第10話 お酒を飲もう!
その酒場はフィスカの民に人気の安居酒屋で、国内に七店舗を構える大手だった。灯りは少ないものの、一面石灰の白い壁に照り返され、それほど暗くは感じない。
シンカとザクライは二階の角の席に腰を落ち着けて、もう二杯目の酒に手を伸ばしていた。
「僕はね、ルシア様みたいな騎士になるのが夢なんだ……でももう駄目かもしれない。昨日メイロン様から直々に言われたちゃったんだ。『退役してこちらにきて欲しい』って」
陶器のジョッキを傾けながらザクライは寂しそうに呟く。酒のせいか、ザクライの口数は多くなっていた。酒をのんでいる客は他にも大勢いたが、周りの会話を気にしている者は一人もいない。
木製のテーブルにはザクライが注文した野菜やら肉が並んでいる。シンカはそれに手を伸ばしながら、悪びれる様子もなく返事をする。
「それは申し訳無い事をしたな」
「ホントだよ! 僕ホントはルシア様みたいな騎士になりたいのに」
同じ事を二回言う程度には酔っているらしい。シンカは本心から申し訳無い事をしたとは思っていたが、反省のしようもない。まるで過ぎ去った昔話みたいにザクライは続ける。
「でもシンカに会わなくても、ルシア様みたいにはきっとなれなかったな」
「今から努力したのでは駄目なのか」
少年のつぶらな瞳がシンカを覗き込む。
「僕がなんで兵舎に一人でいたか分かる?」
「さあ」
シンカは彼が一人で兵舎にいた話さえ初耳だ。憧れのルシアに急に呼び止められて、さぞ緊張した事だろう。
「僕が所属してる養成部隊は今、野戦訓練の最中なんだ……けど僕だけ未熟だから参加できなくて」
「なるほど。命の危険があるから仕方無いんだろう」
「それもあるけど。稚拙なソウルほど覚醒しやすいんだ」
覚醒という言葉が何を指すのか、よそ者のシンカには全く分からなかった。
「なんだ? 覚醒って」
「シンカには言っても分からないし、関係ないよ……とにかく僕は未熟な落第生って事」
その言葉とともに、少年はそっぽを向いてしまう。シンカは話題を変える事にした。
「なぜルシアに憧れる」
「すっごくカッコイイんだよ! 誰よりも速く、高く飛ぶあの優雅な翼、冷静さ、戦場での勇姿。まさに一騎当千! フィスカの民はみんなルシア様に惚れてるんだよ! それにキレイだし!」
向き直ったザクライは、舞台劇みたいに全身でルシアを賛美し始めた。
シンカは陶器のジョッキを傾けながら今の言葉を反芻する。奇麗? 冷静? 戦場での勇姿? なんだか平素見るルシアの印象からは想像もつかなかった。
「俺にはよくわからん。見えないしな」
「そっか……でも見えたらきっとそう思うよ!」
シンカはルシアに『君とは戦えない』と言った事を思い出す。今思えば軽率な発言だったかもしれない。彼女の細い体と雰囲気だけで、侮っていたんじゃないだろうか?
「なあ、この世界では女の方が強いのか?」
「そんな事無いと思うけど。今の地上最強位は男の人だって聞くし。フィスカの兵も確か男女ほぼ半々だよ。なんでそんな事聞くのさ? まるで別の世界から来たみたいな言い方して」
「その可能性も……あるかもな」
(兵の比率が男女半々……こんな現象もソウルが引き起こしているんだろうか?)
シンカはジョッキを呷った。この国の酒は薄い。料理の味も薄い。
ザクライは飲み干すのを確認してから、「すいません! おねえさん、ジョッキもう二つ」と勝手に酒を注文し始めた。
(その若さでそんなに酒を飲んでもいいものだろうか……)
「金は大丈夫なのか」
「大丈夫ダイジョーブ。さっきも言ったけどメイロン様にお金いっぱいもらってきたんだから」
今日一日で、シンカのザクライに対する印象はずいぶん変わった。別段悪くなった訳では無い。お堅そうな印象がスッパリ抜け落ちて、若々しいイメージがさらに強調された。
新しいジョッキが運ばれてくるのを待って、この国に不慣れな異邦人は数えきれない疑問から一つを摘み出す。
「ルシアは遠征という事だが」
「西のクヮコームとね。勢力と土地の争いで……かれこれ四百年近く争っているっていう話だよ」
「それも全てソウルで戦うのか?」
「もちろん! だって相手がソウルの鎧に身を包んでいたら、ソウルじゃないと刃がたたないもの」
シンカにはその説明が上手く実感できなかった。
「四百年も戦って、解決の糸口が見えないのか」
「なんでもルシア様の先代、ソレイル様が総隊長だった頃に和解しかけたらしいけど……あと一歩のところでソレイル様がいなくなってしまったって話だよ。僕はまだ小さかったから、聞いた話でしかないけど」
ソレイルという名前はシンカでさえ知っていた。数年前まで天空最高位を勤めていた人物でありながら、既にその名を歴史書に刻んでいる偉人だ。
その本によれば、
『この力を後世の人々の為に役立てたい。私は世界の全容を人々の知るところとすべく旅に出る』
と、世界を測量するために旅立って以後、行方不明であるという。
