第14話 生命の存在理由
(ルシアは無事だろうか?)
アスミ=シンカはひとり、城壁の自室でソファーに体を預けて暗い石の天井を見上げていた。そしてふと同じ様に天井を見上げていた日の事を思い出す。
それがもう1,000年前の事なのか、違う世界の出来事なのか、シンカにはわからなくなっていた。
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とにかくシンカは、育ての親である博士の家の天井にぽっかり空いた四角い窓を眺めながら、博士と会話をしながら考えていた。
(生物には、一つだけ神に約束された未来がある。それは『いずれ死ぬ』という事だ)
「ならなぜ生きているんだろうか? と、今日までに生まれてきた知的生命体のほとんどが、そう考えたんだろうな……」
ソファーの大の字になって何気なくシンカは聞いてみた。
博士の家は開放的だった。初めて尋ねた時からシンカは『窓ばっかりだな』、そんな安直な第一印象を持っていた。広い平屋の一戸建ては、海を見渡す絶景が気に入って購入したそうだが、シンカは『地震が起きたら危ないだろう』とか、『こんな辺鄙な立地では不便だろう』なんて人並みの見解しか持ち合わせていなかった。
博士はキッチンで、コーヒーを淹れながら、フラスコでも覗く様に黒い液体を覗き込んでいる。
「生物の発生は『偶然』。最適な条件下で生命的な活動を始めるアミノ酸の発生は、実験で確認されているよ」
そう背中で答えた。
「つまり生きている意味なんて無い?」
「『この世界に意味や価値の無いモノなんか無い』なんて言う人々がいるけれど、僕の考えはほとんど正反対だね」
博士はまどろっこしい人だった。シンカは天上を見たまま、全く同じ台詞を繰り返す。
「つまり生きている意味なんて無い?」
「ところが! そうは問屋が卸さないんだ!」
振り向いた博士は、カップ二つを右手に、コーヒーポットを左手に、嬉しそうに宣言した。シンカの目の前にはソーサーだけが二つ置かれている。
しばらく黙っているシンカを見て、さらに嬉しそうに顔をニヤニヤさせる博士。
「シンカ。君はそうやって仏頂面で、僕が語り出すのを堂々と待っているように見せかけながら、内心『どういう発想でそんな思考に至るんだろうか?』と、不思議に思って頭を巡らせているんだろう?」
「いいから早く話してくれよ」
「君が答えてくれなきゃ、僕も答えないよ?」
……言ってしまえば、博士はとても面倒な人だった。
「その通りだ、不思議に……不可解に、不可思議に思っていました」
「よろしい」
向かいのソファーに腰を下ろすと、カップを置き、シンカの分のソーサーを指で押しやり、得意げに続ける。
「僕の考えはこうだ! 『我思う、故に我あり』」
「なぁ、頼むから分かりやすく言ってくれよ。俺は博士みたいに頭が良くないんだ」
コーヒーのいい匂いと、それが注がれる音がする。
「デカルトは全てを疑ってこの結論に辿り着いたと聞くが、我々はそんな極端な事をする必要はない。なるべくでいい、疑ってみるんだ」
「頼むから俺に分かるように言ってくれよ……」
シンカが呆れて、半ば機械的に繰り返すと、博士も漸く真面目に取り合い始める。シンカはブラックのままカップに口をつけ、博士の話に聞き入った。
「人類は、強固な精神と知性を持ち、地球の自然環境では起き得ない現象を様々に引き起こしている。人間的な活動の大半がそうだと言っても過言じゃあ無い。つまりはだね、シンカ……『偶然にしてこんな事が起き得るんだろうか?』という事だよ」
アスミ=シンカはそろそろ混乱し始める。話が脱線し始めていやしないだろうか。直接、端的にしか言葉を紡げない彼にとって博士の話し方はひどく煩わしかった。
「話がまだ見えてこないな」
「知っての通り、僕はキリスト教徒だ。でもずっと神様なんて信じて来なかった……何故かと言えば、それは『存在を証明するものなんて何も無いし、何より胡散臭かったから』だ。でも学を得て、没頭し、堂に入るに連れて、段々とその考え方は逆転した」
人類は偶然にしては出来過ぎている。だから神に導かれている。だから意味がある?
