やまのわるつ
佐鳥さんへの激しい怒りをなんとか無表情に押し込めて、俺は黙々と檜を引き続けている。
眼が覚めたら、正座でトコトン説教しないとなっ
妖精の少女は再び俺の頭に腰を落ち着けたので、俺の苦虫を噛み潰した面に気づかない。
そしてようやく、木々の間に岩肌と小さい建物が垣間見えた。
針葉樹の森の奥で少しだけ空けた土地は、潅木程度しか生えておらず、陽の光が板屋根に降り注ぐ。
建屋の裏手が低い崖になっており、岩の間から水の流れが細い筋を作っていた。
佐鳥さんがここを選んだのは、水場ゆえだと俺にも理解できた。
森であれば食い物もなんとか手に入るしな。
LV上げせず隠れ住むなら、悪くない選択だろう。
ちなみにこのゲームのキャラクターは腹も減るし、喉も渇く。
インしたまま放置の場合、自動給仕を選んでおけば、携帯する飲食物を勝手に消費してくれる。
だが例えば寝オチして無補給のまま飢餓限界を超えると、死にはしないが筋力や魔力などの基本パラメータ数値がランダムダウンする。
個人的には放置防止のクソ仕様だと思うけど、要するにゲーム企業のアクティブ率向上策なわけだ。
「もちろん損失分のパラメータポイントは復元可能です。但し有料アイテムをご購入下さい」というオチもついている。
この会社は商売がエゲツないほど上手いよな。
「着いたよ」
俺は、少々精神的に疲れ気味で伝えるが、プワソンはすでに母親にでもなったつもりなのか、俺の頭の上で揺られながら、誰にいうともなく声を出して思案している。
「どんな名前が嬉しいのかなぁ?」
俺は頭上の独り言に軽いめまいを感じるが、とりあえず落ち着くためにその家に向かって歩く。
「我が家」は要するに掘建て小屋だった。
粗末な作りで、板の幅も不ぞろいな壁。
軒先の長さもツギハギで長短があり、建物全体が微妙に傾いている。
不器用な作り手が急造した、やっつけ仕事の匂いでプンプンだ。
なまじ、切り出した木材の質が良いだけに、建築業のバイトもした俺には、もったいなかった。
佐鳥さんは「苦労しましたよ」と言ってたが、それでこのヒドイ出来か?
呆れた顔でこの家を見ている事に、プワソンは今気づいた様で、調子よく俺を持ち上げる。
「ぐ、グリズリーさんは、大工仕事が上手ですね」
……この失敗作は俺が作った事になるのか。
そうがっくりしつつも、諦念の気持ちになった。
プワソンの小さな手で家は作れないしな。
そもそも妖精族は樹上で眠る。
子育て時に鳥のような巣は作っても、基本野宿が平気な一族だ。
それを言えば、ゴブリン族は洞窟を棲家にするよな、と俺は首をひねった。
打ち捨てられた砦や廃屋を利用する事はある。
でもドワーフの職人レベルはもとより、オーク族の様に稚拙な建築技術すら、持ち合わせていないはずなんだけどな。
俺は鉋もかけられず、荒い地肌の壁板をなでながら考える。
そんなゴブリンに、佐鳥さんが無理やり作らせた結果がこのボロ家。
まあ、道具作成や柵の建築スキルはあるから、それを拡大使用したか?
技術スキルの使用は、失敗するごとにほんの少しだけ発動確率が上がる。
それでも成功率は馬鹿みたいに低かったはずだ。
再度ログインした時はそこまで頭が回らなかった。技術スキルも確認しなかったし。
家の形にするまでに、一体佐鳥さんは何回トライしたんだろう。
百回?千回?いや、それ以上か?
