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第25話 ディルミーの影

 洞穴の中で、少年は鍋いっぱいの湯気に包まれていた。


「できたよ」


 そう言ってザクライは最後のスープを皿に盛りつけ、テーブルへと向かう。そこに待っていた大男は「うむ」とだけぶっきらぼうに返答した。

 目の前には栄養があり、精力のつきそうな料理が、六種類も色鮮やかに並んでいる。


 ザクライが昼にアルバイトをして、夜にシンカが偵察するという生活がもう十日ほども続いた、ある一日の終わりだった。もっともシンカにとってはこれが1日の始まりとなる。


 ザクライのアルバイトが八百屋だったので食事が豪華なのだ。加えてこの少年は料理も得意だった。シンカは口を皿に近づけて、ほとんどスプーンを動かさずにみっともない格好でスープを飲む。マトゥーヤを著しく警戒してこんなみっともない食べ方を強いられていた。


「ねぇ、それ美味しい? 今日市場で見つけたんだけど。紫色のジャガイモなんだって」

「旨い。ザクライは料理は上手いな」


 たしかに淡い紫の美しい色のスープだった。ザクライは答えずに、頬杖をつきながら可愛らしく微笑む。


「ザクライは食べないのか?」

「僕は今日はいいや。っていうか、そんなに毎日たくさん食べるのシンカくらいだよ」


 元の世界でもシンカは大食漢と呼べる部類だったが、それにつけてもこの世界の人々はザクライに限らず少食だ。


「ねぇ? 地図の方はどう? いつ頃終わりそう?」

「宮殿とその付近に関して言えばそんなに時間はかからないだろう。ただマトーヤという男が特定できない以上、なんとも言えない」

「正確にはマトゥーヤーって発音に近いらしいね……宮殿内部にいるんじゃないのかな?」

「どうだろうな。俺は人と一切接触できないんだ。むしろザクライが聞き込みをしてほしいくらいだ」


 洞窟はいくつかの蝋燭で照らされて、二人の影が揺らめいている。


「毎日してるって言ってるじゃん。全然出てこないんだよ……将軍リマシィを見たなんて話は山ほど出てくるのに」

「警戒しているんだろう。それだけ重要な人物という事だ。気長にやるしかあるまい」

「僕はいいけどさ。シンカが心配だよ。人と話せないし、ご飯もろくに食べられないし、夜しか出歩けないし……こんな事ずっと続けてたら気が滅入っちゃうよ」

「仕方無い。それが仕事だ」


 マトゥーヤに関する有力な情報を入手したのは、その二日後だった。宮殿内で盗み聞きした二人の会話がきっかけだ。シンカが建物の構造を把握しながら物陰から声だけを拾っていると、こんな話し声が聞こえてきた。


「軍師様はおられますか? リマシィ将軍が至急の御用という事なのですが」

「もうお帰りかと思いますが……今の時間だと自宅か釣りでしょう」

「川釣りですか? こんな夜に?」

「なんでも夜の方が釣れなくていいとか。あの方も相当変わり者だから」


 夜に川で釣りをしている人間なんてそうそういない。川でそれらしい人物を発見してからはトントン拍子だった。


 まず自宅まで尾行し、翌朝には仕事中の行動まで詳細に追跡した。妻と子供らしい声が中から聞こえてくるのがシンカには辛かった。

 特待軍師マトゥーヤと目される細身で背の高い男は、城勤めではなかった。そのすぐ脇の洞窟で自由気ままに、一日中だらだらと過ごしていた。他の洞穴同様、いくつも出入り口があるため監視するのは難しくない。


 シンカはこの男では無いという懸念に捕らわれたが、部下の一人がこの男を呼びにきた際にマトゥーヤーとしっかり発音したために確信を強めた。マトゥーヤと思われる色白の男は絨毯の上に鎮座している。あれで国中を監視しているとは誰も思わないだろう。


 監視や追跡が上手く運んでいたからといって、シンカは調子に乗るような男ではない。彼自身、リスクを払わず細心の注意でもって事に臨んでいたつもりだった。

 だが、マトゥーヤが住む洞窟の入り口付近の地図を描いている時、その声は突然、背後から投げられた。


「おやおやおやー? こんなところで仮面を被って何をしているんですかー?」


 この男の過失ではない。相手の気配の消し方が卓越していたのだ。百戦錬磨のシンカが声を掛けられるまで全く気づかなかった事が何よりの証拠であり、それはシンカにとって人生で二度目の経験だった。


