第32話 クヮコーム攻略戦⑥ 〜告死天使 VS 白天使〜
ルシアが火の玉よろしく辿り着いたノーアルム陣営で目撃したのは、ルシアが予想だにせず、シンカが懸案していたものだった。
すでに他の兵はやられたのか、ノーアルムと黒髪の女の一騎打ちの様相を呈している……噂はしばしば耳に挟んでいたため、ルシアには相手が誰か一目で分かった。
こんな時ルシアはいちいち考えない。
その神速を生かし、軽騎兵ノーアルムと空中戦闘を繰り広げている黒い翼目がけて一目散に猛襲をかけた……シンカに傷を負わせたあの突撃だ。
驚くべき事に、リマシィ将軍はそれをなんなく躱してさらに上方へと身を翻した。シンカを怯えさせたあの冷ややかな笑みを、躱す刹那においてさえ浮かべている。
告死天使リマシィ……落ち着いた色合いの黒い翼に漆黒の大きな鎌。さらには黒いドレスに身を包み、それを黒髪で包み込む姿はまさに黒い天使だった。鎌にはさらに長い鎖が垂れ下がっている。
ルシアは一様に黒いその女だけを見据え、ノーアルムに訊いた。
「状況報告」
「見ての通りリマシィ将軍ですよ。僕以外の空戦要員は無理と判断して下げました……かなりやられてからですけどね。下はダボネオールさんがカバーしています。鎌より鎖が厄介ですので気をつけてください」
ノーアルム自身は空を飛んでいない。彼は銀色の馬にまたがり、その愛馬に翼が生えているのだ。右手に長大なランスを下げ、左手は盾も出せないほど酷く負傷していた。
そんなものはかすり傷だとばかりに、白い翼と黒い翼は牽制する様に笑い合い、談話を始める。
「あらあらあら。あなたが噂に名高い天空最高位様ね?」
「天空騎士隊フィスカ総隊長、ヴィセッカ=リート=ルシアよ。今後ともどうぞ」
「私にはそんな大それた長い名前が無くて恐縮ですが、リマシィ=マルーよ」
笑いながらもルシアは相手の恐ろしいまでの不敵さに驚嘆していた。フィスカの隊長二人を前に逃げ出そうともしない。それどころか二人とも仕留めてしまわんばかりの不遜とも無謀とも思える女の態度から、その力量が否応無しに感ぜられる。
当然、こんな時は二人掛かりで畳み掛けるのがセオリーだ。
「行くわよ、ノーアルム!」
「はっ!」
事前に打ち合わせたかのように二人が挟撃を仕掛けた。
ルシアが羽を刃に変えて飛ばし、ノーアルムがその隙をランスで突く。告死天使は幅広な翼で左から来る白い羽をガードしながら、ランスで猛攻を仕掛ける右方の騎士に鎌を投げつけた。
「クッ!」
っと声を漏らし、騎馬ごとのけぞりながらノーアルムはそれをギリギリで回避する。間髪入れずに追撃せんとするルシアのレイピアを、リマシィはさらに上方へと躱した。
薄い絹を何層にも重ねた黒いドレスの告死天使は、二対一という不利を打ち消すべく、上へ上へと逃れながら周到に応戦を続けた。
打ち合いが空に鳴り響く。何十合ものレイピアと鎌が、ランスと鎖が、翼と翼が打ち合わさった末に、戦場は雲の上まで昇っていた。
ルシアは感嘆を声に上げずにはいられなかった。
「強い……」
「お褒めに預かりまして」
リマシィはポーカーフェイスだ。劣勢も優勢も感じていない退屈そうな顔で、しかしそれでも周囲を十二分に警戒している。
吹き荒れる暴風の中、さらにノーアルムがルシアにだけ聞こえる声で言う。
「私が囮になりましょう。ルシア様がその隙に……」
「分かった」
ルシアを自らの影に隠し、ノーアルムはそのランスの柄から先を巨大な盾へと変形させた。
ノーアルムは目隠しのためだけに特攻を試み、ルシアが遅れて加速を開始する。
「それじゃ私の攻撃も見えないでしょうに……」
上空の強い風に消されて、リマシィのそんな声はノーアルムに届いていなかった。
鈍い音と共に馬上に血しぶきが上がる。真上から襲いかかる鎖が更にノーアルムの盾で軌道を変え、ノーアルムの薄い鎧を貫き、背面から彼の右肩に深々と突き刺さっていた。
リマシィは鎌に繋がる鎖を嬉しそうな顔で全力で手繰り寄せた……さらにノーアルムの肩口が切れ、声も上げずに落馬する。
ルシアはその隙を逃さなかった。手繰り寄せる鎌よりも速く、自身が投げた二本のレイピアに追いつかんばかりの高速で突撃する。リマシィは二本のレイピアを避けるに間に合わず、そのカラスの如き漆黒の翼を開きながら受け流した。
必然、がら空きの体を晒す形になる。
(死なないでよね……ノーアルム。あなたのおかげで勝てたんだから)
