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第15話 凱旋

 この季節、フィスカは澄みきった晴天の日が多い。乾いた風を切ってシンカが待ち合わせの大広場に着くと、ザクライは階段の柵に手をついて空を眺めていた。手に串を持っている。


「なんだそれ」

「あ、シンカおはよう。食べる?」


 差し出された串を無言で頬張る。


「……んまい」

「そこの売店で買ったんだ」ザクライは人差し指と笑顔だけ返して、また空を眺めた。「早く来すぎたかな。予定ではもうすぐだと思うんだけど」


 辺りには二人以外にも大勢の人が集まり空を見上げている。中でも特別目立つのは巨大な布を持った女性ばかりの大所帯だが、布は上方に向けら、何が描かれているのかは分からない。


「あれはルシア様の親衛隊だよ。言うなればファンクラブだね」


 軍の総隊長の親衛隊なんて、なんだか可笑しいとシンカは思う。


「ザクライは入会しないのか」

「見ればわかるでしょ。女性限定……って、そうじゃなくても恥ずかしくて入れないよ!」


 大声を出したザクライに、周囲の視線が集まる。親衛隊の数人も二人を見た。


「あまり大声を出すな」

「ゴメンゴメン……あっ、見て見て! 精霊だよ!」


 ザクライは何事も無かったかの様に、その響く高い声を空に向ける。シンカは黙って指の延長線を追う。


「雲と空しかないな」

「やっぱりシンカには精霊様も見えないのかあ……」


 前にザクライと飲んだ翌日、シンカは彼に精霊の絵を書いてもらったが、フニャフニャと線を書いて端点を繋げただけの、アメーバみたいな何かを差し出されてしまった。


(可哀想に。こいつは俺と同じで、絵の才能が全く無いんだろうな)


 内心そう嘆いたが、どうやら実際そんなモノらしい。手も足も顔も無い、巨大なアメーバの様な生命体が空を飛んでいると言うのだ。


「見えないな」

「今日の精霊様はうっすら虹色でキレイだよ」


 それは場違いのオーロラじゃないだろうか? そんなことを思っていると、急に後ろから声がする。


「あなた方も凱旋をご覧に?」

「シェラールさん!」


 二人が振り返ると、そこには大変美しい少女が立っていた。シンカに注意されたそばから大声を出すザクライに、シェラールは笑った。今日は帽子を被り、白い薄手の平服を着ている。その帽子が以前ルシアが持っていた物にそっくりだった。


「こんにちは。えーっと……ザクライさんでしたっけ?」

「はい! ロロ=ザクライと申します。あなたも凱旋をご覧に?」


 シンカは話を聞きながら、黙って空を見据える。気を抜くと落ちそうな青空だ。


「はい。わたし、暇人なもので。えぇと……先ほど誰かと話しておられたみたいですけど」

「アスミ=シンカという者だ。ここにいる」


『あなた方』というくらいだ。いるのはバレている。


「やはりいらっしゃったんですね。存じております」

「ザクライに無理矢理連れてこられたんだ」

「まぁ、そうでしたか」


 そう言ってシェラールも空を仰いだ。そんな彼女を見てシンカの中に疑問が生まれる。彼女はそんな上空の凱旋飛行までソウルで感じ取るのだろうか?


「来た!」


 ザクライの声と同時に、にわかにフィスカの街が沸き立つ。遠くでファンファーレが鳴る。


 天空騎士隊フィスカ最強、ルシア隊の帰還だ。


 とりわけ沸騰しそうな集団が、叫びながら布を千切れんばかりに大きく広げて蒼天に掲げた。街の北西からは雁の群れかと見紛う隊列で、小さな点の集まりが徐々に大きくなり、フィスカ上空へと押し寄せる。


 先に言った通り、無理矢理連れて来られたから来てみたものの、シンカは正直あまり興味がなかったので、一人離れて、ザクライに教わった売店で餅のような菓子を一串購入する事にした。


『俺にはどうせ見えない』……それにあの盲目の少女が、なんだかシンカを怖がっているように見えた。


「よかったねぇ……無事帰ってきてくれたみたいだねぇ」


 ゆっくりした手つきで串を渡しながら売店の老婆が言った。シンカは老婆に習ってまた空を見る。それは不思議な光景だった。

 大勢の人間が空を舞っている。事前の想像より壮大なパレードは広場の直上で高度を下げ、燕みたいにクルクルと回り出した。ある群れは急降下してまた空に戻り、また他の数十羽が地面すれすれの低空飛行で人々に手を振った。


