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乾かし屋シェラの物語

乾かし屋シェラの水の記憶と恋のゆくえ

作者: 雪月花
掲載日:2026/04/05


 どんよりとした空に覆われたミスレスト村。

 今日も細かな雨が、窓を優しく揺らしている。

 そんなのどかな片田舎で、私は「乾かし屋」さんを営んでいた。


 誰もいない店内で、紅茶を飲んでまったりしていると、珍しくやわらかな光が差し込んできた。

 窓の外へ目を向ければ、あんなに泣いていた空がいつの間にか笑っている。

 つられて小さくほほ笑んでいると、お店の扉がコンコンとノックされた。


「はーい」

 パタパタと駆け寄り、そっと扉を開ける。

 

 するとそこにはーー


「会いにきたよ。愛しのマイハニー!」

 

 無駄にキラキラした男性が、爽やかな笑顔を浮かべて立っていた。




 訪ねてきた男性ーーエリオルの前に、私は紅茶をことりと置いた。

 それから向かいの席に腰を下ろし、改めて彼を見る。


 エリオルは「ありがとう」と言って目を細めると、紅茶を静かに飲んだ。

 柔らかな金色の髪がさらりと流れ、青い魔法石のピアスが耳元できらりと光る。

 その姿は、どこかの王子みたいに様になっていた。

 

 そう、彼はーー

 こちらがちょっと引いてしまうほどカッコいいのだ。

 ()()()()()()()()……だけど。


 ひとくち紅茶を味わった彼が、カップをソーサーに戻してからおもむろに口を開いた。


「でさ、いつ結婚してくれるの?」

「……出会った時からそれ言ってるよね?」

「うん。世界一の水魔法使いを伴侶にするのが夢でさ。『サンドラッドの奇跡』を聞いた瞬間から、シェラだって思ったんだ」

 エリオルが、もう何度目か分からない告白を得意げに告げた。


 彼はーー


 私が物思いに(ふけ)ろうとしていると、エリオルがペラペラと喋り始めた。


「ボクも世界一の水魔法使いだからーー」

「あ、代わりに語ってくれるの? ありがとう」

「?? どういたしまして?」

 エリオルは一瞬きょとんとしたけれど、すぐさまキリッと表情を引き締めた。


「今まで各地を旅していたんだ。もちろん水魔法使いとしての腕を磨きながらね。……やっぱりボクってすごいな。世界広しと言えど、ここまでやるのはボクだけじゃないか?」

 彼がふぅとため息をつき、前髪をかき上げた。

 私はうんうんと空返事をしながら、紅茶をゆっくり口に含む。


「でも……ボク以上に水を扱える人には出会わなかった。それってつまり、ボクが一番ってことだろう?」

「そうだねぇ〜」

 お茶菓子のクッキーに手を伸ばしながら、適当な相槌を打つ。


「だ・か・ら! ボクの伴侶には君ほどの実力者が相応しいんだ。シェラ、結婚しよう!!」

 ひとり盛り上がってきたエリオルが、クッキーを持った私の手を掬い上げ、指先を自分の口元に近づけた。


「……まだ、出会って2週間だし……」

 私はそっと指を引き抜いて、代わりにクッキーを彼の手に残した。

 

