第11話 クヮコーム牽制戦① 〜三つの関門〜
『大国フィスカに六枚の翼あり。この国、翼兵まこと多く、三人歩けば一人は天を舞う者也。
一度その軍大挙すれば、あに壮観ならんや。天空より飛来し、刃の豪雨を降らせん。平地において敗北を知らず、未だ王都を陥落せしめた国は無し。
水宝玉、深紅桜、銀鷲旗、金十字、黒獅子、白天使。
神話より授かる六枚の翼あり。平野に構える城塞を守護する勇姿、鬼神の如き天使達也』
フィスカが本に載る際、特に軍を紹介される頁は、大抵このような書き出しから紹介される。
その中でも実質的最強戦力の白天使、ヴィセッカ=リート=ルシア率いる本隊は、街の中央の往来からその進軍を開始した。今回の遠征の目的は西の敵国クヮコームの威嚇と牽制に主眼を置く。
ルシア本隊が戦線に加わる事でフィスカ側の本気を示し、相手の士気と前線を下げるための出動であり、往路で丸三日、復路は飛んで帰るので半日という比較的短い遠征の予定だ。
ソウルを用いた戦闘の性質上、弱い兵を多く集める意味合いが非常に薄い。少数精鋭、約二百の騎兵と五百の翼兵が街の中心を闊歩する。騎馬は先立って戦線を維持する騎馬隊、『銀鷲旗のノーアルム』隊に渡すもので、本隊は例外なく翼を持ち、空を主戦場とする天空の兵団である。
だがその進軍は前途多難。まず例外なく毎度毎度、街を出るのに苦労する。
今日も、店の商品を半ば強引に渡してくるパン屋の主人や、一緒になって行軍のマネゴトをしている子供達が見送りに来た。兵も兵で真面目に取り合って、逐一礼を言いながらパンを受け取り、将来の後輩達を笑って見守っているから進軍が遅れる。普段から楽観が過ぎるルシアでさえもこれを問題視していたが、叱咤出来ない原因があった。
……街の外まであともう少しという所で、例の如くそれは待ち構えていた。
「あんなにファンがいて羨ましいですね。ルシア隊長は」
すぐ横でそう言った側近の女の声も、ほとんどかき消されて聴こえないほどの、激励の嵐が吹いてくる。皮肉な事に、フィスカを守護する天使のファン達、通称『親衛隊』が騒いでいるのだ。馴れない馬上でルシアは答えた。
「女の子にモテてもねぇ……そりゃあ悪い気はしないけど」
横を通る際、ルシアが申し訳なさそうに手を振って返すと、嵐はよりいっそう激しさを増す。
「殿方のファンだって、きっと数えきれないほどおりましょう」
「だといいんだけどね。それにしたって……毎回毎回どうやって嗅ぎ付るんだろ?」
ルシアは振り返って見た。自分で読むと恥ずかしくなる横断幕の周りに、ざっと四〜五十人分の女の顔がある。街を出てからもしばらく声は響いていた。
……ルシアが普段使いの笑顔を見せるのはここまでだ。これより先は何年も前から叩き込まれた隊長としての言葉遣い、隊長としてのルシアになる。
「各小隊、点呼の後報告! これより進軍を開始する!」
ルシアはいつもより低い、統率に相応しい号令を張った。
敵は西方の山脈を越境し森中から街や軍に奇襲を繰り返すクヮコームの山岳部隊。山賊部隊と言ったほうが分かりやすい。略奪に味を占めて、本当に野盗に身を堕としたものも多いという話だ。
ルシアはフィスカと平和が大好きだ。この地を荒らす不遜な輩が、未来永劫このフィスカに足を踏み入れたくなくなる恐怖を植えつけてやるつもりでいた。
ルシアは戦いも、人が死ぬのも大嫌いだ。 願わくば、双方なるべく被害を出さずに、相手から手を引いて欲しいとも考えていた……
その両立が難しい事なんて知っている。だからルシアはそんな事おくびにも出さず、内なる願望として胸にしまい込んだまま、凛とした面持ちで隊の指揮を取る。
出立してすぐ、平原で第二の関門が落ちていた。それはたった一本の木だ。
「ルシア様! あれを……」
そう言われて見た大木は、この世のものとは思えない異様な有様だった。まばらに生える樹木の中で、その木だけが根元から跡形も無く粉々なのだ。
そこら中に細かい破片が飛び散り、大鋸屑おがくずの山を築いている。
それだけならば気に留めるまでもないが、その木はまだ成長を望むかのように、ソウルを現にしているのだ。生い茂っていた頃の形をそのままに、根から先をソウルだけで形成している。
「まるでソウルの木ね」
「いったいどうやったらこんな事に……」
側近の一人が、懐疑と戦慄を言の葉に込めた。ソウルと生命が別々に引きちぎられている……それはあまりにも異常、異様にして奇怪な光景だった。
「今の私達には関係の無い事だ。城に伝えるだけで良いだろう」
ルシアがそう答えると、近くの一人が急いで伝令に飛び立とうとする。ルシアは「待って!」と大声で呼び止めてから、伝令を手招きして内緒でこう伝えた。
