第31話 クヮコーム攻略戦⑤ 〜愚者の強襲〜
それは、地響きと共に突然にやってきた。
薄暗い洞窟の奥がどよめく。ルシアを拘束する兵達が相談している間にもその振動は徐徐に大きくなる。
「地震じゃないか?」
「敵襲かもしれん! 女を連れて逃げるぞ!」
拘束する兵の一人が叫んでから逃げる間もなく数瞬後、それはついに姿を現した。
一つしかない扉が尋常ではない力で周辺の壁ごと破壊される。扉を踏みつけ、砂埃と共に入って来た巨大な侵略者の異形に、その場に居合わせた者全員が息を呑んだ。
それはもう人の形を成していなかった。
「ルシア……さま?」
「ザクライ君なの?」
ルシアにはすぐに分かった。羽をモチーフにした歪で白い造形物の中央に、まだ記憶に新しい顔が配置されている。一目で覚醒していると分かるザクライのソウル……ルシアはそれを見ただけで、胸が苦しくなってしまう。
「愚者だ! 引きつけて逃げるぞ!」
そう叫び、まず槍を出した兵士が壁に打ち込まれた。形も曖昧なザクライの巨大なソウルの前に、なす術も無かった。果敢に立ち向かったもう一人が薙ぎ払われたところで、あとの二人は戦意を失い逃げ出してしまう。
少年だったそれは、逃げ出すのを見届けてからゆっくりと少女に近寄る。
「無事でよかったぁ……ノーアルム様の所までお送りします」
「君こそ……自我を失ってないみたいでよかった」
そう言うルシアを、ザクライはその巨大なソウルの一部に取り込むと、来た道を戻りだした。狭い洞窟にあって、その巨体は通れるか通れないかギリギリだった。所々にぶつかりながら角を破壊して進んで行く。
「たぶん長くは持ちません」
「…………」
「いいんです、僕は。最期にこんなお役に立つ事が出来て誇りに思っています」
それを言い終えた時にはもう晴れやかな快晴の空の下だった。大きく膨れ上がったザクライがそのまま気球みたいに伸び上がる。
「打て! ルシアを狙え! でかぶつの中央だ!」
待ち構えていたマトゥーヤの号令で数えきれない矢が放たれた。しかしその悉くが跳ね返される。
「堅すぎる……フィスカめ、やはり愚者を利用していたのか。翼兵は追え!」
マトゥーヤの遠吠え虚しく、クヮコームの弓兵達は矢が届かなくなった愚者をただ見送るしかなかった。
「かなり上空まで行きます。彼らも追ってこられないでしょうから」
異形のそれはさらに歪な翼を生やし、奇怪な姿へと変貌を遂げた。都合、羽が四枚の肥大化した塊になる。そのふしくれだった重苦しい姿とは裏腹に、ザクライのソウルは軽やかに雲の上へとルシアを運んだ。
天駈ける暴風の中、ルシアはその巨大な翼に包まれて暖かささえ感じている。
「空って奇麗ですね。それにすごく涼しい」
「そうだね……ありがとう、ザクライ君」
「お礼を申し上げるのは僕の方です。おかげでルシア様と二人きりで、空のデートが叶いましたから」
羽の中に籠るルシアには、少年の顔は見えなかった。ただ落ち着いた声だった。しばらく飛んでからルシアは提案する。
「もういいよ。ずいぶん引き離したし、降りよう」
ルシアは巨大な翼から這い出した。雲を抜け、遥かなる荒野に近づくにつれ減速するルシア。しかしザクライは減速しない。
「ちょっと! ザクライ君!?」
巨大なそれを咄嗟に支えると、思いのほか軽く、しかし持ち上げられるほどの重さではなかったため、ルシアが下になりザクライを抱えたまま、ゆっくりと落下していく。少年の目はかなり虚ろに遠くを見ていた。
「すみません……僕もうダメみたいです」
「ありがとう。ごめんね」
涙を我慢するのに精一杯で、ルシアはそれしか言えなかった。
「さっきも言ったじゃないですか、僕はルシア様と……」
言葉は途切れる。柔らかな微笑みを絶えず浮かべていた少年のその目が、急に潤んだ。