「話がやっと見えてきた」
「そう。世界を知れば知る程、その偶然の奇跡的な価値に、僕は意味や必然性を見いださざるを得なかったんだ!」
ここで、シンカの中に一つの疑問が生じる。彼がすぐに思いついたんだ、博士が考えていない筈は無い。しかし聞いてみる。
「『上手く行っていなければ、人類自体存在していない』。それだけの事じゃないのか?」
「君のような考え方を、一般的に『人間性原理』、『弱い人間性原理』なんて呼ぶね。僕のモデルを仮に『神が創りたもうた世界』とするならば、君の人間性原理によって導き出された世界は『偶然上手くいった世界』だ」
「どう違うんだ? そんなもの区別する事が出来るのか? 同じ事じゃないのか?」
「その通り。結果と未来において区別は難しいかもしれない……ただし過去において、僕の考えは他のモデルを必要としない」
「……? 俺の言った『偶然上手くいった世界』とやらは?」
「その考えでは、ここに至るまでの、『偶然上手くいかなかった無数の生命や世界、あるいは宇宙』の存在を暗に認めなければならない」
「……なるほど」
そうは言ったが、シンカは実は理解が追いついていない。博士と真面目に話す時は大抵こうなるから、頭がフル回転して大変だった。
「僕の考えをまとめよう。神様が作ってくれたこの世界で、特別な力を持ち始めた人類に、もし仮に、なんらかの意味があるとしたら?」
「……さあ? 次の神様でも探しているのか?」
その図体にはあまりに小さいカップの中の、半分程残った黒い液体に、少しだけ砂糖を入れる。博士は微笑んで続けた。
「もしかしたらそうなのかもしれないね……でも僕らの時代には、そんな答え導き出す事は出来ないだろう。たぶんあと数千年あったって辿り着けやしない。それを導き出す事こそ、人類の一つの到達点であり、宇宙の真理に繋がる鍵になると、僕は考えているんだ」
シンカには話が壮大すぎる。
「じゃあ俺の人生にはあまり関係の無い事だな……」
「それが他人事じゃあないんだよ、シンカ! 君こそ、そこに至る重要な近道なのかもしれないとさえ僕は考えているんだ!」
シンカは思わず爆笑してしまった。急に冗談を言い出すその唐突さがツボだった。
「なんだそれ! それじゃ俺はまるでかの有名な、黒いモノリスみたいだな!」
「なるほど、モノリスか……上手い表現をするね。言い得て妙だ……」
シンカは冗談のつもりで返した言葉だった。しかし博士は真剣に悩み始める。
生真面目に感心して考え込む博士を見ているうちに、シンカの笑いの波も引いてしまう。
「博士、俺にそんな力や可能性はない。買い被りもいいとこだ。当たり前だが冗談だ、気にしないでくれ」
「宇宙人が人類を模して作った……あるいは時空的に遠くから来た人類そのものとか……」
博士が真剣に頭を巡らせ始めると、もう誰の言葉も届かない。一人でぶつくさと思考の海溝に耽ってしまう。
こうなるともう駄目だ。周りがやかましくすると怒ったり逃げたりして、考えに区切りがつくまでは己の世界を出ようとしない。
シンカは黙って、飲み干したカップを洗いにキッチンに発った。
洗い終え戻ってくると、博士のコーヒーカップは乾いていたが、ロジックの海へのダイビングからは、未だ帰ってきていない様だった。
博士のカップと、もうほとんど残っていないポッドを持って、もう一度キッチンへと行こうとした時、博士は急に口を開いて、こう言ってのけた。
「シンカ。この際だからはっきり言っておこう……君はさっき笑ったけど僕は本気も本気、大真面目なんだ。理由は二つある。まず君の遺伝子には必要以上に多くの情報が組み込まれ過ぎている。これを何かのメッセージと受け取らない方が、生物学者としてどうかしている……」
一人言のように続ける。
「二つ目は君の特徴的な形質だ。人類のために神が遣わされたと紛うほどの理想的人類……これは何を意味してるのかな?」
シンカに言わせればこうだ。
『一つ目はよくわからん。そもそも人間を作る情報が塩基四つで構成されているなんて事自体よく分からん。二つ目は博士の思い過ごしだ。俺にそんなすごい力は無いし、理想的な人類でもない。』
彼はそう思いながら、何も言わずにシンクへと向かい、カップとポットを水に浸した。
正直、可能性やら云々については、どうでもよかった。ただ博士が生命の生きる意味に関して、『価値のあるものだ』と、間接的にでも言ってもらえたのがシンカは嬉しかった。もっと言えば、『自分の生きる意味に関して』だったかもしれない。それを感じながらする食器洗いは、とても楽しかった。
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そろそろ現在の話に戻ろう……今日はルシアの凱旋の日らしい。
ザクライが、
「絶対寝坊しちゃ駄目だよ!」
なんて言っていた (ザクライにとっては)大事な日だ。
シンカは特に急ぐ事もなく支度を済ませると、のっそり広場へと向かう事にした。
※モノリス……映画『2001年宇宙の旅』に出てくる黒い板。それは猿に知性を与え、人間への急速な進化を促した。
※シンカの情報……博士の言動からも分かるように、アスミ=シンカは元の世界においても『普通の人間』では無かった。というより、遺伝子から見る彼は、人間とは全く別の存在である。