おはながわらった
「瀕死のグリズリーさんを連れて、必死で転移魔法を唱え続けました」
プワソンの悲しそうな顔を見ながら、俺はどう答えようかと迷っていた。
彼女は、中立の街で荒くれ者に襲われ、俺が死に掛けた事や街から逃げ出した後、どんな風にここにたどり着いたかを語る。
「手持ちに魔力液の壜が結構あって良かったです」
赤い髪の毛先がかかる眉は、その時の恐怖を思い出したのか、ハの字にたれ下がっている。
緊張のためか身体もこわばり、今にも目じりから涙がこぼれそうだ。
泣きそうな女の子を前に冷たい事を言うのは、夢とはいえ俺の本意ではない。
佐鳥さんとは中の人も違うみたいだしな。
だから俺は、あくまでこの世界の住人としての演技を続けることに決めた。
そして、ごめんごめんと頭を下げる。
「思い出したよ。死にかけだったから、はっきりしないけど」
俺は佐鳥さんとの会話を思い出し、バサつく髪をかきながら相槌を打つ。
小妖精は安心した様に息を細くついた。
肩も下がり、少しはリラックスしたようだ。
「まさか、またアム熱に罹ったのかと心配しましたよ」
「ああ、俺自身もそうじゃないかと内心ビビッた」
無理に笑って麦芽パンを口に入れる。次に話すまで少しでも考える時間を稼ぐためだ。
アム熱……アムネジア・フィーバー。突発性記憶喪失症候群。
このネットゲームの世界の全種族に、まれに見られる病気だった。
ある日を境に、自分の記憶が無くなってしまう。
その症状は様々で、全てを忘却する者もいれば、野菜の名前だけという場合もある。
俺は、プレイヤーが選んだアバターの共通症例を思い出す。
それは、名前や種族などの記憶や少しばかりの一般知識は残っているが、ビギナー宿屋に運び込まれる以前のほとんどの記憶が無くなった状態のはずだ。
もちろんアバター本人のルーツや交友関係の思い出は、完全喪失という症状を与えられていた。
つまり俺達プレイヤーは、個人の記憶を無くした種族に、いわば憑依した形になる。
「プワソンさんも、アム熱経験者だったよね?」
ぼそぼそした食感に辟易しながら、最後のパンを飲み込んだ俺は、カゴから果物を取り出そうとしている妖精に尋ねる。
正直答えはわかっていたが、それでも確認したかったのだ。
「はい。宿屋の人の話ですと、二人一緒にふらふらと入口から入って来て、そのままホールで気を失ったそうです」
俺は低めの鼻に指を当ててその状況を想像した。
初心者のアバターは、ぱっとその場に出現するんじゃなく、歩いて宿屋に来るのか?
その辺は俺の夢補正ってやつかな。
俺が考え込んでいる事を、記憶喪失の件で悩んでいると誤解したのかもしれない。
プワソンはキウイそっくりの果実を抱かえてふよふよと飛んでくると、歪な俺の三角耳を小さな手の平でなでる。
「大丈夫です。私も同じですから」
「そうだな、ありがとう」
ゴブリンではちょっとだけイケメンで、人間族なら残念すぎる程の不細工な顔で、俺が笑う。
すると、妖精族の中でも抜きん出た美貌だろうプワソンも微笑む。
なんだかくすぐったいその感覚について、俺は耳にあたる果実皮の細毛のせいだと思うことにした。
◆ ◆ ◆
俺は、ランチ後の仕事を切り上げて家に帰ろうと、道具を片付け始めた。
夢はいつかは覚めるが、出来る限り状況の把握をしておこうと思ったのだ。
この辺、廃ゲーマーだった悪癖が抜けてないよな。
知らない世界を知りたい。突き詰めればそんだけの話なんだけどさ。
まあ、俺のコメカミを怒りで硬直させた件が、夢ならどうなってるかも確認したいしな。
ただし今の俺は帰り道もわからないので、妖精に先導を頼もうと思ったが、また記憶を無くしたのかと不安にさせたくはない。
どうしようかと困っている俺に、少女が端にまとめてあった縄の束を持ってきてくれた。
「いつも家まで丸太を引っ張ってるのはこれでしょう?」
伐採した木を、俺は帰りに引きずって我が家まで運んでいるらしい。
言われるまま丸太の片方をしっかり縄で縛って、外れない事を確認していると、その縄の先を持ってプワソンが空中を進みだした。