「しかもマトゥーヤ様のこんな近くで、怪しいですねー。答えてくださいよー?」

「…………」


 黙って洞窟を走り去ろうとした時、揶揄うような、茶化すような声の主は洞窟の入り口に降ってきて、シンカの脱出を阻んだ。


「つれないなー。同じ仮面の者同士、仲良くしましょうよー」


 言葉の通り、その女の声の発生源は仮面で覆われていた。それは道化だった。


 暗い夜の中にあって鮮明なほどカラフルな服、ジプシーか踊り子の様に肌けた衣装に身を包み、笑った目尻の白い仮面を着けている。

こんな時は何も言わないのがセオリーだが、シンカは思わず感想を言わずにおけなかった。


「目立つ暗殺者もあったもんだな」

「あれあれー? なんで私が暗殺者だって分かるんですかねー? 不思議ですねー?」

「それによく喋る」

「目立つのも喋るのも別にイイんですよー。だってあなたはもう死ぬんですもの」


 そう言いながら、とてつもない初速でシンカに近づいて、ピエロはそのソウルでシンカを攻撃した。したと思った次の瞬間に驚愕の声を発する。


「ウソ……」

「悪いな」


 シンカは少女と思われる道化師を洞窟の壁に突き飛ばした。メイロンからは見つかったらなるべく殺してほしいと言われていたが、シンカにそのつもりは毛頭ない。

 突き飛ばした隙にそのまま夜の闇へと姿を消しクヮコームを出る算段だったが、すぐに思いとどまり振り返った。


 彼女に触れた手の異様な感触と、悲鳴も呻き声もあげず追っても来ない手練れの暗殺者に、足が自然と止まった。


 ソウルで守られるから大丈夫だろうと思い、かなり強く突き飛ばしてしまったが、柔らかく、軽すぎるあの感触。

 確かに少女の開けた胸から首の辺りを突き飛ばしたが、そんな事ではない。確認しようと自分の掌を見るが、暗くて手元が判然としない。ただ何か付着しているような生暖かい感覚がある。


「……おい」


 思わず近寄り声をかけるシンカに、崩れ落ち、俯いたままのピエロは答えようとしなかった。こづいた胸の辺りをおさえて震えている。


「おい! 大丈夫か?」


 任務を忘れて覗き込むシンカの顔を、道化の少女はなけなしの力で見返した。仮面の下から尋常ではない量の涙が流れている。


「なにコレ……痛い。痛い!」

「噓だ……脆すぎる」


 若い道化の肌が落窪んで、そのダメージが致命的である事は明白だった。

 どうしようかと戸惑っているうちに駆け足の靴音が迫ってくる。シンカはその音でようやく我に返り、自分の任務を思い出した。


「どうした!? なんだ今の物音は!」 


 叫ぶ歩哨一人とマトゥーヤが駆けつけた時にはディルミーだけがうずくまっていた。


「マトゥーヤー……さま。イタい……悪魔が……」

「人がいたのか? 見たところ傷は無いようだが」

「胸が……」


 マトゥーヤが抱きかかえると、少女はまだ涙の川をその首筋に流している。


「気をしっかり持て! ソウルを集中させるんだ」

「ソウルじゃ……ない……の」

「どんな奴だった!?」


 彼女の肉体が持ちこたえたのはここまでだった。特待軍師は唇を噛む。


「くそっ!」

「マトゥーヤ様。怪しい人物はいなかったのですか?」


 横にいた歩哨が不安そうな面持ちで訊いた。


「いなかった……いなかったはずだ」

「ではディルミー様ほどの使い手がなぜ……『悪魔』とは?」


 マトゥーヤはそのソウルの性質同様、包括的に、総括的に物事を見極める男だ。かつ慎重で、念入りで、安易には答えを出そうとしない。悪く言えば臆病な男とも換言できる。


「わからない……『悪魔』と言うからには『何か』がやはりいたのか?」

「なっ!? マトゥーヤ様! これを!」


 片膝をついた兵士の下に横たわる道化の少女からソウルが立ち昇る。ソウルの下の彼女の肉体は心臓の辺りがひどく落ち窪み、黒くなっていた。何事にも無頓着な特待軍師は、それに似合わぬ狼狽を部下に見せた。


「ありえない、さっきまで傷は無かった! 肉体だけが深くえぐられている!」

「マトゥーヤー様……何をされたらこんな死に方になると言うのですか?」

「わからない。元々肉体に異常があったのかもしれない。ただ……」


 歩哨はこの悪魔の所行に戦慄していた。軍師は詰まらせた言葉を必死に紡ぎ出す。


「今夜からすぐに警邏の兵を増強させる。必ず三人以上で行動させるようにしろ。急げ」

「は!」


 兵は踵を返して走った。マトゥーヤはもう一度胸の傷を見る。


「ソウルを持たない悪魔か。奴の言っていた通りだ。本当に存在するというのか? しかしそうとしか……」


 マトゥーヤはディルミーの仮面を一瞬外して、その素顔を初めて覗いた。それはあの高く元気だった声に相応しい、活発そうな少女の美しい顔だった。

 マトゥーヤはその仮面で再び少女の死に顔を隠し、抱え上げると将軍リマシィの元へと歩き出した。




 兵が増強された時、シンカはザクライを連れてすでに国外へと脱出し、借家はもぬけの殻となっていた。

※あっけない幕切れ……シンカは素手でディルミーの肌に直接攻撃してしまった。ここに布一枚あれば致命傷にはならなかったかもしれない。シンカの攻撃はソウルの防御を完全に無視するため、その威力は高くなり、ソウルと肉体の繋がりを無造作に千切る事になる。これは激しい痛みを伴い、いとも容易く致命傷になり得る。

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