「これは命令だ。この事案は事務管長のメイロンにだけ伝えて欲しい。そして戻ったら直接、私にだけ報告に来るように」
不可解そうにしながらも、了解した伝令は勢い良く飛び去っていった。
さて、第一関門、民の手厚い見送りから半日も経っていないというのに、第三の関門がかなり遠くに姿を現した。二十軒ほどしかない小さな集落から煙が立ち昇っている。
この世界において、人の目の届く範囲における火事は非常に珍しい。小火程度なら大抵のソウルで消してしまう事が出来る。
村にはたいてい一人くらいは火消しを得意とする人間がいるし、王都フィスカには『火消し隊』という軍とは別の組織があるため、大火事に発展する事はほとんど無い。
「消火の出来るもの4、5名を含む十五人で適当に小隊を再編成して向かわせて。他は休憩とする」
ルシアはそう告げて、本陣で小隊の帰りを待ちながら、溜め息をついた。
「こんな調子じゃ、今夜中にノーアルム隊に合流できないわ」
しかし小隊は意外に早く帰還し、意外な報告をもたらした。
「火は全て消えておりました! クヮコーム兵に襲われ、火を放たれたという話です」
「……? 何故こんなに帰りが早い? 怪我人は?」
「一人もいませんでした」
「一人も?」
「はい! なんでも旅の男が忽然と現れて、戦いもせずにクヮコームを撃退してしまったそうです」
「……詳しく話せ」
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一部始終を見ていた村の若い男の話だ。
昼前、なんでもクヮコーム兵達は草原に馬を駆り、松明やら物騒な武器を手に急襲したらしい。その雑な作戦内容から見ても野盗に近い連中だろう。西から野蛮な獣が村に雪崩れ込み、村の若い数十人が迎え撃とうかという、まさにその時だった。
突如クヮコームの馬達が嘶き、足並みを乱し始める。
両陣営の人間達は、北から流れてくる膨大にして莫大なソウルに遅れて気付いた。それは冷たい鉛が体中の血管に流れ込むような、身の毛もよだつソウルであったという。
ある賊は暴走した馬から振り落とされ、ある者は自ら手綱を取り尻尾を巻いて逃げ出した。男が悠々と歩いて村に入った時には、そのソウルの重圧だけで、半分近くのクヮコームが逃げ出していた。野盗だけではい。ソウルの弱い村人の中には、息苦しさを必死に堪え、立つ事さえままならない者までいた。もう半分の蛮勇果敢な馬賊も、その男の姿を見るなり、正体に気付いたのか血相を変えて逃げ出したと言う。
「なんでぇ、せっかくドンパチ出来ると思って来たのに……もう終わってた?」
第一声、男は低い声であっけらかんとそう言い放ち、肩に背負っていた巨大な剣を納めた。
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話はそれで終了だ。煙はその時、賊が落としていった松明に気付かず、小火になっただけらしい。
ごく短い間村に滞在し、王都フィスカの場所や、強い武人の話を聞いて回ったその男は、褐色の肌に入れ墨、赤黒い髪に、巨軀と大剣という、豪壮にして豪快な出で立ちだったという。
「ゴアね……」
「ゴアですね……」
ルシアと側近は口を揃えた。
キヴの大英雄ゴア……軍や戦に携わる者で、この名を知らない者はいない。曰く、地上最強にして史上最強。現在の地上最強位にして前人未到の八連覇を達成した生ける伝説。この記録は今なお更新され続け、彼が死ぬまで続くとまで言う者も少なくない。
キヴ人の証である紅い髪と褐色の肌、トレードマークである巨大な剣はあまりにも有名だった。
「物質化せずとも戦えるという噂も、あながち与太話では無いらしいな……」
「南下してフィスカに向かっているという噂も本当だったようですね」
また王都に伝令を送らなければならない。矢の如く飛び立った第二の伝令と入れ違いに帰って来た、前の伝令の報告はこんなものだった。
「メイロン様からの伝言で、『問題ありません』だそうです」
「そうか、分かった。なら良い」
ルシアは今日何度目かの溜め息に愚痴をこぼした。
「まったく……どうしてこう、旅の武芸者達っていうのは問題を起こすのかしら」
予定到着時刻には遅れたものの、次の日の夜にルシア隊はノーアルム隊になんとか合流する事ができた。
明日にはもう戦闘が始まる。
※奇怪な大木……シンカが鍛錬の為に素手で削り取り、破壊した木。樹木のような生命力の強いものは、倒れたり折れたりしてもしばらくはそのソウルを散らさない。ちなみにこの後、シンカはメイロンにこの件でとっても叱られる。