「ああやって家族や恋人に自分の無事を知らせているんだよ。見てごらん、精霊様も祝福してくれている」


 おばあさんも空を見ながら、孫におとぎ話でも聞かせるみたいに語る。精霊とやらは見えないが、肝心のルシアらしき姿も見当たらない。一番彼女にめざといであろう親衛隊は、なぜか皆シンカの方を見ていた。

 不思議に思った次の瞬間、売店の後方から突風が吹き、後から鋭い鏑矢の音が空気を切り裂いた。


 ほとんどの事には動じないアスミ=シンカも、これには衝撃を受けた。


 他の鳥達が止まって見えるほどのスピードで後ろから一羽の鷹が公園を横切る……と思った刹那、広場中央の噴水で垂直に飛び上がると、そのまま雲の彼方へ消えてしまった。

 間近にいた女集団はもう卒倒しそうな勢いで真上に向かって叫んでいる。

 天空へと飛翔した猛禽は、昇ったときの倍近い速さで垂直に落下して、自分の親衛隊に衝突する寸前で、また方向を変えると王城へ消えて行った。


 一瞬の出来事だった。


「なるほど。ファンクラブもできるわけだ」


 それと同時に、全身に燃え滾る程の寒気を覚える。


「いかんな……」


 シンカの底知れない戦いへの渇望が、理性を越えて体を震わせた。シンカの偽善者たらざる思考回路はこう巡る。


(あのルシアなら、俺の渇きを、絶望を潤してくれるんじゃないだろうか? 今からでも無理矢理に襲って、戦ってしまうか……簡単だ、街中を壊して叫び回ればいい。「出て来いルシア。さもなくばこの国は滅びるぞ」と)


 燃え盛る炎の心中に、シンカはあの無邪気な笑顔を思い出す。記憶の中にあるルシアの屈託のない笑み、暖かい笑みで我に立ち返り、シンカは少年少女の元へと歩き出した。



 盲目の少女は帽子が飛ばないように手でおさえながら、ザクライとまだ空を見ている。


「僕も、いつかあんな天使になれたらなぁ」

「やっぱり、ルシア様には空が一番似合っていますわ。ザクライさんも翼兵志願でして?」

「はい、お恥ずかしながら。まだまだ飛行技術も武具も未熟なんですが。やっぱり憧れちゃうなぁ」

「ルシア様が言ってました。大切な事は馴れとリラックスなんですって。寝ている間やお風呂でもイメージしているそうですよ」

「へぇー。ためになるなぁ」


 ここで串を持ったシンカが何事も無かったかの様に割って入る。ザクライがその餅のような菓子を見て言う。


「それ気に入ったの? 凱旋ちゃんと見てた?」

「ああ。なかなか盛大だな」

「ルシア様すごかったでしょ?」

「ああ、すごかった」


 黙って二人に顔を向けているシェラールは、やはり戸惑っているように見えた。そんな顔を見ていると、シンカはだんだん彼女のそばにいるのが申し訳なくなってくる。


「終わったみたいだし、俺は先に戻ってるぞ」


 背を向けて歩き出したとき、

「お待ちください」

 とシェラールに呼び止められた。彼女の方から歩み寄ってくる。


「今夜のパーティーにはおいでになりますか?」

「行かない。あまり目立てない立場だからな」

「では今から少しお時間頂けませんか? できれば二人きりで……」


 ザクライと目を合わせると、ニヤニヤしながら黙って頷いてくれる。


「ああ、構わない」


 二人が近くにあった、丸太をくり抜いただけのベンチに腰をおろすと、シェラールは話し始めた。


「その……兄は仕事に関してはあまり話してくれない人なので」


(ならば先ほどの『あまり目立てない』というのは失言だったかもしれないな)


「あなたはいったい何者なんですか? 私、なんだか気になってしまって……その、正直、少し怖くって」

「俺もメイロンにはあまり自分の事を話していない」

「なぜ話さないんですの?」


 シンカはシェラールの事をほとんど知らなかったが、外見と先日のルシアとの会話から、ありきたりな先入観を抱いていた。清楚、しとやか、もの静か、上品、そんなイメージだ。

 しかし実際はどうもそう単純なモノではないらしい。未知の恐怖に自分から挑み解決するだけの勇気と好奇心が、この質問を彼女にさせているように思えた。それにルシアとシンカの火種になった件も、彼女のイメージを流動的にしている。