「ルシア様ともっと一緒に……シンカやシェラールさんと、家族と……あぁ、嫌だな、死にたくないなあ」
見渡す限り土と石しかない荒れ地にふわりと不時着をする二人。下になったルシアは無意識でザクライのソウルを抱きしめていた。
「憧れのルシア様に抱かれて、僕本当に幸せ者ですね。それなのに、なんでこんなに悔しいしいんだろ」
「ありがとう。わたしザクライ君の事、絶対忘れない。一生覚えてる」
ルシアの瞳はその意思とは無関係に水を流していた。彼のために出来る事ならなんでもしてあげたい。そう思っていた。
「さあ、もう逃げてください。巻き添えになるといけません」
「分かってる。分かってるから」
覚醒した者は、莫大なソウルを放出しながら終わりを迎える。時に自我を失い、暴走による大災害の果てに死に絶える。時にその莫大なエネルギーに耐えられず、爆発を起こす。
ザクライの巨体がさらに膨らみ出す……臨界が近い。そんな中、少年だったその巨大な塊は、蜃気楼のオアシスでも見つけたかの様に優しく遠くを見つめ、落ちついた声でこんな事を言い出した。
「僕、本当に幸せ者だなぁ。最期に友達にも会えたみたい」
涙を振り落としながらルシアが振り返ると、蜃気楼でも幻でも無く、そこには肩で息をする汗だくの偉丈夫が二人を見ていた。
「シンカ!」
「ルシア。無事だったみたいだな」
「ザクライ君が助けてくれたの」
ザクライは複雑そうな表情で、ゆっくり近づいてくるシンカに申し訳を始めた。
「シンカごめんね、さっき噓ついちゃって」
「……」
「怒ってるの?」
冷血にさえ見える面持ちでザクライを眺めるシンカ。ルシアはそれも当然だと理解して、息の詰まる思いだった。
優しい顔つきからしかザクライと判別できないこの塊が、シンカにはどう見えているのか、ルシアには全く分からない。
今にも消えそうな命、自分を助けるために費やされた命に、その友人が怒りをぶつけようとしているのかもしれないと考えると、居ても立ってもいられない心持ちだった。
「怒っていない」
宙に浮いた少年を前に、血の通わない人形のようにそれだけ言ってのけると、男は覚悟を決めた。
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ダボネオールはシンカとの別れ際、こんな事を言っていたのだ。
「これは俺とルシアしか知らない事だがな、アスミ。覚醒して生き延びたらしい人間の話を、俺は一度だけ聞いた事がある」
ダボネオールのこの言葉に目を見張り、シンカは耳をそばだてた。
「その人は幼い時、崖から転落した時に頭を打って死の淵で覚醒しちまったんだ」
「それで? どうして助かったんだ」
シンカは結論を急ぐ。
「詳しい事は本人も覚えていないらしいが、覚醒したものの、出血がひどくてな、そのまま谷底で気絶しちまったらしい」
「……?」
「次に気がついた時には傷口は塞がって、なんともなかったんだとよ。本人は後から『あれはもしかして覚醒だったんじゃないか?』って思った程度の不確かな情報、与太話だ」
この世界の事情にあまりに不案内な異邦人は、まだ自分のやるべき事が分かっていなかった。
「なぜ、今その話を急に」
「普通なら覚醒した人間なんて傷つけられねぇ。なにせ一生分の莫大なソウルを短時間で放出しきるバケモンだからな。だがアスミ、お前なら出来るんじゃないか、って思ってよ」
ダボネオールはそう言っていた……
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今、ザクライはルシアの斜め上、少し宙に浮いていた。言うまでもなく、その不気味で巨大な図体はシンカには見えていなかったが、その青ざめた顔は平素のザクライ少年とは思われなかった。その血色の悪い唇が開く。
