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こんにちは

 サーベルタイガーが窓枠を乗り越え、泥土で固めたかまどの上部に前足を載せる。

 大して薪をくべていなかったので、残念ながら虎が熱さのあまり飛び上がるなんて幸運は起こらなかった。


 それでも侵入する敵が不安定な体勢だった瞬間が、攻撃のチャンスだったのかもしれない。

 だが俺の身体は恐怖のあまり硬直し、斧で打ちかかるどころか、一歩も動けない始末。


 夢でも、怖いのは一緒だし。

 ピンチで目覚める勇者的才能を激しく募集中!


 俺の内心にかかわらず、危機的状況は進展していく。部屋にのそりと降り立った俺と剣牙虎は、テーブルを挟んで向かいあう。


「グ、グリズリーさん」


 斜め後ろの天井付近から、緊張でかすれた声の妖精が俺を呼ぶ。

 慌てて肩にかける時間がなく、バッグは持ち手を持ったままだが、俺達の愛の結晶らしい卵は無事中に納まっている。


 柔らかい光はぶら下がったバッグの生地から透けるように漏れ出している。

 今にも誕生しそうな勢いだ。


 種族には人間とエルフの様に交配可能な場合と出来ない場合がある。

 交配不可の異種族間夫婦が、大精霊に祈念するとまれに願いを聞き届けてくれるのがあの卵だ。


 具体的には精霊殿での多額の財産寄進と婚姻誓言による祈りによって魔法卵を得るのだ。

 もちろん無理矢理の夫婦関係ではなく、種族を越えた愛が無ければ大精霊に祈りは届かないとされる。


 まあ、コウノトリの代わりが大精霊だと思えばいい。

 そして互いの身体の一部、例えば髪の毛を卵に巻きつけたり、鱗を貼り付けたりする。そんな儀式を通じて、生まれる子は父母の属性を持つわけだ。


 実際のゲーム上はプレイヤー専従NPC扱いだ。ゲーム内貨幣でゲットする場合は、父母のハーフで外見バランスやステータスはランダムだ。

 但し有料アイテムとしてリアルマネーで魔法卵を買う場合は、属性を一つ追加できる。

 そして誕生前に設定するってわけさ。


「グリズリーさん、危ないですっ」


 俺が卵の反応に気を取られている隙に、タイガーが後ろ足立ち上がり、テーブルへ前足を置くと、上半身を伸ばして襲い掛かる。


 反射的に斧を叩きつけるが、短剣並みの牙に食い止められてしまう。

 それでも虎の攻撃を押し留める役にはたち、さっき同様、テーブルを挟んだ状態に戻った。


 良くみると、斧の刃が滑ったのか、タイガーの牙の付け根部分の上顎が少し切れ、血が滲んでいる。

 剣牙虎は、大きな舌で平然と傷口を舐める。大して痛くも無いようだ。


 くっそ、ゴブリン弱えええ。

 LVも敵より下だし、魔法も使えないとなると、こりゃ厳しいな。


 俺は醜いゴブリンの顔をしかめながら獣を睨む。

 一方虎は、プワソンの警告に初めて妖精の存在に気づいた様で、天井見上げて威嚇し始めた。


「ひゃあああ」


 獰猛な唸り声の標的になった事に怯え、少女は翅をバタつかせ少しでも上に逃げようと焦る。

 肩掛け可能な持ち手部分を両手で握りしめた卵入りのバックも、その動きに合わせて振り子の如くゆれた。


 ぶらーん。ぶらーん。


 それに目を留めるサーベルタイガー。その視線を受けビビッて一層飛び回るプワソン。


 ぶらーん。ぶらーん。


 つられてさらに気になる揺れ方をする卵入りバッグ。

 益々興味を示して前足でおいでおいでを始める剣牙虎。

 妖精は攻撃の予備動作と思い込み、小さい翅を使って空中を逃げ続ける。


 いつのまにか、虎は俺の存在を無視。

 白い頭を妖精の進路に向け、ひたすら空中に揺れ動く卵に熱中しだした。

 その様子に妙な既視感を刺激され、俺も戦闘中な事を一瞬忘れて素に戻る。


 ……まさか、猫じゃらし、か? 

 しめた! 虎の注意を引き付けてその隙に倒せば!


