もりのくまさん
俺は夢を見ていた。
見ている事を認識できるって事は、俗に言う明晰夢らしい。
その中の俺は、森の中に立っていた。
辺りを見回すと深い森だ。植生は針葉樹中心に思える。
傾斜のほとんど無い土地に、太い樹木が文字通り林立していた。
そして背の低い広葉樹は、高い針葉樹の枝を抜けた日当たりのマシな場所に育っている。
もちろん下草は何処にでも生えてるしな。
ただこの鬱蒼とした景色からは、森の奥の様子さえわからなかった。
針葉樹と断言出来ないのは、檜っぽい木々の葉と樹皮の色が違うからだ。
緑というよりも全体的に紫色に近い。しかも檜とは違う香りがする。
他の木々もどこか日本とは違う。
ただ人工林に特徴的な枝打ち管理は見られないから、少なくとも俺の周りは自然林だろう。
視線を下げると、俺の足元には切り倒された丸太が何本か並んでいる。
鉈が置いてあるので、荒く枝を落としていた途中らしい。
そして俺は斧を持っていた。そう、斧。
薄手の皮のズボンに荒い布のチュニックを身に着けて。
格好からすると、きこりだな。
この時点で、ようやく俺はこの夢がネトゲをベースにしていると理解した。
「ああ、昨日あの後ログインして酷い目にあったもんなあ」
「何ぶつぶつ言ってるんですか?」
後ろでからふいにきれいな声が聞こえ、俺は飛び上がった。
恐る恐る振り向くと……まあ、そんなわけだ。
「……やっぱ悪夢なんだな」
ついに、俺の夢にまで背後から忍び寄るストーカー。
「夢よ覚めよ!」
俺はそう叫ぶと両手で全身をバンバン叩く。
それで駄目ならと、紫の幹に突進しガンガン頭突きをかます。
とにかく覚醒するために、ひたすら駆けずり回った。
……結果は空しいものだったが。
「はっ、はっ、さ、佐鳥さんまで、なんでいるんだよ」
息切れするまで努力したのに、どうしても起きられないことにいらつく。
そして夢にまで侵入した相手に、俺は八つ当たり気味に文句を言った。
俺の奇行にあっけに取られていた佐鳥さんは、かくんと首を傾げる。
まるで公園の白い鳩の様に。
両手で持った体格に似合わぬ大きさのバスケットが重いのだろう。
その動きで多少身体もふらふらした。
「えっと、サトリって誰ですか?」
だが佐鳥さんの返答は、俺の予測と違っていた。
え? 間違いか?
だけどそのアバターは佐鳥さんが作成したキャラそっくりなんだけど。
確かに最初の時と服は違うようだから、まさか偶然か?
「えーとすいません。人違いかも。あなたの名前を教えてもらえますか?」
俺は頭を下げると、相手の名前を確認した。
「プワソン・ダヴリルですよ、冗談言ってるんですか?」
柘榴石の瞳をぱちくりとした赤毛の少女。
髪の中心が薄めで、毛先にいくほど濃い。
まるで秋の紅葉を彷彿とさせる魅力的な色合いだった。
俺がまじまじと見ているので気まずいのか、少女は背中の透き通った対の翅を、空中でひとはたきする。
俺と顔の高さは同じだが、それは浮いているからだ。
少女の身長は、頭の先からつま先まで入れて、ボールペン二本分程度だった。
俺はなんともいえない気分で考え続ける。
佐鳥さんのアバターネームそのまま。種族も同じ妖精族。
まあ、夢が覚めるまではしょうがねえ。明晰夢ならそのうち覚めるだろう。
俺が黙っていると、プワソンと名乗る少女が口を開いた。
「変な事言ってないで、お昼にしましょう、グリズリーさん」
「グリズリー?」
「そうですよ? ほんとにどうしたんですか?」
少女はバスケットを草むらに置くと、心配そうに顔を寄せて、俺をのぞきこむ。
そんな妖精族の人形めいた精緻な美貌を見ながら、俺はがっくりとしていた。
そういや、名前適当につけたもんなあ。
グリズリー・クマクマ。
名のグリズリーは灰色熊の事だし、苗字は熊熊。
まあ、あのアパートでワイン飲みながら考えていた時は、二度とログインする気は無かったから、正直名前なんてどうでも良かったし。
でも今呼ばれると少し落ち込む。
も少しカッコイイ名前にしておけば良かったなあ。
