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Parallel(パラレル)  作者: 神山 備
第一部Parallel
6/71

「R」からの解放

 

夏海には龍太郎が結婚に対して消極的だというか、拒否反応めいたものを持っている理由が何となく解っていた。


 龍太郎は、東証一部上場企業の社長を父に持つ、所謂名家のお坊ちゃまだ。彼が大学進学と同時に住み始めた今のマンションも、都内の一等地にある3LDK、家賃の事は聞いたことがないので、たぶん彼の父親(あるいは彼自身)の所有物なのだろう。

 経済的には豊かだったが、彼の父は彼と彼の母とを顧みなかった。父は正妻である彼の母以外の女性を愛し、家には寄りつこうとはしなかったのだ。

 しかし、体裁を重んじる彼の両親は、その婚姻を解消しようとはしなかった。母もそんな夫をそっちのけで趣味に没頭し、家を空けて過ごすことが多かった。同じ敷地内の別邸に祖父母が居るには居た。しかし、祖父がいるうちはまだ行き来はなくもなかったが、亡くなった後、祖母は口やかましく、何かと口を開くと嫁である彼の母の悪口を展開するので、彼自身が彼女を避けるようになっていった。

 結果、彼は幼いころから広い結城家に一人取り残されることとなった。夏海はそう聞いている。

 彼の面倒を実際に見てくれる血のつながらない大人たち――たとえそれが彼を心から愛してくれる存在だったにせよ――との生活は、次第に彼に見えない壁を作らせた。

 そして物腰は柔らかいが、目の笑ってない……そんな少年が出来上がる。夏海が出会った頃の龍太郎は、教室の隅でクラスメートの動向をつぶさに見ながら値踏みしている様な少年だった。

 しかし、そんな彼も、夏海には心を開いたのだ。少なくともこれまで彼女はそう思っていた。


 一人暮らしを始めてから、初めて彼女が彼のマンションで泊った時、ふと目を覚ますと龍太郎は、ベッドに膝を抱えて坐っていた。それを見た彼女は思わず首筋から包み込むように彼を抱きしめた。驚いて夏海を見た後、ホッとして幼児の様な表情になった龍太郎の顔がまだ夏海の脳裏に焼き付いている。それ以来、彼女が彼の部屋に泊まるときは、寝る前に必ずと言って良い位、そうやって膝を抱えて坐っている彼を背後から抱き締めるのが、半ばお決まりごとの様になっていた。

 思えば彼は彼自身を夏海に全て晒してから以降は、彼は夏海に対していつも甘え口調だったかもしれない。龍太郎は私を女としてではなく、母の代わりとしてしか愛せないと言うことなのだろうか。


 夏海は龍太郎の突然の別れをすんなり受け入れた訳ではなかった。しかし、彼女は彼のそうした「影」の部分も知っていただけに、彼が一生誰とも結婚しないし、それを期待する夏海を遠ざけようという気持ちになったのだろうと、そう理解した。実際、彼はマンションこそ出なかったものの、翌日には電話番号は変えられており、それがはっきりとした別れの意思表示だと夏海は受け取った。直接乗り込んだところで、彼は話し合いには応じない、そう思ったのだ。

 かくして……夏海と龍太郎は別々の人生を歩み始めたのだった。

 

 龍太郎と別れて夏海が一番困った事、それは休日の過ごし方だった。

 平日は良かった。仕事に没頭していれば良いのだから。夏海の様なお局様手前の女性は、仕事が頭に入ってる上に、男たちを頭で抑えつけたりしないので、求めさえすればいくらでも仕事を割り振ってくれた。

 しかし、休日は違う。朝食を食べてしまえば、朝から何もすることがないのだ。

だからと言って、夏海の性格ではだらだらと惰眠を貪ることもできず、とりあえず見たくもないテレビのスイッチに手が伸びるだけだったりする。

 今まで、休日は龍太郎と共に過ごすのが当たり前だった。よほどの用事でない限り誘いにも応じない彼女は、次第に誰からも誘われなくなっていった。以前はそれをありがたいとさえ思っていたのに。

 改めて自分からかつての友人たちに遊びの誘いをかければ良いだけの事だと解かってはいる。だが、そうなると夏海は彼女らに龍太郎との関係の終結を告げる事から始めなければならない。今の夏海にはそれは辛すぎた。彼女は嫌いで別れた訳ではなかったからだ。

