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第24話 千里眼のマトゥーヤ

 マトーヤという呼び方はフィスカ独特のなまりであって、マトゥーヤ、もしくはマトゥーヤーというのがクヮコームの発音に近い。


====


(俺には才能がない。野心も、夢も……)


 今より六年程前、兵学校を卒業したその年、マトゥーヤは就職のあてもなく、フラフラするほどの行動力も遊び心さえも失っていた。そして失意さえも色あせた末に、彼は一人で川釣りをしていた……それ以外にやる事を見いだせなかったのだ。


「釣りぃ、楽しいかぁ?」


 そんな彼の背後から兄ドットゥヤの声がする。


「兄さん、今日休みか? 兄さんもやるかい?」

「釣りかぁ。俺の性には合わねぇなぁ」


 ドットゥヤは弟の側に腰を降ろすと、枕だけソウルで創って仰向けに寝てしまった。兄ドットゥヤは兵学校の頃から秀才、多才と称され軍部に召喚されていた。


「だろうね。今日は何しに来たんだい?」

「……なんにも。寝に来ただけだぁ」

「だったら、家で寝ればいいじゃないか」

「無職の弟を見ながら昼寝するのも悪くねぇと思ってよぉ」


 マトゥーヤは笑った。


「また口の悪い。エリートの皮肉かい?」

「まぁ……そんなとこだぁ」


 ドットゥヤは仰向けで大きな目を閉じたまま口だけを動かす。弟は垂れた糸の先をその細い目で見ているが、兄の姿はおろか、水面下の魚の動きまでも把握していた……弟の細い芽、兄のギョロ目、兄弟の目つきはあまりにも似ていない。


 長い長い沈黙のあと、マトゥーヤは独り言のようにぼやいた。


「兄さんはいいよね。器用で、なんでも作れて。羨ましいよホント」

「こんな話がある。空を飛ぼうとした男の話だぁ」

「何だい唐突に……フィスカの話?」

「そぅ……その男は己の自由のために軽いソウルを身につけようと血の滲む様な努力した」

「でも駄目だったんだね?」

「その通り。その男のソウルはどうにも柔らかく、どうしようもなく重かったぁ……その男は結局何になったと思ぅ?」

「さぁ? 舟の碇か、漬け物石くらいしか使い道ないかな……」


 兄弟の会話は、お互い身動きをほとんど取らないまま続く。


「まぁ……正解だぁ」

「正解なの!? 漬け物石になったのか?」

「いや……そっちじゃねぇよぉ。その男は海底探査の第一人者になったんだ。海の中を飛び回る自由を手に入れたって美談だよぉ」


 マトゥーヤは釣り竿を引き上げた。糸の先は重りだけで針がついていなかった。


「兄さんの言いたい事は分かるけどさ、俺は駄目だよ。カタチにすらならないんだから」

「分かってねぇなぁ……」


 ドットゥヤはそのギョロ目を見開くと、立ち上がって自宅の方に引き返してしまった。最後に背中を見せながら弟にこう告げる。


「うちで一番才能があるのはお前なんだぁ。そのズバ抜けた力を無碍に捨てるなんてもったいねぇ。俺はそぅ思っただけだよ」


 その時は兄の話なんて真に受けていなかった。


 それから一年ほどの間に、マトゥーヤの生活は徐々に世間から隔絶していく。煙のようなソウルに、なまじ触覚が備わっていたために、外界との接点をほとんどソウルで代替するようになっていた。

 一年も経つと、マトゥーヤはソウルだけで国の四分の一ほどを感知できる様になっていた。そうやって周りの世界を知る事と、釣りだけが彼の生き甲斐になっていた。

 三年目のある日、釣り以外ではめったに出てこない部屋からマトゥーヤが飛び出して来る。


「兄さん! 大変だ……将軍が!」

「久しぶりに出て来たと思ったら、なんだぁ急に?」

「リマシィ将軍が暗殺される!」


 これが転機となった。


 将軍暗殺を未然に防いだ功績が着目され、哨戒へと回されたマトゥーヤは、そこで己の能力をついに開花させる。千里眼の異名をとり、特待軍師へと招かれるまでにそれほど時間はかからなかった。将軍を救った千里眼は、まさにこの国の礎になったのだ。


