第18話 宴の後に……
昼間ルシアが隊長二人と談話した廊は、その奥に控える大広間を引き立てる役目も果たしていた。
さながら、修道院の清貧さを漂わせるその細い通路に潜りながら、来客は荘厳さに不安を添えて味わう。
そこから急に広く色鮮やかな空間が広がるから、広間にある装飾の赤や金がより際立つのだ。
今日ここに集まる人々の衣装も、そんな広間に負けじと着飾っていた。立食ではない。卓と椅子が適当な数用意され誰と構わず、どこと構わずに座っては話し、立ってはダンスを披露する宴会だった。
めでたい祝いの席で皆が浮かれる中、機嫌があまりよろしくなさそうな男が一人……男はこのパーティーを『経費の無駄遣い』と断じ快く思ってはいなかったが、いま腹を立てているのはその事ではない。
事務官長であるその男、メイロンは妹のシェラールと黒獅子隊長ダボネオールが手を取り合って踊るのを、冷めた目線で食い入るように睨んでいる。
「君は将来、罪人になるかもしれないね……」
「なんですか? 急に?」
「もしこの世界から『美しい』という言葉が消えてしまったら、それはきっと君のせいだから」
「まあ……それはどのような意味でして?」
「だって君を一度でも見た群衆は、君以外をそう表現できなくなってしまうじゃないか」
「まあ! 黒獅子隊長さまは相変わらずお上手ね」
「お世辞でもなんでもない。これは真実さ」
メイロンは幼稚な感情を表に出したりはしない。それでもルシアは察していた。果物とサラダが和えられた皿を手に、ルシアはメイロンの正面に座る。天空最高位は今夜、うっすらとピンクの刺繍が入った白いドレスを着ている。
ルシアとメイロンは短い付き合いではない。先代の天空最高位、ソレイルがまだ幼いルシアを城に連れて来て、
『将来の白天使になるかも知れない子だから。よろしく頼むよ』
そう言われてから、もう五年になる。
「誰にでもあんな事言うんだから。放っておきなよー」
「何の事ですか? 私はただあの『棚ぼたで隊長になった狗っころ』に、このフォークを突き立ててやる想像をして、楽しんでいただけですがね?」
狗っころとは黒獅子隊長ダボネオールの事だ。
ダボネオールとメイロンの仲が悪いわけではない。この二人の付き合いはルシアよりさらに一年だけ長く、出会った頃は二人揃ってソレイルの側近を務めていた。悪口も気兼ねなく言い合える『悪友』という表現が似つかわしい。
「いや、それの事を言ってるんだけど」
「ちょうど良い。こっちに来ました。斥候暗殺のプロが不意打ちされても文句は言えないでしょう? ちょっと試しに刺してきます」
そう言って皿とフォークを手に席を立ったメイロンを見て、ダボネオールのエスコートする手が、シェラールから離れた。
隠密の雄、フィスカの影が悪びれる様子もなく、にこやかに挨拶を交わす。
「よう! 久しぶりだな。メイロン!」
「あれ? いたんですか。今気付きましたよ」
「噓ばっか。さっきからチラチラこっち見てたくせに」
「まあ妹に害虫がつくといけませんからね」
「相変わらず口が悪いな。そんなんじゃ、いつまで経ってもシェラールちゃんが自立できねぇぞ」
メイロンがルシアを揶揄い、ルシアがダボネールを手玉に取り、ダボネオールがメイロンにちょっかいを出すこの構図も、数年来の変わらないものだった。
「上等です。久々にやりますか? 表で」
「おぉ? なんだ? 今日は珍しく上機嫌だな」
二人はやると言っているのは酒の話だ。不自然なまでに中庭へと連れ出されたダボネオールは、二人きりになると急にこんな事をメイロンに囁かれた。
「折り入って、大事なお話があります」
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シェラールは近くにいたルシアの隣に座って、男同士の実も無い会話を聞いていた。
