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第21話 シンカの進化論

 ルシアとの再戦から四日後、この日は珍しく小雨だった。町外れの平原で、薄暗い灰色の雲を見上げながらシンカは考える。


(昨日は一つだけ輝いていた太陽が、今日は見えない。昨晩の月だって二つも三つもありはしなかった。それが元いた世界と、今いる世界を繋ぐ決定的な論拠にはなり得ないだろうか?)


 取り留めも無い長考の後ようやくザクライが立ち上がってくる。


「もう一回だけ……お願い」

「服が雨に濡れてるぞ。疲れでソウルが維持できなくなっているだろう」

「シンカだってズブ濡れじゃないか」


(そりゃあそうだ。俺にはそんな便利な魔法は無いんだから)


「がむしゃらに実践を積むだけが修行じゃない。それはむしろ悪い例だ」

「ホントに大丈夫だからもう一回だけ」


 少年は是非も聞かずにフラフラと舞い上がった。元から安定していなかった飛行が、疲弊で酷いものになっている。


 最後の掛かり稽古が終わると、ザクライはまた濡れた地面に倒れこんだ。


「朝飯にしよう。立てるか?」

「う……大丈夫。ありがとうございました」


 一部始終を見届けていたシェラールが「お二人とも、お疲れさまでした」、と近づいてくる。


====


 ザクライが特訓をつけてほしいと懇願してきたのは三日前の話だ。


 城壁でメイロン達にした可能性の話をザクライに教えた途端『そんなに強いなら是非僕を!』と言い出したのだ。もちろんルシアと戦った話なんかしていないし、左手の傷は自分の鍛錬で出来たものだと説明していた。


 少年が頑なに望むので、シンカはメイロンに渋々許可を貰いに出向いたが、簡単には承諾してくれなかった。二日ほど待たされてから、

「いいでしょう。許可します。ただし……」

 と妹を見張り役に付ける事を条件に承諾した。シェラールがシンカの正体が誰にも見られない様に周囲を見張ると言うのだ。


 実態は好奇心旺盛なシェラールがメイロンの反対を(すごい勢いで)押し切ってお目付役を買って出たのだが、そんな事知る由もないシンカは、

(俺を知るものが少ない方が良いのは分かるが……よくもあのメイロンが妹を見張りにしたものだ)

 なんて呑気に思っていた。


====


 街へと引き返す道中で、三人はたわいない言葉を交わす。


「シンカと特訓したら、なんか強くなれる気がするよ」

「どうだろうな」


 今日が特訓初日だが、今日に限って言えばシンカはほとんど何もしていない。足もろくに動かさず、躱すか、手で去なすかしていただけだ。


「シンカにも戦いを教える上官がいたの?」

「師匠がいた」

「まぁ。それはどのような方でしたの?」

「どのようなって……」


 シェラールが横から聞く。しとしと降る雨から、煙の様な何かが少女を守っているのがシンカにも見えた。それを眺めながら、自分の師について適切な表現をする言葉を見い出せずにいる。


「変な人だった……な」

「シンカも割と変な人だと思うけどな」


 口を挟む少年の雨を弾くソウルはいびつで弱々しく、シェラールより規模が小さい。


(ひょっとしてシェラールの方が強いんじゃないのか?)


「変、って具体的にはどのような方でしたの?」

「俺は武道……つまりは戦い方を教わった記憶しかないが、当時は言っている事がほとんどが理解できなかった……あの人は哲学者だった」

「まぁ、素敵! 哲学者のお言葉ってなんだか深くて、余韻があって、私大好きです」

「人間を超えるという試みは、人間性を極める事によってしか成し得ない」


「それが師匠の哲学?」とザクライが尋ねる。


「俺が初めて会った日に言われた言葉だ。ザクライも覚えておくと良い」

「よくわかんないなぁ。『人を超えるほど強くなりたいなら、人間らしさを勉強しろ』って事?」 

「あの人の言葉は俺にもほとんどわからなかった」


 シェラールは以前より少しだけ安心した、楽しそうな様子で会話に参加する。


「でも学ぶべき事が多い事は分かるんですね。なんだかすごく共感できますわ。哲学者のお言葉ってみんなそう」

「……よくわかんないけど他にはないの?」


 ザクライは曇天を見ながら、考えているのかいないのか、浮ついた表情で聞いていた。


「そうだな……『強くなりたいなら、強くなる鍛錬をしろ』とか」

「よけいわかんないや。それって当たり前の事じゃない?」と、ずけずけ言ってのけるザクライ。

「人間、大切な事ほど気づきにくいものなのですね」と、噛み締める様に頷くシェラール。




 そうこうしているうちに、シェラールと男性陣の分かれ道に至ってしまう。朝食を店で買って、ザクライと二人で兵舎で食べる約束をしていたシンカは、パン屋の軒先でシェラールと別れを告げた。


