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第17話 地上最強の馬鹿

 その満月の夜、ルシア隊とノーアルム隊の祝勝会を兼ねたパーティーが大広間にて催された。


「よくもこう色々と理由をこじつけて、毎度毎度飽きもせずパーティーが出来る」


 こんな悪態をつく事務官長をなだめながら、パーティーはいつも通り円滑に賑わう。かく言うメイロンも、妹のドレス姿が見られてまんざらでもなさそうだった。

 一番可哀想なのはノーアルム隊だ。彼の隊は西方の国境線沿いで守備の任務が続くため、宴会には参加出来るはずもなかった。


「食べ物、残しておいてくださいねー」


 そんなノールムの冗談は、両の人差し指で目頭を引き伸ばしたルシアの口から伝えられ、場を盛り上げた。


 もちろんアスミ=シンカは出席できない。隠密が宴会で食べて飲んではしゃいで、目立つ訳にはいかない。パーティーの始まる少し前、ちょうど日の暮れた頃、彼は武道の稽古をしようと一人外に出て悩んでいた。


(木を壊す鍛錬はメイロンに怒られてしまったからな……どうするか?)


 街の外まで行くつもりだったが、その目論見は昼間橋の上で見かけた男によって、同じ橋の上で阻止される事になる……とはいえ、きっかけを作ったのはシンカの方だ。欄干に手を乗せてただ堀を眺める、その寂しそうで大きな背中が、ついつい気になって話しかけてしまった。


「そんなとこいると風邪引くぞ」


 こんな無意味な問いかけを見ず知らずにするなんて、シンカにしては非常に珍しい。


「放っといてくれ。俺の勝手だ」


 男は当然の権利を背中で主張する。男の言う通りだ。冷静になったシンカが無言で鍛錬に向かおうかと踵を返した時、大男の低くて太い芯に響く声がシンカを刺した。


「ちょいと待ちな。アンタ、城の人かい?」

「そうだ」


 お互いに背を見せたまま、顔だけ少し後ろに向けて話す格好になる。


「ならゴアって名前、聞いた事ねぇか? かなり有名な男だと思うんだが」

「知らん。悪いが俺は情報に疎いんだ。その男がどうかしたのか」


(ゴア? どこかで聞いた気がしないでも無い。というより最近聞いた気がするが……)


「そうか、なんでもねぇよ。悪かったな」


 それで会話は終わったらしい。一歩、二歩と離れたところで、また呼び止められる。


「おいおいおい待てよ! 口ではこう言ってるけどよ。内心、『そのゴアって奴は何者なんだ?』とか聞き返して欲しいの。わかんねぇかな!? 人情味のねぇ人だなぁ!」


(……もしかしたら、とんでもなく面倒な輩に話しかけてしまったのかもしれないぞ!)


「そのゴアって奴は何者ナンダ」


 ただでさえ抑揚のないシンカの声が、さらに棒になる。相手の男は急に照れくさそうな仕草をし出した。


「いやあ、そう面と向かって聞かれると……照れくせえんだけどさぁ。俺だよ。俺がそのゴアさ!」

「…………あ”!?」


 記念すべき今日、まさにこの瞬間、アスミ=シンカはこの国に来て一番イラッとした。それが思わず一文字の疑問文に凝縮されて口を突いた。

『俺、かなり有名なんだけど、俺の事を知らねえのか?』、この男はそう言ったのだ。


「いやいや! まぁそう怒るなって。聞いてくれよ!」


 自分をゴアと名乗った男は慌ててお手上げのポーズをとる。顔はなぜか上機嫌だ。

 シンカは一度深呼吸をしてから歩み寄り、ゴアの横の欄干に同じように手をのせた。


「聞くだけ聞いてやるから、終わったらすぐ帰れ」

「お……おう」


 横柄で高圧的な態度に、自称有名人は萎縮しながら、それでも堀を見下ろすと話し始めた。これだけの巨躯が二つ並ぶとなかなか壮観だ。


「俺はよ、自分の事、それなりに名が通ってると思ってたんだけどよぉ」

「…………」

「それで城に入れてくれって、俺はゴアだって名乗ったら『お前なんか知らん、帰れ!』、って門兵にあしらわれて……」


 何の話をしているのか、シンカには全く分からない。


「待て、要点が全く伝わらん。まず城になんの用事があった」

「ルシアって女に会いたくて」

「なぜ」

「一度戦ってみてぇと思ったからだよ……俺は強くなるために旅してんだ」


 ゴアは溜め息をついた。シンカは威圧的な態度をとった事に、少し反省を始める。


(この男も俺と同じ目的で、ルシアに会いにどこぞ遠くから来たのかもしれない……)


