第2話 そして牢獄へ
のどかな自然と草原が延々と続く中、ヴィセッカと名乗る少女は小さなバッグを肩に掛け、背筋を張って大股に歩く。王都フィスカに着くまでの間、シンカと彼女はなんとも言えない距離感を保って、他愛もない言葉を交わした。
「それにしても体、大きいね」
「ん? ああ」
二人並ぶと、少女の顔はシンカの胸の高さだった。シンカは最後に測った自分の身長が188センチだった事を思い出す。
「もしかして傭兵?」
「戦争に関わった事は無い……この辺りは戦があるのか」
「場所によりけりだと思うけど。フィスカはわりと平和だよ」
「どんなところなんだ。その『フィスカ』というのは」
「んー。白くて、街並がキレイで、平和で、水が豊富で……とにかくいいトコ!」
ざっくりした説明だが、この少女が暮らしている街は、そんなに悪い場所では無いような気がした。
「武者修行なんて、まるでゴアみたいだね」
「ゴア?」
「えー!? もしかしてゴアも知らないの?」
目をまん丸にする少女。彼女は表情が豊かだった。
「知らん」
「フィスカもゴアも知らないとなると……南の方の人かな?」
「分からん……地図は無いのか」
「あるよ! それはもうすごい地図が!」
『凄い地図』というモノを、アスミ=シンカは全くイメージ出来なかった……出来れば正確であってほしいと願う。
「見てみたい」
「フィスカに戻ったら持ってきてあげるよ」
「助かる」
平野はどこまでも続くかと思われた。途中、いくつか木造の民家が遠くに見え、文化と文明の気配を匂わせた。
「今日は日差しが強いね」
シンカは黙って上を見た。太陽が一つ、ちゃんとある。きっと夜になれば月も一つだけ出るだろう。
「じゃあ今度はあなたの番!」
シンカは黙って横を見た。心なしか、少女はその碧い目を輝かせている。なんの番か分からなくて、シンカは首を傾げた。
「あなたの住んでいた国だよ。どんなところだったの?」
「そうだな……高い建物がたくさんあって……」
シンカは住んでいた街の事を、なるべく当たり障りの無く話した。
そんな実も無いやりとりをしながら、ずいぶん歩いてフィスカに辿り着いた頃にはもう夜半。月と星々以外に街を照らすもの無かったが、その月はシンカの人生で一番明るかった。
少女が美しいと言っていた、漆喰で覆われた街並が月明かりにぼんやりと白く浮かび、幻想的だった。半日歩いてもまだまだ元気な少女は、少し前を歩きながら尋ねる。
「今日はどこに泊まるの?」
「野宿だろう。俺は金を持っていない」
「……そっかぁ」
歩みを止めた少女が振り返ってシンカを見る。その目が月の光を溜めていた。
「じゃあさ! お城に泊まっちゃえば?」
「城に」
「うん! そしたら調査もはかどるし!」
「泊まっていいのか」
「大丈夫。ただしタダで泊まれるんだから、期待はしないでよね……」
少し含みを持たせて、少女はニヤニヤしている。髪は月光に乱反射して、昼よりもなお銀色に映えていた。
どこで寝ても風邪は引かないくらいには暖かく、雨の降りそうな気配もなかったが、屋根さえあればなお結構だと思っていたシンカは、その提案に従う事にした。
街と同様、青い月と僅かな松明にぼんやりと浮かび上がるその城は神秘的だった。
木造の巨大な城門へと差し掛かる石橋で、少女は『ちょっと待ってて』とだけ言い残して、少し遠くに立つ門兵の所まで走っていく。
ほどなく、門兵がえらく畏まった様子で、すぐに横の通用門を開く。
「おまたせ。行こっか!」
また走って戻ってきた彼女は、息一つ切らさずにあっけらかんとそう言った。門兵の訝しげな視線を横目に、図体のでかい男と少女は入城する。
(見ず知らずの人間を城内に案内するのは……この国では一般的な事なのか?)