BOTで自動化すれば、ゲーム会社からアカウント停止食らうはずだしな。
つまり本人がやったとしか思えない訳だけど。
「先輩との愛の巣を建てました」
そう胸を張った、幸せそうな佐鳥さんを思い出す。
そのなりふり構わぬ全力を、もっと違う方向に活用すればいいのに。
「……まあ、確かに労作ではあるかもな」
俺が誰かさんの底知れぬ執念を渋々認めると、妖精少女も嬉しそうに微笑んだ。
◆ ◆ ◆
小屋の中は六畳部屋程度の広さに、土間と板間があるだけだ。
家具らしいものは箱型の木枠に針葉樹の葉を押し込んだベッドと、無骨なテーブルと丸太を切った椅子。あとは少々の雑器類。
土間には石と泥でつくったかまどが組まれ、煙は開け放った上の窓から外へと流されている。
窓ガラスも無いため、昼でも中途半端なよろい戸を閉めれば暗く、灯りはかまどの火だけとなる。
俺は背負いバッグをベッドに置き、鉈はテーブルの上に、斧は入口付近の壁に立てかける。
プワソンは、部屋の中を見回して、嬉しそうにはしゃいでいる。
「この家のおかげで、鳥型モンスターの心配をしなくていいので助かります」
索敵魔法や回避魔法を覚えていない二人が、敵とエンカウントせず休憩するには、確かに建築物の中にいる方がいい。
特に屋根や壁があれば、妖精族の天敵である鳥型の敵は入ってこないしな。
「そうだな」と俺がいいかけた時だ。
外で咆哮を上げる、獣の声が辺りに響き渡る。
俺は窓に飛びつき、叫びの如き声の先を向く。
「スミロドンです」
俺の肩に隠れて外をうかがって妖精が、ひと目見てモンスターの種類を言い当てる。
確かそんな名前だったなと俺も思いだしたが、ゲームプレイヤーには別の名前で呼ばれていた。
のっそりとした動きに獰猛さを隠した猫型のモンスター。
白い毛皮に黒い縞。大きな牙が上顎から二本、下顎の脇に伸びている。
大きさは俺よりもかなりデカイ。
剣歯虎。サーベルタイガー。肉食性。レベルは8。
「プワソン、ここに来てから俺達、何回ぐらい精霊の祝福を聞いた?」
突然の質問に彼女は答えに詰まったが、すぐに返事をしてくれた。
緋色の眉が、緊張のためにこわばっている。
「五回だったと思います」
やっぱり昨日のログイン時と同じレベル6か。
夢なんだから、現実のネトゲと同じじゃなくてもいいだろうに。
俺は雨乞いする仕草で天を仰いで毒ずく。
チートの神様はどこに行った。
……あ、俺の夢だから、神は俺か?
役立たずの俺万歳。
「とにかくよろい戸を閉めよう」
俺は羽根板が歪んでいるガラリ戸を閉じて、その隙間から虎の様子を観察した。
モンスターは、十メーターほど離れた地面の低い木を避け用心しながらも、確実に小屋へ接近してくる。
「しばらく、こうやって様子を……」
そう言いかけた俺は、ぐらりと大きなめまいを感じる。
さっきのめまいとは違って、勝手に焦燥感に近い気持ちが湧き出して来た。
「グリズリーさんっ」
膝をついて額を押さえる俺の耳元で、プワソンが俺を呼ぶ。
その心配した声を聞きながら、俺は理由もなく悟る。
あと少しすれば、この明晰夢が醒めるのだ。
「プワソン、今のうちに逃げろ。妖精は飛べるから大丈夫だ」
そして間もなく俺も、夢から醒めるしな。
だが、俺の言葉をどう取ったのか、逆に少女は俺にしがみ付いてきた。
「グリズリーさんを一人残してなんて行けません」
「いや、そうじゃなくて」
俺は誤解を解こうとするが、プワソンは必死なのか聞く耳を持ってくれない。
可愛い目尻には涙さえうかべて、覚悟の程を語ってくれる。
「夫婦なんですから、逃げる時は一緒です!」
……人の話聞かない所は、やっぱり佐鳥さんのアバターだよな。
トンチンカンな会話を交わす中で、妙に冷静になりながらも再び説得しようと話しかける俺。
「えっと、だから」
その瞬間、二人の横のよろい戸が、メリメリという破壊音と共に裂ける。
破片を浴びた俺とプワソンは固まったまま、視線だけをその窓へと向けた。
割れた窓枠の隙間から、サーベルタイガーの貪欲な両眼と、短剣の様な剣歯がのぞく。
「逃げる時間は無いみたいだ。空中に上がって」
俺の強く短い言葉に、はっと表情を戻し、彼女は素直にうなずいた。
「わかりました」
俺はそろそろとテーブルまで下がり、扉の側に立てかけてあった伐採用の斧をつかむ。
プワソンは卵の入ったバッグを抱え、なるべく高い位置に避難しようと天井ギリギリの位置に滞空する。
肉食の猛獣は、刃物の様な爪を持つ太い前足で窓を破壊し、大きな顎門を開き俺達に見せ付けた。
まるで、これから自分の餌になる運命だと知らせるように。
「ターン制ってわけにはいかないよ、な」
斧を両手で構えて、俺がぼやく。
その眼前で窓から部屋に押し入る剣歯虎の動きは、リアルタイム戦闘以外ありえなかった。