以前、地下牢でルシアが渡してくれた地図の一枚にもソレイルの名が記されていた。要は『ありがたい男』だ。
「ルシアでは無理なのか」
「可能性はあるよ! なんてったってルシア様はソレイル様の秘蔵っ子。実力ではフィスカ史上最強って言われてるんだから!」
ザクライが一人でやたらと喋ってくれるのでシンカは楽だ。
『あのなザクライ、史上最強なんてヤツは十年に一度くらいの頻度で騒がれるのが世の常だから、あまり鵜呑みにしない方が良いぞ』
なんて長いセリフを言う必要も無い。
「でもルシア様だけじゃね……今は優秀な軍師がいないんだ。メイロン様が有力視されてたんだけど、退役なさってしまったから」
どうやら和解の道は、今のところ考えにないらしい。
「なぜ辞めたんだ」
「妹さんのためだよ。妹のシェラールさんは、メイロン様以外に身寄りが無いから。万が一の事を考えて第一線から身を引いたんだ」
「あいつ妹がいたのか」
「何言ってるの? シンカも一緒にいたじゃないか。ルシア様と一騎打ちの時」
「……え”っ?」
思わずまぬけな声が出る。あの場にはルシア以外の女は一人しかいなかった。ルシアがシェラ、シェラと呼んでいた目の見えない美少女。確かに身寄りが無くては色々と不便そうである。それにしても……
「似てねぇ」
独り言が思わず口をついて出てしまう。
「噂ではそれを言うとメイロン様喜ぶらしいよ。自分に似てなくて可愛いだろ、って」
「まったくだ」
「シェラールさんはビックリしただろうね。彼女、髪の毛みたいなソウルを操って周りを感じてるって話だから」
「……なるほど、そういう事か。確かに俺には気づいていない様だった」
シンカはそれで色々と納得した。初めて見た時から、ルシアに走り寄る彼女に違和感を持っていた。
城門でも初めて声を出したシンカに驚いてルシアの腕にしがみついていたのだ。あの透き通る歌声が聴けたのも……
「惚れた?」
下からこちらを覗き込み、そう言うザクライの顔がにやけていた。シンカは名前も知らない野菜をフォークで刺す音で返事の代わりとする。
「これも噂だけどシェラールさんはルシア様にほの字らしいから。きっと無理だよ」
何がきっと無理なのかよく分からないが、ザクライが言うのだからそういう事にしておけばいい。シンカには気になる事が他にあった。
「色々と噂に詳しい様だが、どこで情報を仕入れてくるんだ」
「いろんなところからだよ。ルシア様やメイロン様はこの国じゃ有名人なんだから。今だってきっと、そこいらのおばさん達が話の種にしながら市場で買い物してるんだよ」
シンカはフォーク……というより二叉の串に刺さった野菜を眺めたまま黙った。ザクライも慣れてきた様で、だんまりの彼を気にしなくなっていた。
「今度は僕が質問する番!」
(いつの間に交代制になったんだ?)
「んー……」
(先に質問を考えておけよ)
「シンカは……あ! 質問! シンカはこの前どうやってルシア様と戦うつもりだったの?」
「あまりでかい声を出すな」
「あ、ごめんごめん」
ザクライが辺りを見渡すが、他人の話を聞きに居酒屋に来ている人間などそういるはずもない。
「素手で」
「素手? 素手で人が倒せるの?」
「わからん」
ザクライが言うところの『人』が素手で倒せるのか、シンカにも分からなかった。
だが興味はあった。自分がソウルを持つ者を攻撃出来るのか? その逆は一工夫すれば出来そうだが。
「今度は俺の番だ。精霊について詳しく聞きたい」
「精霊? 精霊って……すいません! これと、あとジョッキもう二つ!」
酒好きの少年は、ひとつ区切ってから続ける。
「精霊はね。意思を持った雲みたいな感じで、空をユラユラ飛んでるんだよ。たまに街に降りてきて……ただ通り過ぎて行くんだ」
「通り過ぎるだけか? 本には触れないと書いてあったが」
「そうだね。でも彼らのソウルは感じるんだ。僕たちの体を通りすぎる時にね。風が吹いて気持ちいいんだよ」
触れないのに風を吹かすというのもおかしな話だ。
「ソウルとはいったい何なんだ?」
陶器の中の残り少ない液体を覗き込みながら、シンカは独り言のつもりでつぶやく。
「言われてみれば不思議だけどさ。『なんで目が見えるのか』とか『どうして匂いを感じるのか』なんて分からないでしょ? それと同じだよ」
(なるほど、確かにその通りかもしれない)
シンカは知識や教養として視覚や嗅覚の原理を知ってはいるが、もし二百年前に生まれていたらザクライと同じような認識を持っていただろう。彼らにとっては五感と同じレベルで、本能でソウルなる力を操っているのだ。
そう考えた集約として「なるほど」、とごく短い返事をした。また酒が運ばれてくる。少年はシンカを見ながら、急に思いついた様に言った。
「シンカってさ……無口だよね」
「今さらかよ……」
少年の遅まきな意見に、無口なシンカにしては珍しく、思った事をありのまま言って笑ってしまった。