「兄さん、今日は楽しそうでしたね」
「どうかな? 喧嘩にならなきゃいいけど」
「ルシア様、先日の戦果。天空位に恥じぬ成果と伺いまして」
「いいよ……そんな形式的なの」
「ルシア様はいつもそう仰るのね……じゃああの方の件は!?」
「それってシンカの事? 戻ってからまだ会ってないよ……なんで? 気になるの?」
「それはもう! あんなミステリアスな事件はこの平和の国フィスカには空前絶後。滅多にありませんわ!」
「シェラってそういうの好きだよね。実はね、今夜聞いてみるつもり」
「そうですか! その話、是非わたくしにも聞かせてください!」
「シェラも来ればいいじゃん?」
「わたくしはその……アスミさんに『ルシア様か兄に聞いてくれ』と言われてしまったので……」
「ちょっと何それ? いつ会ったの? 詳しく聞かせてよ!」
「別にたいした事じゃないんですが……」
こんな調子で宴はいつものように賑わい、いつものように終わりを迎える。来客にはまだ名残惜しさと物足りなさが残る、短い宴席だった。
「このくらいでいいんですよ。パーティーなんか、年に四、五回もやれば十分なんだから、多い分短くするんです。やりたければ各々、家で好き勝手やればいい」
予算を浪費してやるような事じゃあない。事務管長メイロンはいつもそんなふうに言う。そのメイロン宴のあと、ダボネオールと別れて人も散り散りになった大広間で、ルシアを探していた。
大きなバスケットに余った果物やパンを詰め込む天空最高位の姿は、探すまでもなく目立っていた。
「由緒正しき白天使が、何をはしたない事をしてるんですか」
「いいじゃん別に。シンカに届けてあげようと思ってね。彼、すごく食べるんでしょ?」
ほとんどいないとはいえ、人の見ている前で総隊長がそんな事をしてはいけません。メイロンはそう叱るつもりだったが、ルシアの行動が彼の理念に反するものではなかったので控えた。
もっとも、そんなバスケットいっぱいにしたところで焼け石に水かもしれない。
「ちょうどいい、私も彼に用がありましてね。今夜、彼の部屋に来て頂けますか?」
「そのつもりだったけど……城壁に住んでるんだっけ? 何の話?」
「何の話になるかは、彼次第です……」
それだけ言うとメイロンは去ってしまった。
ルシアは分厚い木のドアをノックする。その音が静まり返った城壁内部に籠って轟いた。返事は無い。鍵はかかっていなかった。扉を開けると、その重さと歴史に見合う低い音律が響いた。
中は想像以上に狭かったのでルシアは部屋を間違えたかと思ったが、目の前の小さな机の上にあり、大量のメモが気になった。
それは無造作に置かれたり、本に挟まれたりしていたが、ルシアにはまず何が書いてあるのか全く分からなかった。
「シンカの国の言葉かな? こんなの見た事もない」
目線を上げて部屋の奥、月明かりが差し込む窓を目指しながら、ルシアは左手の本棚のラベルを見た。雑多すぎて何を勉強しているのか見当もつかない。ありとあらゆる種類の本があったが、ルシアの目には辞典や図鑑が多く目に入った。
本棚の奥の隙間にはシンカの持っていたパドルが、隠される様にひっそりと立て掛けてある。この部屋で間違いないらしい。
右手にはソファー。あの大男がこんな狭いところで寝たら、寝違えて逆に疲れそうだ。
窓の下には調度品が整理されて並んでいる。ルシアは月明かりに浮かぶ、瓶の中の帆船を覗き込んだ。
「なにこれ……すごくキレイ……」
初めて見るボトルシップに感動し手に取ろうとするが、壊れるといけないと思い、そのままにした。
ここで足音が聞こえてくる。小さな足音だったので、ルシアはこの部屋の主人のものではないと思ったが、足音に見合わない偉丈夫が開いたドアから顔を出す。
「ルシアか、無事帰って来たみたいだな」
