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ちゅーりっぷ

「とにかく、変な話はこれで終わりな」


 俺はシンク磨きがおわり、キッチン脇の棚にもたれて腕を組む。

 佐鳥さんの妄想にこれ以上付き合っていられないので、しっかり釘をさすつもりだ。


「いいじゃないですか、今夜は二人っきりですし」


 佐倉さんもグラスの乾拭きが済み、「ふいー」と奇妙な声を出しながら背伸びをする。

 両手の指を組んだまま、腕をひねって前に伸ばす。そしてそのまま上に。

 俺にはそんな様子が体育の準備体操を思い起こさせる。


 その後佐鳥さんは、従業員の休憩室から折りたたみ椅子と自分のバッグを持ってくると、雑誌を取り出して読み始めた。

 俺は、完全に休憩モードに突入した相手にため息をつく。


 まあ、確かにヒマだし、少しはいいか。


 少数のボックス客が辺りへでていない事を確認すると、俺は飲料ブースでコーヒーとミルク紅茶を入れる。

 キッチンに戻ると、佐鳥さんへ片方を渡しかけた。


「先輩、なんのトラップですか?」


 紅茶を見た佐鳥さんの返事を聞いて、ぐいっと手元にカップを戻す。

 毎度の事ながら脱力感を味あわせてくれるな、おい。


「ただの紅茶だ。嫌なら飲むな」


「先輩になら、媚薬入りでもかまいませんけど」


 佐鳥さんのわざとらしい流し目を無視するぐらいは、俺にも簡単だった。

 今度は押付けるように暖かい器を渡し、俺は自分のコーヒーを一口含む。


「もっと忙しければ、こんなくだらん会話もしなくていいんだけどな」


 がらんとした店内を見ながら俺はぼやいた。

 たがネットカフェは客がボックスにいる方が多いから、ガヤガヤする事は少ないけどな。

 飯もこんな時間の注文は少ないし。


「バイトが少なければ、一緒だと思いますよ」


 俺の心中を見透かしたように、英語の論文雑誌を読みながら佐鳥さんがつぶやく。

 そうだな。他の話でストーカーの興味を引いてくれる他人が、切実に欲しいもんだぜ。


 そんな俺の願いを知りもせず、国際的にも評価の高い「自然」な書名のページを、桜の花びらの爪を持つ指がめくる。


 実際日曜深夜は客も少ないが、学生バイト達の多いこの店では、不人気な勤務時間帯だった。


 ここに住み込み状態の俺は、昼はハローワークに通っていたので、逆に夜勤務が望ましかったけどな。

 ひっつき虫は、自動的に俺と同じシフトになる。


 虫の名前は只今ストーカー虫って感じだな。


 もちろん、二名では回せないので、今夜も本来は店長とあと一人の四人体制だ。

 ところが店長はインフルエンザ、残りは花粉症アレルギーで急遽ダウン。


「もし忙しければ、先輩を完璧にフォローしますので、安心してください」


 俺と絡む気満々の佐鳥さんの返事を聞いて、こっちはさらに落ち込んだ。


 ◆ ◆ ◆


「先輩、先輩。この論文面白いですよ」


 穏やかな気分で一服しようと、出来る限り意識の外に置いていた対象が、突然目の前に英文字の塊を押付けた。


「難しい英語なんてわかんねーよ」

 

 名前しか知らない学術系雑誌の専門用語に、あっさりと万歳の俺。

 今年1月発行のちょっと古い号だという事だけは、表紙の数字でわかったが。


「なんとかなるのはネトゲ会話ぐらいだ」と苦笑しながら本を返す。


 昔の俺は、ほんのガキの頃から長い間廃ゲーマーだった。ハマリぶりは今の佐鳥さんと並ぶぐらいだろう。

 現在殲滅皇女(ウニシタジーニェ)の暴れまわる世界が、海外サーバしかなかった昔、結構レイドをこなした。


 もちろん日本語仕様などなく、日本人プレーヤ同士でローマ字会話中、下手するとPKされた時代の事だ。

 イベントや調整もアンバランスで、偏ったアイテムが実験的にドロップしたもんだ。


 そういやレアモンスターの沸き待ちしてる内に深夜になって「もう落ちる」と言ったら、海外組に「こんな迷宮の最深部で俺達を見捨てるのか」と泣かれたなあ。


 「時差あるんだからそっちは良くても俺は徹夜だ」と説明したが、結局モンスター倒した時には朝日が昇っていたもんだ。

 

 俺は、その当時のハマリぶりを思い出し、少し懐かしくなる。

 一方俺を嬉しそうに見上げながら、佐鳥さんは奇怪な台詞を吐き出してくれる。


「ふふ、私がいないと先輩は何もできなんですから。読みましょうか?」


 おい、見当違いな場面で世話女房ちっくな事いうな。

 普通のヤツはこんな専門誌読まねーし。


 俺はどうでもいいとばかりに首を振った。


「そういえば、あの時の約束まだ実行してもらってません」


 不意に佐鳥さんが俺を見上げる。


 約束? なんだなんだ? 

 佐鳥さん相手に下手な事を言えば、窮地に陥る経験を積み重ねたので、俺は首をかしげてとぼけた。


「ここにバイト採用されたら、お礼に一緒にネトゲしてくれるって言ったじゃないですかっ」


 佐鳥さんは紅茶を持つ手をこぼれそうな程あげて主張する。

 俺は頭の中で自分を殴りつけながら、なんとかうやむやにしようと試みた。


「それは先月無理やりアパートに呼ばれて、クリアした話だろ?」


「駄目ですよー。先輩ってばログインしただけで、キャラを部屋から動かさないし。

 結局部屋で酒飲んで、朝まで爆睡してただけなんですから」


 ……くそ。ネトゲネタが佐鳥さんのスイッチなのは承知していたはずなのに。


「一応、ペアでパーティも組んだわけだしさ」


 佐鳥さんは俺の必死の抵抗を物ともせず、さらりと付け加えてきやがった。


「あのロマネコンティは結構お高かったんですけど」


 ぐっ。俺は、過去の自分の意地汚さに地団駄を踏む。


 確かにあのワインは美味かった。前の会社の飲み会で、俺がワイン好きな事を知った佐鳥さんは、俺との交渉でたまにこの手を使う。

 俺も自腹ではとても買えないビンテージ物を見せられると、分かっていながら断れないのだった。


「そういえば、契約不履行はビジネスパースンとして失格と指導頂きました。どこかの先輩に」


 ぐぐっ。痛い所をつきやがって。


 ブラック企業が生き残るには、納期厳守は絶対条件だった。そこで契約の重要性をまず徹底的に教育したのだ。


「約束破るやつは社会人のクズだ」と大げさに語った事が、こんな所で裏目にでるとは。

 俺も己をクズ認定はしたくないから、今更取り消したくはねえ。

 

「ログイン即寝オチは、詐欺行為には当たらないんでしょうか?」


 ぐぬぬぬ。この悪魔(メフィスト)めえ。


 俺は、佐鳥さんのニヤニヤとした笑いに耐えられず、降参する様に小さく叫んだ。


「わかったっ でも一回だけだぞっ」








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