「シェラがそう言って不安がるから、毎日会いに来てるだろ? もう、ボクのこと分かってくれたよね? ボクじゃ嫌?」

 エリオルは苦笑を残したまま、真っ直ぐ見つめてきた。

「…………」

 私は思わず頬を染めてモジモジと目を逸らす。

 彼は見守るように優しく笑うと、手にしたクッキーに視線を落とした。

 そして、間を持たせるように小さくひとかじりする。


 うぅぅ……

 言ってることはめちゃくちゃなんだけど、カッコいい人にこんなに言い寄られると、正直照れる。


 パパとママにも勝手に挨拶するし、ママなんか「このさい、彼にしとく?」なんてことも言うし……

 私もそろそろ、そういうの考えなきゃいけない年齢なんだけど、

 でも……

 でもーー


「何を悩んでるのか分からないけど、早くボクと結婚してこのジメジメした村を出ようよ」

「…………」

 無邪気に言い放つエリオルに、私は途端にすんとした。


「それでボクと一緒に、世界を巡ろうよ! 楽しいだろうなぁ。世界一の水魔法夫婦での旅なんて!」

 彼がキラキラした目を窓の外に向けた。

 そこに水を差すように、私はすっと返した。


「私、この村が大好きなの。……ずっとここでのんびりしていたいから」

「えぇ!? それ、本気で言ってたのかい? ここより快適な場所はたくさんあるのに……」

 エリオルが眉毛をこれでもかと下げて、まるで可哀想な子を見るみたいに私を見つめる。

 けれど次には、パッと表情を明るくして言った。

「水の聖地と呼ばれる場所なんてどうだろう? 大きな湖に浮いているような街なんだ。その近くにある生活魔法が発達した街もいいな」

「……どちらも素敵な場所だけど……」

 おずおずと切り出す私に、彼が詰め寄って熱く語った。


「どっちでも楽しいと思うな! ボクたちふたりなら!」

「…………」

 私はぽぽぽっと頬を染めた。

 それを見て笑ったエリオルが「雨ばっかり降るここより絶対!」と余計なことを言う。


 彼は私の大切な村を無意識に悪く言う。

 気持ちは分かるけど……さすがに好感度はだだ下がりだ。

 

 しかも『水魔法を極めたいなら、雨にも慣れなきゃ〜』とか言って、本当はケラケラ笑いたいんだけど。 

 でも、間に受けて怒るか泣くかしそうだからやっかいだ。

 うん……泣くかもね。

 

 幼馴染のアルドなら、少しくらい遠慮なく言っても笑い合えるのに。


 ふぅっと息を吐いた私は、ついとエリオルから目を逸らした。

 

 そして〝結婚したら、ふたりで暮らすのかぁ〟と、ぼんやりと思い浮かべた。

 同時に〝誰かに言い返したい〜〟なんて考えていたせいか、妄想の中に、どこかのソファで向かい合う私とアルドが現れた。

 するといつもの掛け合いが始まった。


『シェラ、しおれてない?』

『だってここは年中暑いから……』

『…………ま、一回干からびてるからな。まだまだ大丈夫だろ』

『えー、そうなるまでほっとかないでよ』


 ……ふふっ。

 ミスレスト村から遠く離れた、暑くて乾燥した土地を治める幼馴染。

 彼は元気にしているだろうか。

 このところ、顔を合わせてばかりだけど。


 人知れず苦笑にも似た笑みをこぼしていると、エリオルが手を差し伸べてきた。


「そろそろ水魔法を見せてくれない?」

 彼がそう言って席を立ち、白い歯がこぼれるように笑った。

 子供のような好奇心いっぱいの瞳を向けられて、〝本当に水魔法が好きなんだなぁ〟と、ついこっちまで笑ってしまう。


「いいよ。いつもの場所でね」

 私は素直に彼の手を取って、立ち上がった。




 ーーーーーー


 このまえ私が張った、移動用の魔法陣。

 そこに立って呪文を唱えると、景色がふっと切り替わりサンドラッドの広場に出る。


 ミスレスト村では、私の水魔法は強すぎて使えない。

 だからこうして、乾いたサンドラッドまで来るしかなかった。

 