「あのね、真面目に聞いて欲しいんだけど」
いつもと変わらない声の調子にシンカは少し安心し、それと同時に一筋縄ではいかない事を覚悟する。いつものあの少年のような、浮ついた隙が全く感じられない。ましてやこの前の女の件も記憶に新しい。
(果たして上手くいくのだろうか……肉体を傷つけずに)
何度考えてみても成功する確率がその逆を上回る事は無いように思われた。
「僕、もうすぐ死んじゃうんだ」
迷っている暇はないらしかった。今は一刻一刻が惜しい。それにそんな言葉、シンカはザクライの口から聞きたくも無かった。ルシアは二人の大切な会話を黙って聞いている。
「まだ別れの言葉は言わせない」
寂しそうに語る親友をよそに言い放ったシンカは、懐からペンダントを取り出した。それは今ザクライの胸に輝いているものと同じだ。
「それシェラールさんにもらったペンダント……」
シンカはそれを手に、黙って振り回し始めた。それを見たルシアが叫ぶ。
「ちょっとシンカ! 真面目に話を聞い……あっ」
『あっ』と漏らした声と同時にペンダントがその手を離れる。放物線を描いてルシアとザクライの真上を通過する首飾りを、二人の目線が追った。頂点を過ぎ、落下しながら宝石が煌めく。
幸いにもペンダントが土を被る事はなかった。そこにはなぜか投げた本人が待ち構えていたのだ。ルシアが呆気に取られてそれを眺めていると、遅れてそよ風が吹き抜けた。
ルシアは我に返って、怒りを露に先ほどの続きを放つ。
「ちょっとシンカ! ザクライ君の話を真面目にらあぁ!?」
おかしな語尾で結局セリフを言い切れなかったルシアの上に、ザクライが降ってきた。
「上手くいっただろうか? ザクライは助かりそうか」
ペンダントを懐に戻しながら、シンカが二人に歩み寄る。
「シンカ、何したの?」
「気絶させた。そうすれば助かるかもしれないとダボネオールに教わった」
一瞬、首を傾げるルシア。少し遅れて顔をパッと明るくする。
「そっか。そうだよ! ソレイル様もそれで助かったんだ!!」
(前天空位の話だったのか。そんな事より友人の安否を教えてくれ)
「俺には分からないが助かりそうか」
「暴走したソウルは取りあえず治まってるみたい……目が覚めたらどうなるかは分からないけど」
「そうか、取りあえずよかった」
言いながらシンカは自分の手の甲と、ザクライの首元を見た。ザクライの首には紫色のアザが出来ている以外、目立った異常は見受けられない。
「シンカ、ありがと!」
そう言う少女の膝で眠っている少年をシンカは抱き上げた……本当はこのまま寝かせてやりたいと思いつつ。
「礼には及ばない。ルシアにはまだやる事が多いだろう。ザクライは俺がノーアルム陣営まで連れて行く」
立ち上がったルシアがその背中や尻についた砂を大急ぎで払う。
「じゃあ目的地は一緒だね。でもわたし急がなきゃいけないから、先に行くね!」
言いながら、その軽快な体はすでに空にある。
「無事を祈る」
相も変わらずに無愛想な男に手を振ってルシアは飛び去った。その姿が消えるまでシンカは少女を眺めていた。
(俺が全力で走っても追いつけなかったザクライと、いま弓から放たれた矢の様に如くに飛んで行ったルシア。いったいどちらが速かったんだろうか……)
そんなとりとめも無い考え事をし終えてから、男は少年を背負って悠長に引き返した。
※覚醒……肉体さえもソウルへと昇華され始め、歯止めの利かなくなった暴走状態。記述の通り、その体をソウルに転換させながら、巨大なエネルギー体へと変貌を遂げ、最終的には収束か爆発を迎える。
その不安定さから軍への転用などは難しく、ほとんどの場合災害として扱われる。