シンカは彼女の権限について尋ねようかと思い、そして思い留まった。必要以上に喋らないのは、この男の性分だ。
「こっちだよ」
中庭を過ぎ、少女は地下へと続く階段を降りる。続いてシンカが冷たく淀んだ空気の中へと浸かっていく。堅牢な石壁はまるで牢獄のようだった。
「実はここ、牢屋なんだけどね」少女はあっさりとそう言ってのけ、続けた。「今はほとんど使われてないから、空き部屋がいっぱいあるんだ」
「構わない。泊まれればどこでもいい」
「なんか、君ならそう言ってくれると思った」
背中しか見えない少女の声は、笑っている人のそれだった。
シンカは年下に見える彼女に『君』なんて言われて少し歯がゆかったが、これについても言及しない事にした。無口な男は黙って少女の後を追う。
階段を降りた先は、牢屋と呼ぶにはふさわしく、あまりここで一夜を過ごしたいと思える雰囲気ではなかった。期待はするな、というのも納得の風格がある。誰が点けたのか、松明が壁に掛かっていた。
石を敷き詰めた暗い通路を進み、簡素な机と椅子だけが置かれたスペースでヴィセッカは立ち止まる。
「さてと……じゃあせっかくだし、今日のうちに少し話を聞かせてもらっちゃおうかな」
少女の髪も服も、壁に掛かった松明に照らされて、橙色に揺らめいている。シンカは肯定する代わりに、そこにあった椅子に腰を下ろした。それを見た彼女も、真正面に座る。
「悪いね! わたし、明日休みだからさ。なるべく早めに終わらせたくって」
「構わない」
「じゃあまず、そうだな……でも、君なんにもわかんないって言うからなぁ……」
「俺の取調べがしたいのか。落ちた星の調査じゃないのか」
抑揚のない太い声で、シンカは聞き返した。自分の声が高圧的な事は知っていたが、どうにも直せなかった。ヴィセッカはそんなの一抹も気にならないらしい。
「えっ? あぁ、そうなんだけど。『聞いた人が正体不明の不審人物でした』、じゃ説得力ないでしょ?」
「……なるほど」
「どんな事なら分かるのかな?」
「何を聞きたいんだ」
不親切にそう返すシンカに、少女は不愉快そうな様子も見せずに、真剣に考えこんだ。
「んー……出身とか、年齢とか、職業とか?」
「年齢は二十五、職業はいまのところ無い」
「なるほどなるほど」
少女は机に備え付けてあった羊皮紙に、お似合いの羽ペンで何やらメモを始める。
「出身は……地図があれば分かるかもしれないが」
「ああ。それは明日持ってくるよ!」
そこで言葉が途切れる。静かな暗闇に、近づいてくる足音があったからだ。
コツコツコツコツ……
重たい靴音は段々と近くなり、男がひとり姿を現した。その男を見た少女の顔が明るくなる。
「あ、メイロン! 久しぶり!」
「ご無沙汰ですルシア様……戻っていたのなら、教えてくださればよかったのに」
メイロンと呼ばれた男は、落ち着いた声でそう返した。
「もう帰ったかと思ってたよ」
「ちょうど帰ろうとしたところで門兵から聞いたんです……で、そちらの方は?」
黒っぽい礼服のような衣装を着たメイロンという男は、シンカをじろりと見た。手にランタンを下げ、下から照らし出されるその男の顔に、シンカは少し怖い印象を受けた。目つきが厳しく、顔もなんだかゴツゴツしているのだ。
「なんかね、調査先で《《拾った》》んだけどよく分かんないの……ねえ聞いてよメイロン! 彼、旅をしてるんだって。それも武者修行の旅だよ。まるでゴアみたいだよね!」
(俺は拾いものか)
彼女の明るい声が響く度に、牢獄の湿ったレンガが少しづつ乾いていくかに思える。そんな温かい声だった。
「何を言ってるのかよく分かりませんが……まずなんで『落ちた星の調査』で取調べ室にいるんですか?」
「この人が、重要参考人かもしれないんだよ!」
(しかも重要参考人か)
なんだか犯人と断定されているみたいな物言いだが、シンカは黙っていた。
男はまたシンカを凝視する。男の表情は怪訝そうに見えるが、ずっとそんな感じなので、たぶんそういう顔立ちなのだろう。
「あなた、見慣れない格好をしているようですが……どちらの方で?」
シンカは答えよう口を開くが、少女の声が遮ってしまう。
「メイロンでも分からないのかぁ。彼は出身とかなんにも分からないんだって」
「分からないとは奇妙ですね。どんな質問なら答えられるのですか?」
言える事は全部言ってしまおうと思い、口を開いたところで、またまた少女の声が先に響く。
「名前はアスミ=シンカって言うんだって。女の子みたいだよね! 歳は二十五で、この国へ来たのはたまたま、偶然? って言うか、わたしが無理矢理に連れてきたんだけど」
(……これは喋る機会はなさそうだ)
シンカは事の成りゆきを黙って見届ける事にした。
「なるほど。して、ルシア様は王様にも城内の者達にもろくに挨拶をせず、不審な者を見つけたので、とりあえず牢屋に放り込んで取り調べをしていたという訳ですな。ああ関心関心」
「うわぁ。嫌な言い方」
「まあいいでしょう……私はもう帰りますから。ルシア様もあまり遅くならないように」
「うん、わかった。ありがとう」
男は踵を返し、また長い廊下を戻っていった。ここでシンカはようやく口を開く機を得る。
「名前、ルシアというのか」
「えぇ、あぁ……うん、そう。ヴィセッカ……ルシアっていうの」
この少女はなぜか自分の名前になると少し後ろめたい事があるらしい。それからほどなく、夜も遅いということで取調べらしき問答は切り上げられた。
少女が案内してくれた一室は、牢屋に相応しい簡素なものだったが、一晩を過ごすのに困るものではなかった。
馴れない事がたくさんあったので、シンカはずいぶん疲れていた。据え置きのベッドに横になると、すぐに眠りに落ちてしまった。