報告自体も辛いが、彼女の慰めの為に龍太郎をこき下ろすであろうその台詞も、彼女は聞くことが出来そうになかった。


 そんな日曜日の午後のことだった。所在なくリビングのテレビを見ていた夏海に、彼女の母が言った。

「珍しいわね、結城君は仕事?」

そう聞かれた夏海は俯いて首を振りながら答えた。

「龍太郎とは……別れた」

「そう、やっぱり」

夏海は母の返事を聞いて頭を上げた。お母さん、気付いていたんだ。龍太郎に別れを告げられたあの日でさえ、私は家族の前では涙を見せなかったと言うのに……

「夏海ちゃんには悪いけど、正直お母さんホッとしているわ。」

「ホッとしてるって……」

母親の言い草に彼女はむっとした。

「今なら充分間に合うもの」

彼女は続く母からの励ましにぷいと顔を背けた。

心配する母の気持ちは解からないでもない。でも、そうやって結婚に焦らされた結果がこれなんじゃないの? 母に恨みがましい気持ちが沸々と湧くのを感じて、夏海は黙ってテレビを消すと、自分の部屋に戻って行った。


 夏海は事情を知らない会社の同僚と休日も過ごすことが多くなっていった。

中でも、今年入社してきた中谷小夜子は、五歳年下ながら気が合うと言うのか、夏海にひどく懐いていて、彼女に合わせて行動しているというのか、自然と彼女と行動することが多くなっていったのだった。

 そんなある日、小夜子が待ち合わせの場所に男性を伴ってやってきた。

武田康文――埼玉の大学三年生の彼は、小夜子の一年先輩で、先日街でばったり出くわしたと言っていた。

 夏海は一目で小夜子が武田に気があるのだと判った。しかし、引っ込み思案の彼女は、一対一でのデートを申し込むことができなかったのだろう。私はダシにされているだけなのよね。夏海はそう思ったが、自分だって龍太郎と付き合っていたころはそうやって散々友達をアリバイ工作に利用してきた経緯がある。(ま、罪滅ぼしってことでいいかしらね)夏海はそれこそ、小夜子の姉か母にでもなった気になって同席していた。

 実際、彼らの話の内容は、当然ながら彼女の知らない人物の話が中心。夏海は正直に言って内容もほとんど聞いていなかった。

 それに、夏海はどんなに友達とワイワイ話している時でも、店のBGMだけは何故か聞えていて、好きな曲だと反応して口に出してしまう癖がある。しかも、それは大抵というかほぼ間違いなくクラシックなので、他の面々にはスルーされてしまうのだが……

「あ、ジムノペデイの三番……」

その時も夏海はそうぼそっと呟いてしまっていた。

「あ、ホントだ、エリック・サティ、ジムノペディの三番だ。倉本さんもクラシックお好きですか。」

すると、武田は話を中断させてそう答えた。

「ここは良い曲がよくかかるから、俺も好きな店なんです」

そう言えば、今日は珍しく小夜子が店を指定してきたなと思ったのだ。小夜子がチョイスしたのではなく、武田のチョイスだった訳か……夏海はそのことに妙に納得した。

「ごめんなさい、話の腰を折っちゃったかな。私、幼稚園の先生を目指してた頃があって、ピアノずっとやってたから……」

やってたと言うほどではない。元々クラシックが好きだし、この曲は龍太郎も好きで、マンションで何度も一緒に聞いた曲の一つだったからだ。夏海の心の中に、あの頃の風景が鮮やかに甦る。

「あれ、何か訳ありの曲でしたか? おーい、何か遠い目してますよー」

夏海は彼女の顔の前で手を振りながら言う、武田のお茶ら気た一言で我に返った。

「センパーイ、失礼ですよ、そういうの」

小夜子がはらはらした様子でそれに苦言を呈した。

「う、ううん……そんなことないわよ。この曲好きだからじっくり聞いていただけよ」

夏海は慌てて小夜子にそう言った。

 龍太郎からはもう解放されたはずなのに、モノの好みも音すらも結局彼に戻っていく。私だけのモノは一体どこにあるのだろう、どこに置いてきたんだろう。そう思ったのが顔に出てしまったみたいだ。夏海は苦笑しながら軽くため息をついた。


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