第9話 街へ出かけよう!
見慣れぬ異邦人と少年兵では目立つので、二人は橋の上で口裏を合わせた。今日は『休暇を楽しむ卒兵二人』の体である。
「それにしてもシンカは本当に謎の多い人物だなあ」
ぎこちない言葉を先に繰り出したのはザクライ少年だった。
「そうか? 俺にしてみれば周りが皆、変に見える」
「メイロン様にあまり追及するなと言われているから、僕は詳しく聞けないけど」
じゃあ聞くなよ……シンカはそんな風に思わない事もないが、彼が努めてひねり出した言葉を無碍にはしない。
それより『この少年は平常こんな話し方をするのか』と、意外に思った。彼の若々しく背の低い、どちらかと言えば女性的な風貌には似合っている。
「誰にも言わなければいい。できる範囲で俺は答える。俺も色々聞きたい事があるからな」
「さっきもそんなこと言ってたけど、何が知りたいの?」
「色々だ。この国の事、人々の生活、習慣、街の様子、歴史、ソウルの事、動物や植物も見たいが……まず食事がしたい」
「ホントに色々だね」
ここで会話が途切れてしまった。シンカは別に何も感じなかった。以前シェラールと共演した沈黙の方が十倍は気まずかったが、相手はそうでもなかったらしい。
「その……さ。シンカはどこから来たの?」
「俺も分からん」
「なんでソウルが無いの?」
「さっきも言ったが、俺にしてみればこれが普通なんだ。逆になぜソウルがあるのか聞きたい」
「それは……だって僕たちはソウルがあるから生きているんじゃないか。無ければこんな会話も疑問も生まれないし」
「今、現に発生しているが」
また少し沈黙が訪れる。
「だから不思議なんじゃないか。シンカは……」
少年兵の顔が不安で満たされる。
「シンカは生きてるん……だよね?」
この世界の論理的思考から言えば、これは誰もがシンカに抱く自然な疑問だった。しかしシンカは戸惑う。
『あなたは生きてるんですか?』なんて質問をされたのは、生まれて初めてだった。
「さあな。何をもって『生物』とするかに依るだろ。別に俺は自分が死人でも構わんが」
ザクライの不安の色は段々濃くなってくる。それはもう恐怖に近くなっていた。
「じゃあ……シンカは死なないの?」
「いや、普通に死ぬだろう」
「どうやって?」
シンカは自分が元いた世界とは違う世界に来てしまった事を改めて実感した。全く違う世界ではない、ほんの少しだけズレた世界だ。
「どうって、死に方なんて色々あるだろ。病気なり事故なり寿命なり」
「なるほど、そっか。ソウルで治癒する事も、身を守る事もできないのか」
少し納得したらしい。ここまではシンカが本で読んだ通りだった。
生物はソウルでもって生命と魂を維持している。下等な動物や植物であってもそのソウルで身を守ったり、怪我を治癒する術を心得ているものがほとんどであり、大型動物であれば爪や牙の延長としてソウルを具現化する。
さらに歴史の本によればその段階で人間とその他の生物の道が大きく別れたともある。より高度な知能を持つ人間だけが、より複雑で有用なものをイメージによって創りだし繁栄した、と。武器や防具、ルシアの翼がそれである。他にも船や家までソウルで創る者もいるとかいないとか。
……にわかには信じ難い、とシンカは思う。
会話をしている間に、豪勢な一軒家が立ち並ぶ貴族街を過ぎようとしていた。人通りも多くなっている。突如、眼前に広がったパノラマに、大きな異邦人は息を呑んだ。
小高い王城方面から眼下に見渡すそれは、昔写真で見た外国の街並を連想させる。全天を透明な青で潤した、高い高い青空の下、白い家々が織りなす三次元のモザイクに、心を打たれてしまった。遠くに見える海が青かった。
こんなに美しい世界に来られたのだ。いつかの絶望なんて、いずれ取るに足らないものに感じる日が来るかもしれない。この街ではどんな人達が、どんな生活を送っているんだろうか? そんな事を考えているだけでシンカの心は弾んでくる。
