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はるのおがわ

「めりくり。熊原と佐鳥さん」の第2シーズンです。

前作もよろしくお願いします。

「先輩の子供ができました」


 突然の告白に硬直した俺を、誰が笑えるだろう。

 いつのまにか俺の背中に寄り添っていた相手は、屈んだ俺の耳元にささやく。

 保護欲をそそる仔猫の様な調子で、花の蜜に似た息を漂わせながら。

 

 俺は深夜のネットカフェの店内で、お客が帰ったブースを清掃していた。

 漫画や雑誌が残っていないかざっと確認すると、テレビやテーブル周りを殺菌剤をスプレーしたタオルで拭く。

 床のゴミ箱をチェックしたら、お菓子の包みがあったのでゴミ袋に移す途中の告白だった。


 後ろを見ずにゆっくりと深呼吸し、この衝撃発言への対応思考中の脳内では、懐かしい映画のBGMが流れ始めた。

 それはあまりにも有名なサメが登場する映画の代表的音楽。

 誰かさんにまるかじりされるイメージが湧いてきた俺は、曲がピークになる直前、頭を振ってその想像を散らす。


「何の話かな? 佐鳥さん」


 俺は何事も無かった態度で上体を起こすと、声の方へ向き直った。

 そんな俺の眼前には、カフェの可愛い制服を着たトラブルメイカー。

 自分の肩を抱いて、わざとらしく腰をくねくねさせながら、再度同じ台詞を繰り返す。


「だから、先輩の子供ができたんです」

 

 俺に無実の罪を着せようとしているにもかかわらず、佐鳥さんは頬を染める。


 夜だからって寝ぼけんな、このストーカーが。


 だが、俺は怒鳴りたい気持ちを抑えて子供にする様に説明を試みる。


「佐鳥さん、小学校で習わなかったかな? おしべとめしべの話?」


 俺もそんな古い表現で習ったことなどないが、そっち系の話をこのストーカーとするのは心底嫌だったので、昔の世代の非常にあやふやな例えを持ち出してみた。


「先輩、いつの人ですか?植物と動物なんて比較するには遠すぎます。今はもっと具体的かつ実践的ですよ」


 佐鳥さんは鼻を鳴らすように俺を小ばかにした。そのくせきらきらした瞳は、俺とそんな話をしたいと思ってるのが丸分かりだった。

 それは、「ねこじゃらしなんて、もう興味ないもん」な仕草なのに、視線だけはしっかり追いかける成長途中の仔猫みたいなもんだ。


 結局この話を終わらせないと、離れてくれそうにないので、俺は諦めてはっきり言う。


「俺と佐鳥さんは、ただの友人だろ」


 これでも「元同僚」じゃなく「友人」という表現で、充分譲歩したつもりの俺だった。

 しかし佐鳥さんは不満げに細い両腕をクロスさせる。


「違いますっ」


 舌をちろんと出しながらバツマークを強調した。


 俺は心の中でため息をつく。

 そうだな。違うな。本当はただのストーカーだよ。


「あんまり変な事言わないように」


 バックヤードに戻って、返却口の食器を洗いながら告げる。

 平日の深夜でしかも天気が悪いという事もあって、あまり客がいない。


 週末は花見客が流れてくるかもしれないけどな。


 ストーカーと高確率でエンカウントするネットカフェ。

 よりにもよってここで働いている理由は、もちろんある。


  ◆ ◆ ◆


 年末に会社が潰れて、俺はハロワに通ったが、不況もあって一月以上就職先が見つからなかった。

 結局バイトをして日々をしのぎながら、就職活動するしかないと覚悟を決めた。

 ちなみに「退職金」はまだ佐鳥さんの手中なので、俺の窮地は続いている。


 生活保護は最後の手段だ。働きたくないわけじゃないしな。

 

 そんな時、寝床にしているネットカフェでバイト募集の店内掲示を見つけた。

 店長が管理担当用というよくわからない理由で、バイト専用無料ブースを新設したのだ。


 つまりバイト終了後も店長黙認で、ネットカフェにただで泊まれるワケだ。

 会社勤めの時から漫画喫茶で寝起きしていた俺にとって、これは無視できない条件といえた。


 もちろん本来そんな事は許されない。

 だが、店長を上手に説得した交渉人がいた。見習いで入ったはずの佐鳥さんだ。


 どんな話し合いがあったのかはわからないが、とにかく店長はそれを承諾したのだった。

 しかも佐鳥さんからの紹介者を優先採用するという約束まで、取り付けていやがった。


 正社員の仕事が見つからず、日銭のバイトを探す俺に、ここを紹介したのも、もちろん佐鳥さん。

 説明の際、白魚のような指で俺の掌を包みながら喜びをあらわにする。


「先輩と一緒にバイトできるなんて、とっても幸せです」


「まだ決めてねえし。まあ、もし、俺がここで働いたら、今度は佐鳥さんが先輩だけどな」


「そういえばそうですね!」


「一時的とはいえまた一緒の職場は勘弁してほしいがな」


 迷う俺の心にも無いおせじに、佐鳥さんは言われて気づいたらしい。

 ふふふ、と微笑みながら偉そうに胸をそらす。

 あごのラインのなめらかさは、リヤドロの陶器少女のようだ。


「再就職までの我慢か、でもやっぱ嫌だなあ」


 俺は修行僧の悟りまでの葛藤を心中味わう。


「そっかあ。先輩ともなれば、命令し放題ですね」


 佐鳥さんはというと、いつの間にかおかしな方向に話がそれていた。

 お花畑でピクニック中の人間の顔前で、俺は手を振ってみる。


「おーい。戻ってこーい」


 だが、脳内花畑でご禁制のケシの花を摘んでいる幸せなヤツは、どうやらすでに先の場面にすすんでいるらしい。

 両手を頬に当てて、くすくす言いながらここにはいない俺に指示をだしている。

 

「くまはら。お姫様だっこでアパートまで送りなさい、なんてね。うわあうわあ」


 妄想街道爆走中の旅人を現実に戻すため、俺は無言で後ろ頭を軽くはたく。

「あれ」と、夢から覚めた佐鳥さんには構わず、条件について確認した。

 そして今度はハムレットの心境がわかった気になる。


「バイトかストーカーか、それが問題だ」


 ……条件は佐鳥さんと「完全に同時間」の勤務シフトにする事だった。


 ストーカーが完全密着取材状態のネットカフェ。

 天敵と遭遇率100%って、どんなインフェルノ級ダンジョンだよっ。


  ◆ ◆ ◆


「とにかく、恋愛とかは無いから」


 毎度の様にこっちは否定するにもかかわらず、佐鳥さんが懲りることはない。

 俺が洗ったコップを布で拭いて並べていたが、この宣言に悲しそうな顔で袖にすがりつく。


「ええ!? じゃあ体だけの関係ってことですか」


 おい、そんな話どっから湧いたんだよ!


 佐鳥さんから腕を開放し、俺はスポンジを握りしめて、冷静になろうとまた深呼吸をする。

 そして厨房にある業務用キッチンのくすみを取るべく、ゴシゴシ磨く。


 まるでカタキの様に。

 そうしながら俺は明確に訂正した。


「ちげーだろっ それを言うなら清い関係だろ!」








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