 だがそんなことおくびにも出さず、横暴な態度を貫く。


「お前は自分の名を名乗っただけで、なんでこの国の軍の総隊長と戦えると思ったんだ」

「う……いや、だってよぉ! 天空最高位と地上最強位の邂逅だぜ! 普通、誰かしら見たいと思うじゃねえか! だから粋な計らいをしてくれるかなぁ……なんて」


 苦笑いでそう答えるこの男の話は所々破綻している。それでも論理的に考えればこの男が地上最強位という事になる。


「地上最強位……大英雄なのかお前?」


 ルシアをはじめ、この世界を代表するような達人や偉人を『英雄』と呼ぶ。その中でも永い歴史を持っていたり、殊に著名な九人の英雄を『大英雄』と呼ぶ。

地上最強位であるゴアも天空最高位であるルシアも紛う事無く『武の大英雄』だ。


 シンカはここでやっと思い出した。


(そう言えばルシアが口にしていたのだ。武者修行の旅だなんてゴアみたいだ、と!)


「おお! そうそれ。その反応よ! なんだ知ってんじゃん!」


 嬉しそうにするこの男が本物かどうかこの上なく怪しいが、今のところ調べようもない。


「もし本当だとしても城には入れないだろう」

「やっぱそうかぁ……昨日の夜からよ。警備の交替を見計らって三回も試したんだけどよ。みんな口を揃えて『貴様なんか知らん』て言うんだぜ」


 シンカは薄々気付き始める。


(こいつ……馬鹿だ)


「最後の奴なんか『みんなもっと手の込んだ嘘でルシア様に会おうとしているぞ。次からはもっと工夫して頑張れよ』なんてぬかしやがる。俺は本物のゴアだっつーの!」


(いや違う、門兵の論旨はそこじゃない。『たとえお前が本物であろうが偽物であろうが城内には入れない』。門兵はそう言いたかったんだ……しかしそれにしたって、天下の地上最強位を門兵三人が全員知らないなんて事あるだろうか? 少なくともルシアは知っていた)


 そんな長い台詞で場を波立てる必要は無い。シンカは黙って話を聞き続ける。


「わざわざ遠くから来たのによ。とんだ無駄足になっちまいそうだぜ」


(ルシアはたしか、フィスカからボー=レガールまでは船と陸路で二ヶ月以上、と言っていたな。本当なら無駄足ご苦労様……なんて人の事ばかりも言っていられないか)


 そんなニヒルな気分に浸かっていると、自称『地上最強』は黙っているシンカを睨んだ。


「なあ? アンタさっきからずっと黙ってっけど。話聞いてんの?」

「話は聞いている。これで終わりでいいか?」


 ゴアはなんとも言えない、怪訝の様な、呆れた様な、怒った様な、はたまた悲しむような瞳でシンカを見据える。


「アンタ……本当に冷てぇ人だなぁ。可哀想な英雄がよ。目の前であわや身投げせんばかりに落ち込んでるんだぜ。『そりゃあ災難だったな。飯でもおごってやろうか?』くらいの言葉、出て来ないわけ?」


(そのまま身投げして、明日あたりに水死体で発見されればいいのだ……さいわい今夜は月が明るいから、今夜中に見つけてもらえるかもしれないぞ)


 そんな意地悪を考えつかないでもないが、シンカにはこの男が本物には見えなくもなかった。それ相応の風格と佇まいがあると思えなくもない。それに同じ境遇の者同士と思うと、なんだかこの馬鹿に親近感が湧いてくる様な気がしないでもない……


「話を聞いてやったんだ。むしろ俺がおごってほしいくらいだ」

「……おぉ! それもそうだな! ちょうどいいや。話相手がいなくて寂しかったんだよ」


(まだ行くとは言っていないが……)


「そうと決まればどっか旨いとこ教えてくれよ! なに、心配はいらねえ! つい先日立ち寄った村で、なんにもしてねぇのに金と食糧もらってよ。どうせあぶく銭だ」


(食糧もらってるんなら、それで我慢しろよ……)


「怪しいな、それ真っ当な金なんだろうな?」

「大丈夫だって! この天下の大英雄、ゴア=ライダルク様が言ってんだから!』


 シンカは心中でツッコミを入れまくりながら、仕方なくついて行く事にした。自分の食費が馬鹿にならない、というのが最大の理由だ。


(あぶく銭と言ってたからな、いくら食っても罰は当たるまい)


 夜道でもあまりにも目立つ巨漢二人は、少し城下町へと歩いてザクライと初めて行った大衆酒場に入店した。

 これだけでかい男が二人で酒場にいるとさすがに目立つが、シンカはほぼ無理矢理に連行されたのだからこの際仕方ない。幸い、店内は前回よりもさらに空いていた。閑散という表現の方が近かったかもしれない。