「自分でも曖昧なんだ。自分自身の事が。確証が持てたら話そうと思っている」


 まあ話しても信じてもらえないだろうが、なんて余計な事は言わない。


「まあ、それは……記憶が無いんですの?」

「記憶はある。とにかくだ、いずれメイロンやルシアに話すだろうから、その二人から聞いてくれ」

「分かりました。そういう事でしたら」


 シェラールはそういって微笑んだ。


「アスミ=シンカさんでしたっけ。聞いた事のない、素敵な響きのお名前ね。どういう意味なのかしら?」

「さあ。意味なんてあるのか? ただ、字面だけ見れば『日々を重ね、進歩していく』。そんな意味だろう」

「まぁ、やっぱり素敵なお名前」


 少女は細い両手の指をクロスして嬉しそうにする。シンカは字面よりはいくぶん気取った意味を説明してしまったが、喜んでくれたから良しとした。


「アンタはメイロンの妹だからラヴィー=リー=シェラールか」

「『リー』は兄の官職名です。わたしはラヴィー=シェラールと……そうか、まだ名前も名乗っていなかったんですね。ラヴィー=シェラールと申します。『アンタ』なんて呼ばれるのは嫌ですから、シェラールとお呼びください」


 言いたい事をはっきり言うあたり、メイロンにそっくりかもしれない。


「それは申し訳ない事をしたな、シェラール……どういう意味なんだ」

「昔、神様がいたのです。愛を司り人々に赤い血を与えた女神シェレール。ラヴィーはどういう意味なんだろう。生命とかソウルみたいな意味なんですかね……確かに、聞かれてみると名前の意味なんて分からないものですね」


 そう言いながら微笑む顔がまた、やわらかそうで嫌味が無い。少しは恐怖心が消えたみたいだと安心した途端に、顔がまた曇る。


「シンカさん。兄には気をつけてください。その事を話すためにお時間を頂いたのです。兄は……あなたを国から外に出すつもりはないと思います」


 シンカは黙って考える。ソウルについての知識を少し持った今、メイロンがそのつもりであろう事は重々承知していた。


(むしろメイロン以外にはそのような認識がないのか?)


 可愛がる妹はともかく、ルシアやザクライと連携をとってなるべく国に停めようとするのは自然な帰結だ。そして真に国の為を思うなら、殺す事も已む無しと考えるのはごく当たり前の事だ。


「聞いていますか? シンカさん」

「あぁ、ちゃんと聞いている」


 遠くの方では、ザクライがまだ一人で空を仰いでいる。


「シンカさんはまだ分からないかもしれないけど、あなたのその特殊な体は、戦争ではきっとすごい力になると思うんです」

「逆もまたしかり、敵には絶対に渡したくない。メイロンから直接そう言われたよ」

「そうですか……よかった。兄はすごく真面目だし、国思いだから」


 続く言葉がシンカにはなんとなく予想できた。それを彼女に言わせるのは酷というものである。


「もしそう考えているとしたらメイロンが正しい。気にするな」

「でも……シンカさん殺されてしまうかもしれないのですよ! 何もしていないのに!」


 気遣いは無用だった。『兄はあなたを殺すかもしれない』、少女はその小さな口から力強く言ってのけた。


「罪がなくとも仕方も無い。俺一人と国民皆の生活を天秤にかけるんだから。俺がメイロンでも同じ事を考えるだろう」

「……合理的なんですね」


 シンカはまた黙り込む。


(いや、どうだろうか? 自分の言葉は、メイロン達では絶対に自分を殺せないという自負から来ているんじゃないか? もし自分が弱い立場だったら? この可憐な少女の言葉に震えあがって、今夜のパーティーの活気に乗じて、この街から逃げ出さないと言いきれるか?)


「シンカさん……いますか?」

「ああ。ここにいる」

「ごめんなさい。わたし、いるのかいないのか……分からないとなんだか不安になってしまって。こんな事初めてで」


 シンカは彼女を見ながら、メイロンがこの妹のために退役した事に頷く。不安そうな表情をした時の、消え入りそうな儚さは見捨てておけない。大男はベンチから立ち上がった。


「とにかくだ。俺は今のところ他に行く当てがない。しばらくはメイロンやルシアの下で働いてみるつもりだ」

「そうですか、よかった」


 少女はほっとしたように笑った。たぶん兄が人殺しなんかしなくて済みそうでよかったんだろう。シンカは勝手にそう解釈した。


「ではこれで、本当にいなくなる」


 それだけ言ってザクライの下に戻ると、何を話していたのかあれこれ聞かれたが、そのほとんどを無視して城に戻った。




 帰る途中、城に掛かる橋の上で、シンカはすれ違う一人の男が妙に気になった。

 褐色の肌に、赤い髪。自分より巨軀の男を、彼はこの国にきて初めて見た。

 そしてこの国に来て二度目にして、本日二度目の情熱的な感情に身を焦がした。


(……あの男も強そうだ)


 大きく、しかしどこか哀しげな背中は、街の方へと消えていった。

※ルシアのスピード……彼女の最大の武器とも言えるのがこの素早さである。ソウルの『モノを創り出す』という枠組みを大きく越えた希有な力と言える。

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