入り口に立ったシンカは、いつも通りの起伏の無い口調でそう言った。
「そっちこそ元気してた?」
「ああ」
「ゴメンね、勝手に部屋入っちゃって」
「構わん」
「あ、これパーティーの残り物なんだけど、よかったら食べてよ」
「おお、助かる」
男が寡黙すぎて、あまりにも話を広げにくい。ルシアは率直に聞くことにした。
「ねぇ、覚えてる? 『わたしが無事帰ってきたら、少しは話を聞かせてほしい』って言ったの」
「覚えている。ただ、もう少しだけ待ってくれないか」
「別に無理に話を聞きにきた訳じゃないんだよ。ただ……寂しくないのかな? と思って」
「寂しい?」
「自分一人だけみんなと違ってさ。相談もできずにこんな狭い部屋に閉じこもってたら……わたしなら寂しいかなって」
「なるほど……『さみしい』か」
シンカはようやく感情や声に起伏のようなものを見せた。ルシアはそれに、ほんの僅かな暖かい幸福を覚える。
「やっぱり寂しいの?」
「今のところ大丈夫だ。この狭い部屋は自分で選んだし、許可さえ取れば外にも出られる」
「そ、そう。ならいいんだ」
「ドレス……似合っているな」
急に出たシンカの意外な気遣いに、ルシアは一瞬戸惑ってしまった。
「え? ああ、ありがと」
ここでさらに二人分のテンポの速い足音が、シンカの部屋へと向かって来た。それはメイロンとダボネオールのものだった。
メイロンの、
「ここです」
という合図を聞くなり、ダボネオールは無言かつ足速に入室し、有無も言わさずアスミ=シンカの頭を針のようなソウルで串刺しにする。
武器の生成と攻撃を同時に行う、いわばソウルの抜刀術だ。ダボネオールはこれを用いた暗殺や奇襲を得意としていた。
見ていたルシアが、悠々と部屋に入ってくるメイロンに尋ねる。
「メイロン、なんで?」
「問題無いでしょう。隊長たちにはいずれ話そうと思っていた事です。それに配属されるとしたらダボネオール隊でしょうから」
ここで奇声とも悲鳴ともつかない、ダボネオールの叫び声が城壁内に響き渡った。三十過ぎのおっさんがブツブツ言いながら腰を抜かして怯えている。
「説明したんじゃないの?」
「説明しましたよ。『ルシア隊長に取り入って軍を裏から牛耳り、あまつさえ総隊長を夜な夜なたぶらかす悪魔がいるから殺して欲しい』と」
「なんでそんな噓信じるかなぁ? メイロンもなんでそんな噓つくかなぁ……」
「お互い酔ってるんでしょう」
酔っている雰囲気を全く匂わせないメイロンは、怯えるダボネオールを見て『してやったり』、という悪い顔をしていた。
ダボネオールはシンカから離れて臨戦態勢に入っている。当のシンカは何事も無かった様に座っているだけだ。
「ルシア……いま! 今!?」
「ちょっと落ち着いてください、ダボネさん! その人は敵でもなんでも無いですから!」
時間はかかったが、ルシアはアスミ=シンカの事をダボネオールに説明した。
「じゃあルシアを夜這いしてるってのも嘘なんだな!?」
「セクハラですか? 訴えますよ?」
こんな誤解をいくら解いても必然的に説明不足になる。
「なんだ? それじゃ結局『不審で危険な人物』って事には変わりねぇじゃねえか?」
ダボネオールの言う事も尤もだった。ここぞとばかりにメイロンが口を開く。
「今日はその事で伺ったのです。あなたの事について、知っている限り話して頂こうと思いまして」
「もう少し待ってくれると聞いたが?」
「曖昧でも仮説でもなんでも構いませんよ。分かるでしょう? 我々も不安なんです。得体の知れないあなたがね」
ルシアも口を挟む。
「そうそれ! 私もそれを聞きたかったんだよね!」
シンカは少し考え込んでから、覚悟を決めて語り始めた。
「……分かった。では可能性の話をしよう」
四人ではあまりに狭く暗い部屋の中、全員が固唾を飲んでアスミ=シンカの言葉を待った。