 ちなみに旅人のエリオルは、今はここに滞在している。

 ミスレスト村にはどうしても泊まりたくないらしくて、魔法陣を使って私の所に足しげく通っているのだ。


「うぅ……やっぱりこっちは暑い〜」

 私は照りつける日差しを浴びて、思わず身を縮めていた。

 その横で、エリオルが呪文をさらりと唱える。

 彼の周りがほのかに光り、すぐにフッと消えた。

 目には見えないほどの薄い水のヴェールを張ったのだ。

 こうすると、じわりと空気が冷えていく。

 暑い場所でも少しは過ごしやすくなる、繊細で高度な魔法だ。


「ほらシェラもやってみて?」

「う、うん」

 私は彼に教えてもらった呪文を、こっそり気合いを入れて唱えた。

 すると周りがふわりと光り、瞬時に消えーー

「きゃっ! また裾にかかっちゃった」

 ヴェールを薄く保つのが難しくて、厚くなった部分がパシャリと落ちてしまった。


「でも上達してきてるよ。さすがボクのハニーだね」

「……ありがとう」

 穏やかに笑うエリオルに、私は頬を染めて返した。


 彼のこういうところは、いいなって思う。

 魔法を優しく教えてくれるし、私のことを褒めてくれる。

 けれど同時に……


 ()()()水魔法使いにされていくみたいで、ちょっと身構えてしまう。


 …………


 私は気を取り直して、広場の奥にある泉の方へと体を向けた。

「じゃぁ、水魔法を使ってみるね」


 そう言って右の手のひらを差し出し、呪文を唱える。

 するとサラサラと光の粒が集まり、手の上で大きくなっていく。

 それが澄んだ水に姿を変えたころ、エリオルが背中に触れるくらいの距離で後ろに立ち、水球の上から手をかざした。


 距離の近さに、思わず私の声が途切れた。

 振り返って見上げると、彼が聞いたことのない呪文を唱えている。

 すると私の視線に応えるように、エリオルが合間に話しかけてきた。


「……遠い昔の古い呪文だよ。シェラが〝雨の唄〟を混ぜたって言うから、ボクも試してみたくなって」

 それを聞いた途端に、気恥ずかしさがすっと引いていく。

 代わりに好奇心がむくむくと顔を出した。

「ふふふっ。だからそんなに可愛い響きなんだ。あ、深い青色に変わった?」

 クスクス笑いながら目の前の水球を見つめた私は、それをやんわりと押し出した。

 青い水球は、ゆるやかに泉の真ん中に移動する。


 すると突然、左腕を乱暴に引き寄せられた。

「わぁ!」

「サンドラッドの大事な水路で、遊ばないでくれたまえ」

 急に現れたアルドが、私を背後にかばうようにしてエリオルと対峙した。

 形を保てなくなった水球が、パシャンと弾けて泉を青く濡らす。


 エリオルはその様子を横目で見やり、小さく息をついた。

 それから、やれやれといった様子でアルドへと視線を向ける。


「また君か」

「君とは失礼だな。ここの領主だぞ」

「ボクたちは遊んでるんじゃない。世界一の水魔法使いとして大事な実験をしているんだ。その舞台に選ばれたことを、光栄に思うといい」

「はぁ? 世界一だなんてお前の自称だろ? ふざけたことを言うなよ」

「ふっふっふっ。分かっているよ。魔力が無い者の遠吠えだと言うことを!」


 ふたりがいつものように、いがみ合いを始めた。

 私はその様子をひと息ぶん眺めてから、ゆっくりと辺りを見渡す。

 すると少し離れた場所にロア君の姿があった。

 アルドの従者である彼も、ここに駆けつけたのだろう。


 どうやらこの街は警備が厳しくて、魔法陣のゲートで入るとすぐ領主に連絡が行くらしい。

 私が来ると、いつの間にかアルドが現れるのだ。


 アルドの領地はすごいなぁとぼんやりしていると、ロア君がいつの間にかそばまで来ていた。

「あの魔法使いの男性と仲良いですね。もしかして結婚の申し込みを受け入れたんですか?」

 さっきの様子を勘違いされたのかと思い、私は苦笑しながら答えた。

「そうじゃないの。けど……魔法のこと、特に水魔法の話が出来るのは楽しくって」

 そして素直な気持ちを告げた。

 

 ちなみに水魔法を披露するたびに「やっぱり君だ! 結婚しよう!」とエリオルが叫ぶものだから、彼から猛烈に言い寄られているのは周知の事実だ。

 

