理想の夫
「何か実感湧かないのよね。本当に雅彦さんが私の夫だって言う……」
「ナツ、独身の私から言わせたら、それゼータクってもんだわ」
夏海のその発言に、クダを巻きながらクルミが返す。
この日は、夏海の短大時代の同級生が彼らの新居に押しかけていた。
「そうそう、嫁の酒盛りのつまみが足りなくなったって、即座に買いに走ってくれる旦那なんていないよ。私なんて、置いてこれたのは上だけなんだから」
大人ばかりの空間に飽きてしまって、今は眠りの中にいる息子を一瞥しながら、都子が言った。
雅彦は大いに盛り上がって長引く女たちの宴に少々気後れがしたのか、つまみを補充すると言って出て行った。その間にぽろっとこぼれた、夏海のそれが本音だった。
雅彦は優しい。自分を専業主婦にしたのは彼なのに、料理以外の家事をすぐに手伝おうとする。何故、料理だけは手伝わないかと言うと、本人が苦手だと思っているからだけのようだ。雅彦がもし料理に目覚めるようなことになれば、自分の仕事はなくなってしまうんじゃないかと、夏海は思った。
買い物に一緒に出かけると、荷物は絶対に彼女には持たせない。できる限り片手で荷物を全て抱え、空いたもう一方の手で夏海の手を握り、ご機嫌でショッピングモールを闊歩する。
この新居も、子どもが生まれた時に環境の良い、危なくない所とは言っていたが、今までのように頻繁に野球部時代の仲間に誘われないための選択だということは明白だった。
そこまで自分に入れあげる雅彦の気持ちに、夏海自身がついて行けない。
「ま、ナツは尽くす女だったからね。前の彼……龍太郎さんって言ったっけ? 文句も言わずに八年。挙句の果てに浮気されてエンドだって言うんでしょ。尽くされることに慣れてないだけよ」
そして雅彦がいない安心感と、そろそろ本格的に酒が回り始めているのとが相まって、ここが雅彦との新居だというのに、巳緒はそうやって、龍太郎との昔話を蒸し返す。夏海は武田との付き合いを彼女らに相談していなかったことに安堵した。知られていたら、きっとそれも肴にされる。その内に雅彦が帰ってくるかと思うと気が気ではない。
「にしても、ナツ? あんた全然飲んでないじゃん。酒豪のあんたがどうしたの。もしかして、もう飲めない状態ってこと?」
二人の子持ちの都子が、ビールにほとんど手を付けていない夏海に気付いて、そうつっこんだ。
「まだ、結婚して日は浅いし、それはないわよ。それに、新婚旅行の最終日にきちゃったし……」
それに対して夏海はそう答えたが、それを聞いた都子が吹き出した。
「ナツからよもやそんな真面目な返事を聞くとは思わなかったわ! それに、新婚旅行中にきたってホッとしてるなんて、それまでにエッチしてますってのをばらしてるのと一緒じゃん。」
「あ……」
やられたと、夏海は顔を赤くした。
「伊達に、二人も子ども生んでないってか。ナツもさぁ、今更純情ぶっても遅いって」
それを見てクルミが膝を打って笑ったので、夏海は彼女を横目で睨んだ。
「何が不満なのかねぇ……話聞いてる限りでは、理想の旦那じゃん」
その様子を見ながら、巳緒が首を振りつつそう呟いた。
そう、結婚後はもちろん一線を超えてしまった後、雅彦さんは会うたびに求めてきた。私も、それを事情が許す限り拒まずに応じている。
でも、身体は刺激に反応するけれど、実は心の奥底で何か冷たいものは残ったまま。
雅彦さんが言ってくれたように、“少しずつでも好きになる事”、本当にできるんだろうか。私はそれがいつも不安……
夏海はその本音を言うことができず、心の中でひとりごちた。