第30話 クヮコーム攻略戦④ 〜覚醒〜
「話と命は終わったみたいね」
顛末を見届けていた無愛想な敵は、事も無げにそう言った。シンカは弱々しい背中だけを見せて、弱々しい声を返す。
「……逃げないんだな」
「そりゃあ出来そうなら逃げてたわよ」
長い黒髪についた埃を気にしながらリマシィは興味無さそうに語る。しかし終始無関心を示していたその不敵な顔が、不穏な気配を宿した。
「やだ、ちょっと。何よその子。本当に正規兵なの?」
シンカは友人を侮辱されたのかと思い将軍の顔を睨むが、その顔は引きつって怯えている。
「なんでそんな未熟な子が軍にいるのよ! 早く逃げましょうよ!」
「なぜ逃げる」
言いながらすでに逃げ出そうとしているリマシィの腕を掴み、シンカは聞き返していた。
「離して! あなたは大丈夫かもしれないけど、その子の近くにいたら私が危ないのよ!」
ザクライがまた動き出すと言わんばかりの言動に、シンカは少し希望を見始めていた。
不意に、少年の体がゆっくりと宙に浮かび始める。
「何が起きてるんだ? 頼む、教えてくれ」
「その子、愚者に……覚醒し始めてるのよ。未熟すぎたんでしょ。子供なんかが極端に強い刺激を受けたり、強い感情に捕われたりすると、稀にああなるのよ」
説明を聞く間に、ザクライは立ち上がっていた。二人に向けている背中から、傷口がみるみる塞がっていく。
『ああなる』というのがどうなるのか、シンカにはよくわかっていないが、取りあえず生きているだけで嬉しかった。
「よかった……無事で」
振り返る少年から、シンカは今までに無い奇妙な気配を受けていた。
(……強い?)
ザクライを中心に風が吹いて来る。リマシィはシンカの後ろで袖にしがみつき、その髪や衣服がシンカが受ける風の何倍も強い暴風に煽られている。少年は自分自身の体を見定めていた。
「僕は……?」
「さっきまで死にかけていたんだぞ。とりあえずノーアルム隊へ急ごう、歩けるか?」
嫌がるリマシィの手を引いて、シンカが次第に弱まる風上へ歩みを進めると、少年はその場でへたり込んでしまった。
「おい、大丈夫か」
「お願い。その人はシンカが一人で連れて行って。僕ちょっと疲れちゃって」
「無理するな」
「うん……後ですぐに行くから。ノーアルム様の陣営はすぐそこだし、大丈夫」
二人が話している間、リマシィは警戒する猫みたいに全身を強ばらせている。
「分かった。ノーアルム隊で待っている、すぐ来いよ」
「うん」
塞がった傷と普段通りのザクライを見て安心したシンカがリマシィを連れて歩き出すと、ザクライの言う通りノーアルムの野営地は目と鼻の先にあった。
(なぜ途中気絶していたザクライがノーアルムの陣営を把握していたんだ?)
リマシィはザクライと離れて安心したのか、反抗する事もなく退屈そうに前を歩いている。
シンカがフィスカ兵に、
「ノーアルムに会いたい。アスミ=シンカと言えば分かると思う」
と言うと、それだけで速やかに謁見する事ができた。
出て来た隊長は若い男だった。隊長達には話が通っていたために、気を利かせて他の者を外そうとしてくれる。
「あなたの事は聞いています。二人きりで話しましょうか」
「まずはこの女を拘束してくれ。将軍リマシィだ」
「えー? 本当ですか?」
若い隊長はのっそりと驚く。その細長い瞼から瞳を光らせて、リマシィをまじまじと見た。
「それにしてはずいぶんとおとなしいですねー」
本人である事を確認して兵が拘束するところまでシンカは見届けた。たぶんこの女はシンカの素早さと特異な体質を知っていたから逃げなかったのだ。楔として見届ける必要があった。
そこまで従順かつ寡黙だったリマシィが、拘束されながら不意に語り始める。
「それにしても健気よねぇ、あの子」
嫌な微笑で反応を待つ女に、シンカは沈黙をもって答えた。
「あなたが覚醒について無知なものだから、あんなふうに繕ったんでしょうね。そんな友情って素敵、憧れちゃうわ」
こんな時は相手のペースに合わせてはいけないんだろう……シンカはなんとなくそう思っていた。
「回りくどいな。用件があればはっきり言うんだな。俺じゃなくノーアルムに」
「別に用件なんかないわ。ただこのままじゃあのザクライって子があんまり可哀想だと思って」
リマシィは笑った。人が並べて忌避する作り笑いを、その顔に嬉しそうに描いて。シンカは重い足取りで距離を詰め、その顔を睨み返す。恐怖や困難を克服するために男はそうした。
「俺は回りくどいのが嫌いなんだ」
女の仮面ははがれない。むしろシンカの反応を楽しむようにその顔を覗き返す。
「じゃあはっきり言うけど、あの子帰ってこないわよ。だって覚醒したら死んじゃうんですもの」
こんなとき人間は『噓だろ』とか『なんだと?』なんて言葉は出てこないらしい。少なくともアスミ=シンカはそうだった。
「え……あっ」と脈絡の無い音だけが口をつく。
「もっともあの子の場合、『死んでから覚醒した』のかもしれないけど」
「その話……」
その話は本当か? と聞きかけて止めた。この女に真偽を尋ねるのもばかばかしい。しかし迫真がある。この付近で一番信用できそうな男のところまで走ろうとしたところに、都合良くそのノーアルムが歩いてきた。
「リマシィ将軍の件、ありがとうございます。この素晴らしい功績に関しては後々十分な恩賞が……」
「礼はいい。それより聞きたい事がある」
「はい。なんでしょうか?」
「覚醒した人間が死ぬ。というのは本当か?」
聞いている途中でシンカは疑問に思う。
(そもそも『ザクライが覚醒した』という話自体、リマシィが勝手に言い出したに過ぎない。陽動でないと言いきれるだろうか?)
