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Parallel(パラレル)  作者: 神山 備
第一部Parallel
21/71

空耳?

 康文の声が聞きたい――逃げるように家に戻った夏海は、子機を部屋に持ち込むと、早速武田に電話を入れた。

「もしもし」

「……」

呼び出し音が途切れた途端、耳に流れ込んでくる武田の低く透き通った声を聞いた夏海は涙がこぼれて、言葉を発することが出来なかった。

「夏海さん……だよね」

それに対して、武田は少し訝るような言い方で彼女に尋ねた。

「ごめんなさい……久しぶりに声を聞いたから……」

「こっちこそ、なかなか電話できなくてゴメン……何か、用?」

「あ、あの……」

見合い相手とその後も会っていて、結婚を仄めかされたなどとはとても言えない、逡巡していると、受話器の向こうから女性の声が響いた。

『康文! 何してんのよ、早くこっちに来なさいよ』

その途端、武田はそわそわし始め、

「ちょっとまだ忙しいんだ。もう少ししたら、こっちからかけるよ」

と言った。

「忙しいならいいわよ。それから、明日から私も忙しいの。色々あって……帰りも遅くなるの。こっちから電話できなくなるから。それだけ……」

「そう、じゃぁお休み。切るね」

 電話を切った後、夏海は子機をぎゅっと抱き締めて泣いた。そして、聞えすぎる自身の耳を呪った。……あの女、『康文』と呼び捨てだった。やっぱり、年上……なんだろうか。

 普通電話では電話している本人以外の声は聞こえないものらしい。しかし、夏海の耳は受話器越しの少し離れた者の声まで拾ってしまい、電話口の人間の取り次ぎを経ず、当然聞えるはずのないその者にまで返事をしてしまうことがある。武田はそのことを知っていたろうか。大学時代から一人暮らしだったし、小夜子と二人でいた所に電話をした記憶もない。それに、たとえそうでなくても、彼はその傍にいた女性の言葉に明らかに動揺していた。

『あっちで別の女を作られて、それで終わりだわ』母の言葉が刃となって夏海の心に突き刺さる。母の言っていた事がまさに現実化している? そう思った時、夏海は震えが止まらなくなっていた。

 そのとき、不意に着信音が鳴り響いた。夏海は驚いて抱きしめていた子機を放りだしそうになった。ああ言ってはいても、自分の態度に何かを感じ取ってかけ直してきてくれたのかしら……そう思いながら着信ボタンを押した。

「もしもし、倉本さんのお宅でしょうか」

しかし、かけてきたのは武田ではなく雅彦だった。夏海にがっかりする気持ちとホッとする気持ちが交錯する。

「あ、夏海です」

「夏海さん、今日はすいませんでした。映画館から後、急に元気がなくなったみたいでしたし。実は、泣いてる顔も素敵だと、見入ってしまってました」

雅彦は夏海が泣いているのを見られたことを怒っているのだと思って、謝りの電話を入れたのだ。

「いえ……そんなの、何とも思ってないですよ……」

「ああ、それだったら良かった」

そして、そんな小さなことに心底ホッとした様子の雅彦の口ぶりに、夏海はまた涙があふれてくるのを抑える事ができなかった。

「夏海さん? ホント、何かあったんですか? 自分で良かったら話聞かせてください」

雅彦はそんな夏海の涙に気付いてそう言った。しかし、たった今恋人に裏切られたことを見合い相手の彼に言える訳がないではないか。

「いいえ、何でもないですよ。それより私、いつ行ったらいいですか」

「はい?」

「練習試合の応援」

「えっ? えーっっ! 来て下さるんですか?」

雅彦の叫び声と同時に、ゴトンという鈍い音が夏海の耳に響いた。夏海が練習試合を見に行くと言われて、今度は雅彦が本当に受話器を落としてしまったのだ。

「す、すいません。自分、あんまりびっくりしてしまいまして、電話落としてしまいました」

「謝らなくてもいいですよ。で、いつ行けば良いんですか」

「はいっ! えっと……スケジュールは……」

雅彦は完全に舞い上がった声でぶつぶつ言いながら、日程表が書かれた手帳をバサバサと繰り始めた。

 これが彼に対する自分からの意思表示になると言うことは夏海にもよく解かっていた。

武田のことの反動だというのは間違ないが、その時夏海は、普通に幸せになるののどこが悪いの? という開き直りの様なものも、同時に感じていたのだった。


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