「今日は一緒に帰るからお手伝い出来ます」
そう言うと嬉しそうに引っ張る。
ピンと張った縄も丸太を動かす事はないけれど、その気遣いが嬉しい。
身体に比べれば力がある妖精族でも、人間の少女ぐらいが限界だけどな。
俺は種族設定を想起しながら、妖精の進もうとする方向を見る。
するとその辺りの下草が押しつぶされ、獣道ほどの筋が続いている事に気づいた。
どうやら、何度も丸太を引きずった跡らしい。
これを辿っていけば、プワソンに怪しまれずに家まで帰り着きそうだ。
「よし、帰るか」
「はい」
俺とプワソンは、連れ立って家路へと向かう。
肩で背負った縄の束を引っ張った俺は、長い丸太で地面の下草を左右に分け、溝を掘りながら前進する。
たまに木々の間からのぞく山脈は、万年雪を頂いており、きっと冬は豪雪地帯なのだろう。
こんな丸太を運びながらも、紫の檜の間を散歩するように歩ける。
どうも俺の腕力は、通常のゴブリンよりステータスが上がっている様だ。
リクの実を食べた効果かもな。すげえ渋かったけど。ちなみにキウイもどきはチーズ味だった。
「聞いてもいいかな?」
のんびり前方を飛ぶプワソンに、俺は尋ねた。
「なんですか?」
彼女は、縄を持ったまま、回りの景色を楽しそうに眺めている。
俺にはただの森だが、精霊と仲のいい妖精族には、きっと違う景色なんだろうな。
「どうして、俺みたいなゴブリンと一緒にいるの?」
プレイヤーに憑依されていないアバターは、NPCと同じ擬似的な知性を設定されいるはずだ。
このネトゲのAIは結構馬鹿に出来ない。
俺は、この質問にどんな風に答えるのか興味があった。
ま、どうせ夢なんだけどな。
「二人とも同時にアム熱に罹ったなら、それ以前の記憶なんてないだろう?」
前を向いて縄をポトリと落とした妖精は、口をつぐんで立ち止まる。
空に浮遊したまま、俺の方を振り返りもしない。
俺は「NPCには答えられない質問をしてしまったか」と、残念に思いながら丸太を引きずり彼女の横までやって来た。
そしてプワソンを見てびっくりする。
小さな妖精の顔は、髪にも負けないほど真っ赤になっていたのだ。
「え、え、えーと。気づいていると思ったんですけど」
プワソンは頬を染めてもじもじと手を捻くりだした。
どっかの誰かさんの仕草にそっくりだ。
嫌な予感がするぜ。
「わ、私もグリズリーさんの事は全然知らないんですけど、宿屋で気が付いたらペア組んでたし、あとこれを二人ともはめてたんで」
おずおずと差し出した右の手首にはミスリル銀の細い腕輪。
慌てて俺が自分の腕をまさぐると、チュニックの袖に隠れた二の腕に、同じ意匠の腕輪があった。
「その、これは婚姻の証ですし。私達は記憶を失う前、夫婦だったんじゃないかと」
照れた表情が、抱きしめたいぐらいに可愛い妖精。
その素直な感情にまぶしさを感じながらも、俺は中途半端な笑顔を返すしかなかった。
あの粘着ストーカー、なんて事しやがる。
このネトゲはログイン前に有料アイテムを購入するよう設定変更ができる。
その場合アイテム購入画面と装備変更画面を終了後、世界へのログインに進む。
ペナルティ覚悟で出現直後にPKしてくるヤツもいるので、必ずしも街でのログアウトが安全とは言えないしな。
城攻めなどの集団戦闘の結果、遺恨が残れば敵対ギルドも増えるので、その辺は気を使ったものだった。
佐鳥さんはそれを悪用しやがった。
有料アイテムの《エンゲージ・バングル》を二人のアバターに装備後、フィールドへログインしたのだ。
くっそ、泥酔してたから、装備やアイテムをいじられているなんて気づきもしなかったぜ。
……いや、俺は知っていたはずだ。そうでなければ、明晰夢に出てくる事がないしな。
眠っていても音は聞こえているって良く聞くから、佐鳥さんの独り言でも聞いていたのか?
あのドリーマーなら一晩中一人でしゃべっててても不思議じゃない。
「このバングルで先輩と永遠に結ばれます。えへへへ」
ストーカーのふざけた笑い顔をつい想像してしまった俺は、死ぬほど後悔した。