとに続く言葉をシンカはあまり聞きたくなかった。自分の体質を知る人間はフィスカにたった十人しかいないはずなのだ。国王、隊長六人、ザクライ、シェラールにメイロン。願わくば聞いた事も無い隊長の名であって欲しいと願う。
「ソレイルよ、ソレイルに聞いたの」
そのあまりに意外な返答に困惑する。
「ソレイル? 前フィスカ天空位のソレイルか」
「そうよ。あの男が二十日くらい前に来て、あとはあなたの想像通り。あなたの力や容姿について教えてくれたの」
突拍子も無い容疑者に、シンカは真偽の判別が全くつかない。
「その男は行方知れずと聞いたが」
「私もそう聞いているわ」
「なぜソレイルが俺の力と外見を知っている」
「そんな事私が知るわけ無いじゃない! っていうか、あなた会ったんじゃないの?」
ルシアや隊長達が会って話した可能性は零ではない。真偽の程は分からないが、今回は何故か噓をついている様には見えなかった。
「それは本人に間違いないんだな」
「それは間違い無いわ。彼が隊長の時に何度か見た事があるもの」
これはルシアやメイロンに聞いてみない事には判断がつかなそうだが、約束した以上誰にも話す事は出来ない。
「なぜそんな事を知っているのか、聞かなかったのか」
「聞かないわよ。フィスカの人間、しかも前総隊長が内部事情に詳しくても変じゃないでしょう?」
「……なぜソレイルが裏切るんだ」
「それこそ私が聞きたいくらいよ。だから私もマトゥーヤも信じてなかったの。だからあなたにも信じてもらえないと思って隠していたのよ」
荒唐無稽ではある。しかし話のどこかに拭いきれない迫真を感じる。
真偽が分からない以上、これより先の追及は無意味というものだ。シンカはリマシィに礼を言ってから手を挙げた。これを合図に、遠くにいる兵が拘束するために近寄ってくる。その僅かな合間にリマシィは尋ねた。
「あなた、名前は?」
「知っているだろう」
「フルネームよ」
「ソレイルに聞いていないのか」
「ファーストネームは知らないって言っていたわ」
兵が拘束するまでのごく短い猶予の中で、奇妙な思考が巡る。
(なぜ俺の名を知らない? それに性と名も取り違えている……?)
「アスミ=シンカだ。ついでに言うとシンカがファーストネームだ」
「そう、わたしはリマシィ=マルーよ。よろしくね」
拘束されながら微笑む敵将軍を尻目に、シンカは立ち去った。
(よろしくも何も、もう会う事も無いだろう)
戻ったテントの入り口では、今や遅しと腕組みをして待つルシアが靴を鳴らしている。
「どうだった?」
「なんて事はない。俺が攫った時にソウルで抵抗して気づいたそうだ」
「やっぱり、そっか」
昨日の話し合いで、リマシィがシンカの能力について知っていようといまいと、二人だけの秘密にして、帰してやろうという事に決めていた。
「すまないな。リスクを背負わせる事になるのに」
「大丈夫だよ。リマシィ将軍が材料なら、今後百年の不可侵条約くらいつけられるって!」
当然と言えば当然であるが、シンカはリマシィの見張り役として、まだ目を覚まさないザクライを連れて、一足早くフィスカへ帰還する事となる。
結局、フィスカ兵全員と将軍リマシィの交換、加えてフィスカ、クヮコーム両国の今後六十年間の軍事的友好条約という形で決着がついたのが、それから七日後の事になる。
シンカにとってそんな事はどうでもよかった。あとの心配事は少年が無事目を覚ましてくれるかどうかだけだった。