====


 そして現在、亡き兄を懐古してマトゥーヤは一人洞窟で笑っていた。この世界で人が死んで泣く者などはほとんどいない。ルシアくらいのものだ。


「フフ、兄さん、俺は結局、この国の漬け物石みたいになってしまったよ」

「めずらしいですねー? なにかイイ事でもあったのですか?」


 反応する女の声があった……だが姿は見せない。


「別に無いが、首尾はどうだ?」

「アレアレー? まさかアイツの話、ホントに信じてるんですかー?」

「……首尾はどうだ? と聞いたんだ」

「ちゃんと哨戒してますよー。いつも通りなーんにもないですけどね」

「そうか……」


 マトゥーヤはあぐらをかいたまま目を瞑り、薄暗い洞窟の絨毯で瞑想している。この男は一日のほとんどをこんな風に過ごしていた。

 若々しく高い少女の声は、終始楽しそうに会話に興じる。


「私の質問にも答えてくださいよー」

「ふむ……信じている訳じゃないが。もし噓を吐くなら、もっとマシなものはいくらでもある」

「マトゥーヤ様の能力を知って撹乱にきてるだけでしょー。だいたい『ソウルを持たない人間』ってなんなんですか? まず人間じゃないでしょー? それにその人どうやって動くんですか? ヒトはソウルで動くんですよー?」


 矢継ぎ早に疑問符を投げかける声に、マトゥーヤはゆっくりと、静かに落ち着いた声で語った。


「分からない……分からないからこそ、噓かどうかが判別出来ないんだ。それにディルミー、最近退屈で死にそうだって言ってたろう?」

「マトゥーヤ様のおかげ様でねー。ホント、マトゥーヤ様さまさま! こんなんんでお給金頂いちゃっていいのかしら? って感じ!」

「なら頼むよ……」

「ほいほーい!」


 そのまま気配は消えてしまった。その少女、ディルミーの気配は千里眼のマトゥーヤでさえも微かな煙にしか見えない。ソウルを隠す技術はこの世界の斥候、暗殺に必要不可欠なスキルであり、ディルミーはそのエキスパートだった。


====


 そんなマトゥーヤの広大なテリトリーから少し離れた岩場に、二つの人影が近づいていた。もうすぐ日が暮れる夕方だ。


「もう少し行くと、クヮコーム本土だと思うんだけど」


 そのまま崩れて、倒れてきそうなほど迫りくる断崖絶壁に挟まれて、地図を見ながらザクライ少年はそう言った。


 クヮコームという国は、巨大な川の浸食によってできた崖の壁面に王城を構える。元々は川の上に城を築いたものの、フィスカとの戦争のために、ここに移って来たのが約七十年前……といっても、ほとんど『落ち延びた』というほうが正しい。


 とにかく翼兵と戦うにはここが最適だと気づき、谷の狭間に穴を掘って以来、フィスカとクヮコームを乗せた天秤は、どっちつかずにフラフラしているのだ。千里眼が国全体を見通せるのも、この細長い国の作りが一因だった。


 その遥か下流、シンカは川沿いを歩きながら、遠くの壁面にいくつも穴が空いているのを発見した。


「専守防衛か、いい心がけだ」

「何か言った?」

「いや、別に」


 帝都クヮコームまではまだかなりの距離がある。しかし初陣の少年兵はすでに張り切っていた。


「これはもしかしたら出世の近道かもしれないよね!」

「初陣にしては危険な任務じゃないか?」

「そんなことないよ。メイロン様だって『ご両親やお姉様のためにも頑張ってきてください。故郷に錦を飾るには相応しい舞台ですよ』って励ましてくれたんだから」


(それはよもや脅しじゃあるまいな?)


「……でもなんでメイロン様は僕の家族の事、知ってたんだろ?」


(もしかしてメイロンは楔のつもりでザクライを同行させたのか……? 俺が逃げない様に)


 こんな不穏なやり取りをしながら上流へと向かう途中、ザクライはしきりに地図を取り出して辺りを見渡していた。


「ここら辺にアジトがあるはずなんだけど……シンカ探してよ」

「ずいぶん遠いんだな。まだ帝都までかなりあるぞ」

「それだけマトーヤの能力を警戒してるって事でしょ」


 さらに少し川を遡行するとポッカリと横穴が開いていて、中でフィスカ人らしき男が立っている。シンカはそれを指差して場所を示した。


「あった。あそこに横穴が開いている」

「分かった。あのちょっと大きな岩の中だね。非常時はあそこに避難するんだよ」


 大きなソウルの岩で入り口をカムフラージュしているらしい。今日は二人ともアジトに用はないので、素通りしてクヮコームへ直行する。もう日が傾き始めていた。


「じゃあここでいったんお別れだね」

「ああ、では深夜に」


 ザクライは大きな荷物を背負って荒野を歩きだした。彼が先に行って家を借りる予定になっている。遠くで手を振った少年の首には、小さなペンダントが輝いていた。

 シンカは夜が更けるまでやる事が無いので、岩に背を預けて本を読んでいたが、そのまま寝てしまった。


====


 この世界に来てからというもの、シンカは博士と師匠の夢ばかり見ていた。そこに時折、ルシアやザクライが混じってくるから奇妙だが、夢を見ている間は違和感を感じないから不思議なものだ。