「ええ、そうですね。覚醒して生き延びたという話は聞いた事がありませんが……どうかされたのですか?」
シンカは見てきた一部始終を説明した。
「傷口が一瞬で塞がったという話からも、まず間違いないでしょうね。可哀想ですがそのザクライ君という少年はもう永くないでしょう」
絶望が揺るぎないものになっていくその言葉を耳にしながらも、まだ生きているかの如き表現に、シンカは一縷の望みを繋ぐ。
「どのくらい持つ?」
「人によりますが、一日も生き延びたという話は聞いた事がありませんね。その二十分の一ほどの時間で死んだ人間を私は見た事がありますが」
そのくらいあれば十分間に合う。ノーアルムに礼を言って踵を返したところでまた足が止まってしまう。
(先ほどの場所にいるだろうか? なぜ一人になろうとした? ザクライに会って俺が出来る事はなんだ? ただ別れを嘆くだけか?)
男はただ一つだけ確信しているところがある。それはリマシィの魂胆だ。
(あの女は俺さえ引きはがせばなんとかなると思っている。だからこそノーアルム陣営まで従順な振りをして、連行されてからあんな事を言ったんだ。そんな奴の口車に乗っていいのか?)
シンカは友人のため、先ほどザクライと別れた場所まで駆け足で戻り、そこで結論を出す事にした。
戻ったところでザクライはそこにいなかった。替わりにリマシィ隊と思われる数騎の残骸と、先ほどのダボネオール隊が一式揃っている。
「無事だったのか」
「アスミ……」
気まずい雰囲気も致し方ない。シンカにはそんな事気にしている余裕も無かった。
「ザクライは」
「止められなかった。『ルシア様を助ける』って行っちまったよ」
「帝都へか」
「だろうな」
シンカの思考はそこで堂々巡りになってしまった。
(自分は追いかけない方がいいのではないだろうか? 追いかけて欲しく無いからあんな事いったんじゃないのか?)
「アスミ、お前ロロを止めに来たんじゃないのか?」
相変わらず煙を吹かせてながら隊長は遠い目で言う。なぜそのような発想になるのか、途中参加のシンカには分からない。
「俺はどうすればいい」
思わず尋ねる。客観的な意見が必要だった。
「なんだそれ? あぁ、お前もしかしてロロに会ってねぇのか」
「……?」
「出来ればあいつを止めてやって欲しい。追いつけるか?」
「追いついて……どうすればいい」
「あいつ覚醒しちまって。覚醒って分かるか?」
黙って頷く。
「俺の命令も聞く耳持たねぇでよ。これもほとんどあいつがやっちまったんだ」
指差した『これ』を数えると五対の人馬が壊滅していた。
「頼む。ロロを……ルシアを助けてくれねえか?」
シンカはこの言葉を待っていたのかもしれない。
力強く「わかった」とだけ返して、シンカはその足に力を込めたが、込めただけで前には進まなかった。
「ちょっと待て!」
こう遮ったのは隊長の部下、前にダボネオールを殺そうとした小柄な男だ。
「礼を言いたい。おかげで隊長無事だった」
この言葉で、女を傷つけてしまったあの時から曇っていた心が、ほんの少しだけ晴れたような気がした。
「礼には及ばない」
それを聞いて隊長がシンカに歩み寄り、部下に聴こえぬよう小声で囁く。
「俺からも言わせてくれ。さっきはすまなかったな、疑っちまって。あと助けてくれてありがとよ。投げ飛ばしたのお前だろ?」
シンカは「礼には及ばない」、と同じセリフを繰り返す。
しかし続いて囁く言葉を聞いて、シンカの目の色が変わった。そして『恩に着る』とだけ力強く残して、ゆっくりと走り出した。
(ダボネオール配下に全力で走るところを見られるのはマズいからな……)
残されたダボネオール隊は走って小さくなっていくシンカを見送る。
「速えぇ……行っちまいましたね」
「ああ」
「追いつけるんですかね?」
「まぁ普通は無理だわな」
「ところで誰なんスか? あいつ」
「さぁな。俺も知らねぇよ」
「いやいや、そんな訳ねぇでしょう」
「そんな事いいから、さっさノーアルムんとこいくぞ」
「そうッスね。ムダボネオールたいちょ……イテッ!」
隊から十分に離れた事を確認してから、シンカは風を纏い『間に合ってくれ』の一念だけで荒野を全力で駆け出した。