「はい。リクの実ですよ。貴方の種族が食べていると、少しずつ力が強くなると聞いて、森の木から分けてもらいました」
ランチの籠から取り出した大豆程の木の実。
俺はプワソンから手渡された毒々しい色の木の実をもてあそびながら、このアイテムの知識を呼び起こす。
確か、筋力値のステータスをほんの少しだけ上げる。
但しランダムなので、上がらない事もあるってヤツのはずだ。
どこの竜王討伐ゲームだよ。
しかも特定種族のみ有効。俺の選んだ種族にだ。
そんでもって俺が選んだのは……ゴブリン。
緑に少し茶色が混ざった皮膚に、枯葉色のボサボサ髪。どう見ても極悪人の面構え。
「こんな事ならエルフ選んどけば良かった」
◆ ◆ ◆
バイト先を紹介してもらってから一月後。
ストーカーを除けばいい職場だったので、お礼と指定された条件を実行しに佐鳥さんの部屋に来ていた時の事だ。
「まあ一回だけの事だ」と思い、嫌々ながら壁際のソファに座って、キャラメイキングを適当にしていたのだが、そこに佐鳥さんの横槍が入った。
「ハイエルフとか選んでくださいよっ」
佐鳥さんは俺に美形のアバターを作って欲しかったみたいだ。
いつもの様に、廃ゲーマーは部屋の真ん中にあるガラステーブル前に陣取っている。
そして50インチの大画面で自分のキャラメイキングをしながら、ちらちらと俺のノートPCをのぞいてくるのだ。
もちろん俺が操作するこの薄型PCは、佐鳥さんからの借り物だ。
無線ネットワーク繋がれているため、佐鳥さんの大画面液晶にも、俺のメイキング画面をマルチで表示している。
「隣に座って遊びましょう」と始める前に誘われたが「慎まず」お断り申し上げたら、こんな風にしやがった。
隣同士とか勘弁しろ。恋人同士じゃねえっての。
「やだね。どうせゲーム内種族比率で5本の指だろ。俺はそんなの興味ねえ」
「せめて、ヒューマンで」
佐鳥さんが再度要望してくる。
でも昔、俺が使ったアバターの内、メインは人間族だったので、同じタイプには興味がなかった。
例え今回だけでも、どうせなら楽しく遊びたいしな。
あえて昔の自分が一番選択しない種族にしてやるぜっ。
「ネトゲ付き合う条件を承諾する際言ったろ。新しいアカウントで一からアバター作る。互いの種族に文句言わないって」
このオンラインゲームは基本無料で、複数アカウントもOKなので気楽なものだ。
佐鳥さんは以前から、引退後も未練がましく残してある、俺のメインキャラを見たがったが、断固拒否していた。
もし当時のギルド員がログインしてて見つかったら、なんか恥ずかしいだろ。
不満そうなので「そっちは皇女使えばいいよ」と言ったのだが、佐鳥さんは「私も先輩と最初から遊びます」と一緒に新アカでメイキングを始めたのだ。
「でもでも、いきなりこんな魅力値最低の種族を選ばなくてもー」
佐鳥さんは、「デートする時にちょっと」と、俺から見てもおかしいぐらいにがっかりしている。
まあ、そっちが可愛い妖精族を選択してるのは、大画面見ればわかってたけどな。
こちらを悲しそうに振り返る顔を眺めながら、今回のゲームはお礼という事を思い出した義理堅い俺。
それでも種族選択を譲る気はなかったが、少しだけ佐鳥さんの要望を聞く事にした。
「わかったよ。なるべくマシな見かけにするから、希望があれば言ってみな」
そう言ってワイングラスを片手に、佐鳥さんの願いどおりいじったパラメータだったが、所詮限界はある。
出来上がったアバターは、短躯のゴブリンを無理やり引き伸ばした感じといえばいいだろうか。
人間族のデフォルトより少しひょろ長いガリガリ体形で、緑茶とほうじ茶の中間の肌。
顔はポジティブに考えても、ブサメンってのが精一杯だった。
俺はアバターが出来上がる頃には酒を相当飲んでしまい、最後は後ろのソファで朝まで泥酔していたので、その後の事はあまり覚えていなかったが。
それでも眠りに落ちる寸前「まあ、愛があればいいか」などとつぶやく、ストーカーのたわ言だけは聞こえた。