「今夜はみんな王宮のパーティーにあやかって広場で飲んでるんですよ!」


 ウェイターの女は、元気にそう言った。

 シンカはザクライが以前頼んでくれたメニューと全く同じものを注文した。もちろんそれ以外は知らなかったからだ。酒と食事が卓に列んだ頃合いを見計らって、シンカは単刀直入に聞く。


「なあ? 世界で一番強いって、どんな気分なんだ?」


 この世界で一番強い人間に会ったら、シンカが聞いてみたかった事だ。それにこの男が本物かどうか測る試金石にもなる。ゴアはこの店の中でもかなり強い酒を水みたいに呷ってから答えた。


「別になんて事ねぇよ。気分は良いけどな……それだけだ」

「それだけ? それだけか?」

「俺はそれで十分だと思ってる」


(この男は本物だ……そんな気がする。だが真実を全ては言っていない)


 シンカはふつふつとそう感じながら品書きをゴアに渡した。


「酒、好きなの勝手に注文してくれ」

「おお! 悪いねぇ! なるべく強ぇのがいいんだけど」

「俺は分からん。店員に聞いてくれ」

「アンタ飲めねぇ口か?」


 シンカは無視して店内を見回しながら別の質問をする。回答に困ったからだ。


「なぜ武者修行の旅なんかしてるんだ? 十分だと思っているならそんな事はしないだろう?」


 相手も無視された事を気にする様子は無かった。


「なんでかな? よくわかんねぇけど……俺はずっと『自分が一番強ぇ』、って気分に浸ってたいんだよ。そのために、なんて言うかその……最強の証明? みたいなもんなのさ」


 シンカにはその気持ちがよく分かる。だがそれは、証明されるに従って虚しさを蓄える様な、徒労の如き作業だ。


「まだお前より強い奴には会った事が無いのか?」

「無いね、一度たりとも無ぇ。いたら一度会ってみたいね……もしかしたら、そんな奴に会いたくて、俺は旅をしてんのかもな」


 少し寂しそうに、馬鹿正直に答えるこの男は、アスミ=シンカとよく似ている。シンカは師匠と出会う事によって、師匠に敗北する事によって世界を学んだ。失敗や敗北から得るものは果てしなく大きい。そんな当たり前の事さえも、シンカは師匠に会わなければ知り得なかったかもしれないと思う。


『目の前にいる俺がそうかもしれない、お前に敗北を与える存在かもしれない……お前に大切な事を教えてやれるかもしれない』


 喉まで声かかったそんなセリフを、シンカは飲み込んだ。それはメイロンとの契約を反故にする行為に他ならない。


 さらにシンカは言動は、ゴアを欺く不誠実な行為に及ぶ。


「いずれにせよ、天空位と戦う事は出来ないだろう。俺は詳しく知らないが、南の大陸には強い者が大勢いると聞く。そこに向かってみたらどうだ?」

「……南か、もとからそのつもりだったからな。ルクシャから渡って、そうしてみっか」


 この根も葉もないシンカの噓は、ルシアを危険にさらさないために放ったものだ。ルシアとゴアをかけた天秤が、ルシア側に傾いただけの事だ。しかし罪悪感はあった。その罪悪感を全て飲み込むように、シンカはジョッキに入った弱い果実酒を飲み干した。


「なんだ! いけるじゃん!」


 何も知らないゴアは嬉しそうにそう言ってから、新たに二人分の酒を注文し始める。シンカはジレンマと言い知れぬ鬱屈さに沈んだ。




 シンカとゴアはそれからしばらく、たいして実の無い短いやりとりと食事をして、店をあとにした。


「悪かったな、本当に奢ってもらって」

「いいって事よ! それにしてもアンタすげぇ食ったな? 俺ぁあんな食う奴初めて見たぜ!」

「大食いだけが取り柄なんだ」

「もう会う事も無いだろうけど、今日はありがとよ!」


 そんな会話でこの世界の最強を名乗る男と別れた。結局、シンカは名前さえ教えていない。


 名残惜しい。後になってからシンカはそう思う。


(あの男は俺の目的地……到達点だったかもしれない男だ。何故みすみす行かせてしまうのか?)


 彼自身、答えが分からなかった……


(違う、俺は答えを知るのが恐ろしんだ。もうあんな絶望を味わいたくないだけだ)


 シンカにはほとんど分かりきっていた。数え切れない戦いの果てにしか成し得ない勘というものが、この男にはある。


(あの男では……全く足りない……)

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