 今日の夢は殊に登場人物が多かった。場所はシンカのよく知る世界、どこにでもあった居酒屋のチェーン店で、シンカは今夜も夢の中でさえも酒を飲んでいる。


「瓶ビール2本とカシスオレンジ、あとハイボール二つお願いします!」


 斜向いのザクライが元気に注文した。カシスオレンジはきっとザクライが飲むんだろう。

 師匠が離れたテーブルで静かに飲んでいる。向かいに座っているのはメイロンだ。


(あの二人なら会話もなんとか成立するだろう)


「シンカ。僕はね、この世界をより良い方向に導くのが使命だと思っているんだ」


 博士が左隣で言う。自然ザクライと向かい合う形だ。


(知っている。『多くの研究者はその目的を忘れてはいけない』とも言ってたしな)


「どうやって?」


 博士の正面に座るザクライが聞く。

 そこに『お待たせしましたー!』と酒を元気に運ぶのがルシアだから、もうてんやわんやだ。

 もちろん羽なんて生えていないし、服装もシンカがよく知る居酒屋のものだった。


「そりゃ私は物理生物学者だからね」

「それって何? どんな事してるの?」


 一人称が『僕』の二人はこの話題で話し込んでしまったので、シンカは自分の居場所を求めて立ち上がり、辺りを見渡す。

 師匠とメイロンの会話は、身振り手振りが混じって白熱している。よく見れば角の方には橋で出会った図体のでかい赤毛の男までいる。誰だかわからない人もたくさん。シェラールが手を挙げてルシアから酒を受け取っている。


 自分も酔っているのか、なんだか視界がフラフラしている。


 気がつくと、熱心に話し込んでいたはずの師匠がいない。キョロキョロするシンカに、空いたグラスを盆に乗せたルシアが話しかけてくる。


「どうかしたの、シンカ?」


 師匠がいないんだ……


「ああ、師匠なら先に行くって」


 シンカの師匠がルシアの師匠なはずが無いが、そんな事も別段気にならない。どこへ行ったんだ?


「どこって……そりゃあ新しい世界でしょ?」


 シンカは急にその胸が希望で一杯に満たされ、光を全身に抱いた様な気分になる。


 俺も行かなければ! 師匠と戦える!!


 飲み屋を急いで出ようとするが、自分はどこに行けばいいのか分からない事に気づく……


 そうだ! 博士なら。


 部屋に戻ると、そこにはもう誰もいない……博士以外。


「シンカ。僕はね、この世界を、人類をより良い未来へと導くのが使命だと思っている」


 それはさっきも聞いた!


「それは君が強い者との戦闘を望むのと同じ、誰よりも強くあろうとするのと同じ。言わば自己の存在証明」


 そんな事より師匠に会いたいんだ! 新しい世界に行く方法を教えてくれ!


「そのためならなんだってする、その点も君と同じさ」


 周りの景色が段々暗く、落窪んでゆく……ねじれて歪む。漠然とした恐怖がシンカの心を包もうとする。

 崩れるいびつな世界に、恐ろしい非現実の中に、ただひとつだけ変わらない優しい笑顔がシンカを見つめていた。


「君にはね『この先の人類を導く』、そんな願いと希望を込めて名付けたんだ」


====


 博士の笑顔を最後に目が覚めると、もうすっかり夜になっていた。


(いかん、ザクライが心配しているかもしれない……それにしても何か変な夢を見ていたような……)


 夢の事なんか忘れてしまったシンカは、荷物を手に取ると急いで帝都へと向かった。

※谷の狭間の国……クヮコームは対フィスカに特化した陣を敷くために、このような場所に城を構えている。谷に攻め込んだ翼兵は八方から弓兵の業火にさらされるのだ。

 

※不思議な夢……この世界において、夢は他人を含む過去の記憶や未来の暗示、何らかの意味合いを持つ事が多いとされるが、シンカにもそれが適応されるかどうかは甚だ疑問である。

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