だが、街を散策する前にしなければならない事が一つだけあった。
「今度は俺の質問だ。とりあえずこの辺でうまい料理が安く食える店を教えてくれ」
ここにきてからというもの、シンカはその旺盛な食欲をずっと我慢していた。
「よくある食堂でよければ案内出来るけど……」
「そこでいい」
「任せておいて! メイロン様にお金いっぱいもらってきたんだから!」
ザクライ少年の笑顔は、なんとも言えず、少女のように可愛らしかった。
〜食事の後〜
シンカの腹も一杯になり店を出た時、ザクライはちょっと泣きそうな顔になっていた。
「僕、メイロン様に急いで相談してくる」
「いや、いい。もう何も買わなければいいだけだ」
「大丈夫、飛べばすぐだから! それにシンカの事で困った事があったら、なんでも相談するように言われているんだから!」
「ではここで待っている」
ふらふらと飛んでいくザクライ少年を見送り、シンカは近くのベンチに座って考えた。
(気の毒な事をした。自腹まで切ってもらって。自分の金が無いというのも不便だ。『お金はたくさんもらった』とか言ってたしな……食い過ぎたか?)
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城に着いたザクライは本当に申し訳なさそうに、メイロンに伺いを立てる。
「先ほど頂いたお金が尽きてしまったのですが……」
「さっき出て行ったばかりじゃないですか!」
「アスミ殿が大変お腹を空かせていた様でして」
ザクライが領収書を申し訳なさそうに見せる。古文書の切れ端かと見紛うほど字の詰まったそれを、メイロンはコーヒー豆でも噛み潰したような顔で受け取った。
「ここって下町の割と安い店じゃ……」
手に取った領収書に目を細めて、メイロンは大の男三、四人が盛大に宴会をする光景を鮮明に思い浮かべた。
「裏面まであるんですが……」
裏を返すとその人数が五、六人に増殖する。メイロンは興味なさそうに想像し終えてから、それをザクライに返した。
「まぁいいでしょう。あの男が今更どれだけ食べようが不思議はありません。この際だから、経費で彼の限界でも計ってきてください」
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そんなやり取りを経てザクライが繁華街へ戻ってくると、大食い男が店内にも近くにもいない。辺りを見渡すと、服装を変えても目立つ大男は少し遠くで老人と会話していた。ちょうど終わって会釈しているところだ。
「ザクライ、戻っていたのか」
「何話してたの? あのおじいさんと」
「この町の歴史や古い建物について聞いていた」
「さっきからなぜそう古い物にこだわるのさ。好きなの?」
「自分が知っているモノが無いか探しているんだ」
ザクライは少し考え込んでから、首を傾げて聞く。
「じゃあシンカはすごく昔の人……なの?」
シンカはザクライに向き直る。
「なあザクライ。その事については俺自身、今のところ確証が持てないんだ。自信を持って話せる様になったら隠さずに言う。だから今は聞かないでくれ」
彼にしては長い説得を聞いたザクライは、一旦閉口した。しかし少しすると独り言のように呟く。
「昔の人はソウルが無かったって事かなぁ……」
シンカはもうこれ以上は無視する事にした。
その後、シンカとザクライは定食屋、服屋、靴屋、パン屋など、あわせて十数軒の店を周り、大食漢の大男は食品系の店では一軒たりと逃さず何かしらを食べ、他では何も買わずに、ただ眺めるだけ眺めて店から店へと渡り歩いた。
知らない世界を好き勝手に見て周るというのは、シンカにとって想像以上に愉快で好奇心をくすぐられる冒険だった。
あらかた満喫し終え、最後にザクライが案内してくれた居酒屋に入った時、日はとっくに暮れ、路地に並ぶ夜店は松明やランタンの灯りで煌々としていた。
※フィスカの街並……丘の上からシンカが見下ろした街並は、シチリアや南イタリア沿岸部の歴史的なそれに近い。