「プワソン、いいぞっ。そのままがんばれっ」


 俺は回避行動中の少女に大声でアドバイスしながら、勇気づけようと大口で笑いかける。

 妖精は、その声にけなげにうなずきつつ俺を見て……そのまま空中で急停止した。


 え?なんで?


「か、顔」


 硬直して真っ青なったプワソンに、俺はゴブリンの笑顔が彼女に与える影響を思い出した。

 その一瞬の空白にサーベルタイガーの攻撃が重なる。


「ああっ」

 

 プワソンの悲鳴と、布が引き裂かれる音。

 巨体からは信じられない敏捷性をもつ剣牙虎は、一気にテーブルの上に跳びのり、そこからさらに俺を飛び越えて少女に襲い掛かったのだ。


 素早さでは負けない妖精は敵の前足を避けたが、肩掛け部分に鋭い爪が引っかかり、カバンは千切れて落ちていった。

 卵に少しだけ妖精の血が付く。下にいる俺には見えなかったが、全くの無傷とはいかなかったようだ。


 俺は落下する魔法の卵を掴もうと手を伸ばしたが、振り向きざまに太い虎の前足で一閃されてしまう。

 手の甲をざっくりと削られながらも指を伸ばす。

 人指し指と中指の先が届いた。


 頼む、届いてくれ!


 だが願い空しく、流れた血液が卵の表面を滑らせた。その落下点には白い虎が広げた大きな口。

 短い時間なのに、結末までの映像がスローモーションの如く引き伸ばされる。

 俺と妖精の魔法卵は、俺の血の飛沫と共に、獣の咥内に消えた。


 俺も少女も言葉が出ない。部屋もさっきまでの戦闘が嘘の様な静けさだ。

 ただ虎が、蛇の様に喉を鳴らして卵を丸呑みする音だけは聞こえた。


「あ、あ、あかちゃんが」


 両手を顔にあて、悲しみに震えるプワソンを見つめる俺は、だが意外に冷静だった。


 まあ夢の世界だし。

 元々佐鳥さんの悪ふざけに腹立ててたんだから、悪戯の結果としてはこれもアリだよな。

 ストーカーの嫌がらせを無かった事にしたい深層心理としては妥当なんじゃね。


 そう思いながら、気がついたら叫んで剣牙虎に斧を振り降ろしていた。

 魔法も知らない、初心者レベルのゴブリン対、牙や爪が武器の素材になる肉食モンスター。


 ただひたすら殴るしかないってのに。

 何してんだ俺は。冷静なんじゃねーのかよ。


 虎の爪が俺のわき腹を抉る。俺は斧をその前足に叩きつける。

 虎の牙が俺の二の腕を噛み砕く。俺は重い斧を捨て、無事な片腕で鉈を振るう。


 敵の一撃は俺の身体を大きく損傷させるが、俺の一打は顔や手足の表層を切り裂く程度。

 獣の顔面も俺と虎自身の血で体毛が赤くなってはいたが、ひるむ様子は欠片もない。

 

 力量差の大きい戦闘が、どれぐらい続いたのか。実際は短い間だったろう。

 ついに俺は剣牙虎に組み伏せられて、首を食いちぎられる寸前の状態になった。


 鉈で凶暴な牙が自分の喉に刺さらぬよう押し返しながら、俺は夢の時間切れを待っていた。

 やたら痛い明晰夢だけど、覚めさえすれば悪夢で終わるはずだ。


「グリズリーさんを離せっ」


 プワソンは懸命に虎の肩あたりを叩くが、残念ながらダメージ無効。敵は煩わしそうにこそするものの、俺から視線をはずしたりはしない。

 

「早く、逃げろ」


 そうしないと、俺が安心して覚醒できねーだろ。

 つーか、こんだけやって醒めないのかよっ


 必死の言葉も真の意味がすっぽ抜けたままでは、彼女に伝わるはずもない。

 俺の危機を救おうと、しゃにむに剣牙虎へ突撃する妖精を見つめていると、場違いだが笑えてきた。

 

