逆転
大学の長い夏休みが終わる頃から、小夜子の機嫌がだんだんと悪くなるのが夏海にも判った。武田が卒業準備を理由に少しずつ彼女を遠ざけているのだ。
「ああ、その頃? そう言えば龍太郎もカリカリしてたかしら。部屋に行っても、ずっとレポートを書いていて、わたしはそれをずっと見てるだけだったり」
龍太郎の事を直接知らなくても、高校時代から彼と付き合いがあったことを小夜子は知っている。龍太郎の卒業間際の事を聞かれて、夏海はそう答えた。
「浮気でもしてるんじゃないでしょうか。何かやっちゃんから聞いてませんか、ナツ先輩。」
小夜子はため息交じりにそう続けた。夏海は内心動揺しながら、
「えっ? 最近私には連絡すらないわよ。だから、二人上手く行ってるんだと思ってたんだけど?」
と、表向きは表情も変えずにそう言った。
「そうですか……じゃぁ、ホントに勉強なのかなぁ」
小夜子は首を傾げる。このまま側にいては、動揺に気付かれそうだ。夏海は書類を抱えると、小夜子に背を向けてコピー機の前に向かった。
それに、これは浮気じゃなくて本気。彼の心はもうあなたにはない。
夏海は最初こそ二股かけられているような気分だったが、今は女同士の関係を崩さないための彼の配慮だと思うようになっていた。
都合のいいように武田に操られているだけなのかもしれない。彼女はそうも思ったが、それをもはや苦々しく思わなくなっていた。
――秋――-
夏海は武田から大学祭に来ないかと誘われた。
「ねぇ、いきなり小夜ちんが現れるとかない?」
と心配する彼女に、」武田は笑いながら言った。
「夏海さんは心配性だな。大丈夫、最近はほとんど会ってないし、大学祭の日程なんて小夜ちゃんは知らないですから」
彼のことを信用しないのではない。だが、夏海が怖いのは小夜子も持っているであろう女のカンなのだ。
夏海はあれから、武田とは一切会ってない体を貫いていた。下手に友達としてでも交流があると言えば、自分からももう少し彼女に連絡しろと説教をするように頼まれそうだし、そんな演技を小夜子の前で武田に電話ででもして見せられる自信は、正直夏海にはなかった。
何かを感じてこっそりと大学に来た小夜子が、会ってないはずの自分と彼との姿を見つけたら…そう思うと夏海は気が気ではないのだ。
それで、夏海は小夜子に大学祭当日、別の場所への誘いをかけてみた。もし、彼女が乗ってくるようなら、後日何かしらの用事を作ってキャンセルするつもりだった。
「あ、その日ですか? 法事です、ごめんなさい」
しかし、それに対して済まなそうにそう言った小夜子に、夏海はホッと胸をなでおろした。親への言い訳にも本当に自分を誘ってしまう彼女のこと、それが全くの嘘で、こっそりと覗いているというような芸当はできないだろう。
「最近忙しいナツ先輩が、折角声掛けてくれたのに……ホントにごめんなさい」
笑顔で謝る小夜子に、夏海は胸が痛んだ。
夏海はその夜、そのことを電話をかけてきた武田に報告した。
「ほら、やっぱり大丈夫だったでしょ。夏海さんは心配し過ぎなんですよ」
「康文は呑気すぎるのよ。女って怖いのよ」
やはり笑っている彼に、夏海は不満そうにそう返した。
「ホント、女って怖いな。夏海さん、毎日小夜ちゃんと顔合わせてるのに、全然気づかれてないんでしょ」
「たぶんね……でも、あなたがそれを言う訳?」
誰のためにここまで神経を遣ってると言うのだ。
「おー怖っ。そうです、一番悪いのは俺ですからね。ホント、苦労かけます」
普段は低音なのに、笑うと妙に高くなる武田の笑い声が受話器いっぱいに響いた。