最悪の事態 2
「いやぁ、まさかあなたにOKを頂けるなんて思ってませんでした」
待ち合わせの土曜日、雅彦は挨拶もそこそこに夏海にそう言った。
「あ、あの……それは……」
ウチの母親が私に断りもなく勝手に受けたのであって……夏海はそう言おうとしたのだが、雅彦のあからさまの喜びの表情を見てしまうと、それを飲み込んでしまった。断るなら、傷は浅い方が良いはずなのに――そう思いながら。
そして、初めて会った時とは打って変わって雅彦は饒舌になっていた。
「夏海さんはどのチームがお好きですか。自分は〇〇のファンなんです」
「すいません、私野球自体知りません」
雅彦にそう聞かれた時、夏海は素っ気なくそう答えた。野球の事は本当に知らなかった。ボールをバットで打ち、一・二・三塁と順に走って元に戻ってくる位の知識しかない。それにしても彼は、自分のことを『自分』と呼ぶのか。如何にも体育会系……脳味噌も筋肉でできているのではないかと彼女は思った。
そのあと、今度は夏海が雅彦の野球に対しての熱い思いを一方的に聞かされることとなった。内容は半分も解ったろうか。彼女は意味も解からず適当に相槌を打つだけだった。
そして、ひとしきり話し終えたのを見計らって、夏海はようやく彼女の彼に対する最大の疑問を問いかける事が出来た。
「飯塚さん、失礼ですがどうしてあんな写真の私に会ってみようと思われたんですか」
「えっ、あんな写真って?」
雅彦は写真の事を問われて首を傾げていた。この人、私の写真も見ずに会いに来たんだろうか。それほど気持ちのない出会いで、よくも受けてその上こんなしらじらしい態度が出来るものだわ。彼女は首を傾げる雅彦を睨んだ。しかし、写真の事を思い起こそうとしていた様子の彼はそれに気付かなかったようだ。
「私、一人では写ってなかったでしょ?」
「ああ、そのことですか。あれ、社員旅行の写真ですよね。ものすごく良い笑顔で写ってらしたから、良い職場にお勤めなんだなと思いました」
なるほどそういうとり方もある訳か……そう思った直後、雅彦の口をついて出て来た言葉に夏海は目眩がして倒れそうになった。
「で、一目ぼれです」
雅彦は頭を掻きながらそう言ったのである。野球三昧の日焼けした肌では赤面しているかよく判らない状態だったが、彼の照れ具合を見ていると、しっかり赤面しているに違いない。
雅彦が夏海を初めて目の当たりにして口を半開きにしたまま固まった本当の理由は、写真を見て一目で恋に堕ちた女性が実体化した喜びと戸惑いだったのだ。さらに当日、夏海はプロによって一段と磨きをかけられた状態で現れた訳で、彼の恋心はますます加速した。気さくな話しぶり、彼の母に対する対応(これは雅彦では話の間が持たないために、ついつい雅彦の母に話しかけることになったためではあるのだが)を見るにつけそのボルテージは上がっていき、頂点に達した。
もうこの女性を逃してはいけない。仲を取り持って下さった方から、夏海(正確にいえば夏海の母なのであるが)の方もお付き合いをしたいと言ってくれたと聞いた時、意を決してこれからは積極的に行こうと思い、何度も自宅でシュミレーションをしてこの日を迎えたのだ。そんなことを夏海が知るはずもない。
どうしよう、このままじゃ飯塚さんに押し切られてしまうわ。初対面とは全く別人になってしまったように積極的にアピールする雅彦に、夏海はそう思いながら何故だかその日、言わねばならない断りのための台詞を何度も呑み込んでしまったのだった。