 いかんいかん、また彼女が怯えてしまう。

 まあ、このモンスターに止めを刺される瞬間に目覚めるのかもしれないな。


 俺が少々投げやりになったその時、突如サーベルタイガーの顔が膨れ上がる。

 ゴブリンの俺を抑えていた四肢を激しく痙攣させると、横倒しになって苦しみ始める。


 グオアア……アアアウウアアアア


 俺は七転八倒する虎から這いずりながら距離を取り、鉈を構えなおして獣を観察する。

 俺の背後に降り立ったプワソンも急展開についていけず、怪訝そうに様子をうかがっている。


 ガウウアウウ……グアッ……ゴガアアアアアアアアア


 サーベルタイガーは大きく絶叫すると、顔を床に落とした。

 すぐに筋肉のひきつけも停止し、口からだらんと舌を出したまま、動く様子はない。

 多分死んだのだろう。


「一体何が……」


 言いかけた俺の前で、剣牙虎の死体が赤く光り、内側に向かって縮み出す。その途中から赤い光がどんどん白く変化していった。

 眩しさに俺は手をかざし、妖精は豊かな髪を瞼に当てて瞳を守る。


 俺は昔見たテレビのサイエンス特番の記憶が甦った。

 その中の赤色矮星が縮退のあげく白色矮星になるシミュレーションに似ている。

 そのシーンは宇宙の終わりと始まりを感じさせた。


 くらんだ目をこすりながら、床の上を確認すると、そこにはコブシ大の宝石が一つ残っていた。

 いや、魔法卵だ、それもダイヤモンドの輝きを放つ極上品だった。


「こ、これって私とグリズリーさんの?」


「だろうなあ」


 驚きで口を馬鹿みたいに開けた俺とプワソンが言葉少なく会話を交わす。ふと気づくと、俺は痛みを感じていなかった。それどころか重傷だった傷はすべて治癒し跡形もない。少女も同じだった。


 ピシリと音が弾け、金剛の玉が砕けていく。

 まるで氷の結晶が割れるように剥がれ落ちた内側には、嬰児が手足を丸めて眠っていた。


 プワソンは嬉しさがはちきれそうな表情で、飛んでいくと、わが子をその胸に抱き上げる。

 もっとも、幼児の大きさは妖精族よりほんの少し小さいぐらい。

 母娘というより姉妹といった方がイメージが近いだろう。

 

 顔姿は整っており、将来は母親の妖精族に似た美人になりそうだ。髪は中心が濃い翡翠色で先に行くほど色は薄まり、銀色に近くなる。

 肌は透き通るような白に、若草に寄り添う朝露の煌き。


 外見はほぼプワソン、肌と髪で微小に俺って感じだな。

 ゴブリンに似なくて良かったなあ。

 ハレルヤ!神はダイスを超真面目に振りたもうた!


 俺は、胸中でつぶやきながら、気になった部分を再度見つめる。

 

 ……そんでもって、あれが追加属性か。


 美人さん確定の娘の頭には、猫科の耳がついており、可愛いおしりからは、柔らかい銀毛につつまれた尻尾が生えていたのだ。

 俺は自分のネトゲ経験から記憶を探るが、同じようなケースに行き当たらなかった。


 魔法卵(有料アイテム)+母:妖精族(の血)+父:ゴブリン族(の血)+追加属性:剣牙虎(の血肉)=???


 やっぱりこの組み合わせの専従NPCは見たことが無い。というか、そもそも人気ドン底ゴブリン族と異種族婚するプレイヤーを知らないしな。


 過去の廃人の血を刺激され、すこし興奮気味になる。しかしプワソンが幼子の頬をなでる姿にそんな気持ちより、もっと穏やかな感情が俺を満たしていく。

 

 眠っていた子供の瞼がふるえた。ゆっくりと目を開けると、妖精族の少女とゴブリン族のブサメンを見上げ、エメラルドの瞳を一杯に広げてにっこりと笑う。


「まーま。ぱーぱ」


 そのキャラメルプリンの様な声音に、プワソンは一撃で撃沈し、自分の頬を擦り付けて大興奮だ。

 夢の世界という分だけ、感動が差し引かれた俺だが、正直満更ではないのも事実だった。

 俺と二人でひとしきり幼児を撫で回した後、妖精はこちらに向いて宣言する。


「グリズリーさん、この子の名前なんですけど――」


 彼女の台詞を聞き終わる前に、全身を焼く尽くすような焦燥感が俺を襲う。

 

 やべえ、今度こそ夢から醒める!

 

 プワソンが俺の指を掴んで何か叫んでいるが、感覚も無く何も聞こえない。

 俺は自分の視界が暗闇に覆われていくのを感じながら、結構楽しい夢だったなと独白した。









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