「お二人とも今日はお疲れ様です。ではまた明日も……」


 そこまで言って、少女は真上を向いて黙ってしまう。


「シェラールさん、どうかしたの?」

「すごく強いソウルを感じるんです。ずっと遠くに」

「ルシア様じゃないですか? 上の方?」

「はるか上空です。ルシア様とはまるで違います……もっと強いかも」

「ルシア様より!? じゃあきっと精霊だ!」

「そんなに大きくないんですが……なんだか濃密で邪悪な気配です」


 その話をシンカはあまり聞いていなかった。ふと思いついた事が気にかかっていた。


「シェラールはどれくらい遠くまで、ソウルを感じ取る事ができるんだ」

「そうですね。ここからお城くらいまでならすぐに分かりますわ。障害物がなければもっと遠くでも」


(ここから城までというとかなりの距離がある。彼女はそれだけ遠方の人物まで特定できると言うのか……)


「失礼だが、シェラールみたいな人間や動物は他にもたくさんいるのか? ソウルで周りを知覚するような」

「そうですね……稀にいらっしゃるみたいですが、珍しいと思いますよ。私のような特殊な環境でないと、普通はそんな能力は身に付かないんじゃないでしょうか?」


 ザクライが「何が聞きたいの? シンカは?」と話に割って入る。


「もしもだ、『ずっと昔からソウルが存在したなら、目の無い生物、ソウルに頼った進化をした生物がもっと多く存在したっておかしく無い』という話だ」

「よく意味が分かりませんが……」

「いや。こっちの勝手な想像だ。気にしないでくれ」


(ここでは進化論なんて提唱されていないだろうし、そもそも成り立つかも怪しい。話したって信じてもらえないし、時間の無駄だ)


 少女が急に思いついたように手を合わせて提案した。


「あ、そうだ! せっかくですから、お二人とも私の家で朝食になさいませんか? 一人での朝食は寂しいし、ちょうど家にパンがたくさんありますから」

「え? いいんですか。ね、シンカも行こうよ!」

「あ……ああ」


 若干申し訳ない気持ちもあったし、メイロンに後でどやされそうな予感がしたが、断る理由より行ってみたい好奇心に天秤が傾いた。


 そしてこれが罠だった事を、シンカは後から思い知らされる。


 木材を不断に使った、フィスカでは珍しい家で贅沢な食事を振る舞われながら、自分がよく知りもしない進化論と生物学に関して、シェラールが納得するまでさんざん説明させられた揚げ句に、

「やっぱり信じられませんわね。私たちが海から来ただなんて」

 と、あっさり切り捨てられた時には、シンカもがっくり肩を落とした。


(初めて聞いたら誰だってそう思うだろう。だから説明するのは嫌だったんだ)


 しかしそんな事、タダ飯を食った手前言えるはずもなかった。ちなみに食べる量はいつもの半分以下に抑えて遠慮している。

 シェラールが紅茶を淹れに席を立った後、ザクライが両手で頬杖をつきながら口を開いた。


「でもそう考えると、たしかにどの生き物もソウル無しで最低限生きていける気がするなぁ」

「ルシアやシェラールの他にも、特殊な能力を持った者は大勢いるのか?」


 ごく小さな音をたてて、トレーを持った盲目の少女は戻って来た。


「そういった事は兄さんやルシア様の方が詳しいかとは思いますが……色々な力を持った方が居られるそうですよ」


 手慣れた所作で紅茶を入れながら言葉を発する少女は、一挙手一投足に至るまでが様式美に見える。


「例えば」

「そうですね。各国の英雄などはその特異性を色濃く繁栄した方が多いと聞きます。例えば、ツァーレの大英雄であらせられる『古王』ツァーレ様などは『どこまでも真っ直ぐ飛んでいく矢』を放つそうですよ」

「どこまでも真っ直ぐ……落下しないということか」

「ええ。しかも何十本も同時にという話です……全部兄の受け売りなので詳しい事は分からないのですが」


 男二人は淹れたての紅茶を飲みながら黙っているので、少女は続けた。


「『落ちない』事もすごい事なんですが、もっとすごいのは『壊れない事』なんです」

「と言うと」

「普通ソウルというのは体から離すと短時間で消えてしまうものですから」

「なるほど。落ちず、壊れないソウルだから弓矢を武器にしているのか。合理的だ」

「他にも、私の力を何十倍にもしたような『国を覆うほど巨大なソウル』を持つ方もいらっしゃるそうですよ」

「興味深いな」

「私たちのすぐ西の国、クヮコームと戦争をしている事はご存知ですよね?」

「話だけは」

「なんでもクヮコームを攻め落とせない主な原因がその方たった一人の能力にある、という話です」

「一人で国中を監視して、敵が攻め込むのを防いでいると言うのか」

「細い糸だとか煙みたいなソウルだとか、噂は色々あるんですが実際に見た人はいないそうです」

「……奥が深いんだな、ソウルというのは」


 ずっと会話を黙って聞いていたザクライは、空にしたカップを置いてから、何の気なしにこんな事を言ってのけた。


「でもそれってさ。シンカなら見つからずに侵入出来るって事だよね」


 それを聞いたシンカとシェラールは紅茶を飲む手が止まった。


 メイロンがクヮコームに潜入してほしいと打診してきたのは、それからたった8日後の事だ。

※ツァーレ……フィスカの北に位置する大国。フィスカとは古くから友好が深い。当面その名前が出てくる事は無いと思われる。


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