柄を長くした、槍に近いルシアの武器を妨げるものはもう何も無かった……
槍が肉体を貫く鈍い感触の替わりに、甲高い金属質の『ガキンッ』という音がした。
ルシアはそれによって初めて自分の攻撃が失敗した事に気付かされる。
「そんなっ!?」
ルシアは刺さっていなければいけないはずの自分の武器を見て、目を疑い、絶句した……
なんとルシアの槍は相手の鎖の小さなリングに阻まれていたのだ。さすがのリマシィも笑う余裕は無いらしく、腕に全力を込めて鎖を張り、体中を震わせながらこう言い放った。
「間一髪ってとこね、あなたは速いけど、ソウルが軽いわ!」
一瞬の隙を突かれたのはルシアの方だったのかもしれない。槍の勢いで後ろに飛ばされながらもリマシィは鎌を引き寄せ、ルシアの背中を切り裂いた。
ほんの一瞬反応が遅れていれば、そのまま鎌を押し込まれて絶命していただろう。ルシアはくるりと回ってなんとか致命傷を回避した。だが上手を取られた感は否めない。
(二人掛かりでこのざまとはね……)
ルシアはもの言わぬノーアルムが、その奇麗な金色の髪を揺らしながら雲海へと消えてゆくのを見送った。ノーアルムの愛馬も後を追って地上へと下って行く。
(さて、どうしようかな?)
ルシアが次の作戦を思案しているうちに、告死天使は余裕の表情を取り戻していた。
「あなたから逃げられる状況になったら逃げようと思ってたけど……やっぱりやめたわ。だって目の前にいるのは手負いの天空位、しかも一匹なんですもの」
「手負いと言うには浅すぎるわね」
白い天使と黒い天使の、神秘的なまでに美しい戦いはしばらく続いた。
リマシィ=マルーは大英雄ではない。クヮコームは小国な上、比較的新しい国であるためそのような称号は与えられていなかった。人口に至ってはフィスカの四分の一にも満たない。しかしどうして、今ルシアの相手をしているその女は、大英雄を相手どって負けず劣らない戦いぶりを披露している。
……というより、明らかにルシアが圧され始めていた。
「フィスカの六枚の翼は決して捥げず、傷つかないなんて言うけれど……どうやら迷信だったみたいね。私ひとりで全部むしれそうだわ」
「あなたが強いのよ。リマシィ将軍」
「そんな事知っているわ」
この何事にも興味なさそうな顔つきと声色はリマシィの生来のものらしい。女は無頓着に鎖を振り回している様で、常に命を奪う隙を窺っている。
ノーアルムが厄介だと警笛を鳴らした鎖は、触る事も受ける事も許されなかった。鎖自体が刃になっている上に、ルシアの突進でも砕けない程の強度を誇っているのだ。
戦いながら、ルシアの動きが鈍り始めている事に気付いた告死天使は一挙に攻勢に出た。何本もの鎖を創り、それを全方位から天空最高位に放ったのだ。よろめきながらもそれを躱すルシア。
しかし、ついにその一本がルシアの肌をかすめ、左の翼を奪い去った。翼を再生する余裕も無いのか、慌てて雲の下へと逃げようとするルシアをリマシィが猛追する。
(告死天使リマシィ=マルー。本当にわたしより強いかもしれない……)
ルシアが雲に隠れる。リマシィはシンカを怯えさせたあの微笑と共にとどめの鎌をすでに振りかぶっていた。
(それでも六枚の羽を……同時には取れないんだよ!)
リマシィが鎌を投げようといした刹那、視認する間もなくリマシィの腹部を何かが貫く。
雲の下から細長い針状のソウルが刺さっている事に後から気付き、腹部の血を触ってから、リマシィはようやく声を上げた。
「……え?」
その針の根元、雲を引いて顔を出したのはダボネオールだ。さらにその下からノーアルムの銀色の愛馬が浮上する。
「俺は地べたで奇襲しかできねぇからよ」
だから空飛ぶ騎馬にまたがり雲の中で隙を窺っていたのだ。ノーアルムが雲海に消える際に、すでにそのようなサインをルシアに送っていた。
右手から伸ばした針をそのままに、ダボネオールはさらに二本の針を出しリマシィを手を貼付けにした。ご丁寧に返しのフックまでつけてある。
雲を下に突き抜けながら、本当に疲れていたルシアは自由落下にその身を任せ、ダボネールに笑顔のVサインを送った。ダボネオールが答える。
「安心しな。ノーアルムは無事だぜ……まあしばらくは前線に立てないだろうがな」
そう言いながら、黒獅子隊長は馬を走らせ将軍リマシィを速やかに地上へと引きずり降ろした。
クヮコーム攻略戦における天王山はこうして決着を迎えた。