 頬を緩めたままの私は、ふと足元に視線を落とした。

 それから少しだけ表情を曇らせて続ける。

「でも……村を出て旅人になるのはちょっと……」

 するとそこに、アルドが口を挟んだ。

「ほら、シェラもああ言っているじゃないか。迷惑だからいい加減にしたらどうだ?」

「彼女は迷っているだけだよ。世界に羽ばたくのを。それを君に止める権利はないさ!」

「いいや! シェラは村を出ないね。絶対に!!」

 相変わらず、私を置いてけぼりにして言い合うふたり。

 それを見たロア君がぼそりと呟いた。


「……アルド様、それだとこちら側も困るのですが……」

「え?」

 思わず首をかしげて顔を向けると、ロア君はニッコリとほほ笑むだけだった。


「シェラさんは、あの男性に好意は抱いてるんですか?」

「ううーん……それがよく分からなくって。こんなに言い寄られることってなかったから……」

 言っているうちに盛大に照れてしまい、声がどんどん小さくなっていった。

 私が真っ赤になってうつむくと、ロア君は視線をアルドへ移し、わざと口元に手を添えて言った。


「ですって、アルド様! ハッキリ言ってくれる人がいいって、シェラさん揺れてますよ!」

 すると、はっとしたアルドが私の方を振り向いた。

 口をもぞもぞさせ、歯痒そうな表情を浮かべる。

 

 彼が何か言おうと口を開きかけた時、エリオルが私に詰め寄った。


「シェラ、何度も言うよ。ボクと結婚して欲しい」

 彼は私の片手を掬い取り、柔らかく握った。

「だからボクと一緒に行こう。君にいろいろ見せたいんだ。きっと楽しいよ。……いや、絶対楽しい! なんたってボクらは世界一の水魔法使いなんだから!」

 頬をうっすら紅潮させたエリオルが、熱心に語る。

 私もつられて、つい見惚(みと)れてしまう。

 

 そんな甘い空気を払拭するように、広場に男性の声が響いた。


「エリオルさん! 水路が大変なんだ! 世界一の水魔法でまた直してくれよ!」

 大慌てで駆け込んできた男たちが、エリオルの腕を左右から引っ掴む。

「今すぐ! 急ぎで! 今この瞬間!!」

 そして間髪入れずに連れ去ろうとした。


「任せたまえ! ……けど、やけにトラブルの多い水路だな」

 エリオルはブツブツ言いながらも、得意顔で引きずられていった。

 それを見たロア君が平然と言う。

「水路も忙しい時期ですからね」

「…………」

 アルドはなぜか呆れ返った表情で、ロア君を見ていた。


 

 

 残された私は、エリオルが去っていった方を、しばらくぽかんと見つめていた。

 するとアルドが隣でぼそりと呟く。


「水魔法が得意なやつって変わってるよな」

「う、うん。……って、私も入ってる?」

 私が目を丸めてアルドをまじまじと見つめると、彼はフッと鼻で笑った。

「えぇ!? 私はあそこまで突き抜けてないでしょ?」

「まぁ穏やかだけど、やってることは……」

「一緒だって言いたいの!?」

「……シェラは世界一のんびりしたい水魔法使いだろ?」

「…………そう言われると何も言えない」


 私とアルドがいつものように喋っていると、ロア君がコホンと咳払いをした。

「アルド様、お時間が……」

 

 アルドは彼に目配せしてから、私に向き直った。

 そして視線を泳がせる。

「あ、あのさ、シェラ……俺はミスレスト村まで通ってもいい覚悟はあるからな」

「?? 今もそうしてくれてるよね?」

 私が首をかしげると、アルドは「そういうことじゃなくって……」と口ごもる。

 その隣で、ロア君がなぜか盛大なため息をついた。


 続きを待ってアルドを見つめていると、彼はくるりと背を向けた。

「仕事があるから、もう行くな。シェラもさっさと帰るんだぞっ」


「……頑張ってね〜」

 私は小さく手を振りながら、その背中を見送った。

 



 ーーーーーー


 何となくそのまま帰る気になれなかった私は、サンドラッドの街並みを水路沿いに歩いていた。

〝これからどうしようかな?〟なんて漠然としたことを考えながら、ただひたすらに道を進む。


 ふと顔を上げると、向こうからきた女性とぶつかりそうになり、お互いに足を止めた。

 女性は私の顔を見ると、ぱっと表情を明るくする。

「もしかしてシェラ様!?」

「さ、様だなんて……」

 コクコク頷きながらも、彼女の勢いに思わず一歩引いた。


 私と同じ年頃の子って、村にいないから緊張するんだよね。

 女の子なんて、なおさらで……

 

 私が戸惑っているのにも構わず、元気な女性は喋り続けた。

「だって領主様の恋人なんだから、シェラ〝様〟でしょ? もう奥様って呼んだ方がいいかしら? ほんと、水を自由に操れるあなたのような人がいてくれると、私たち住民は安心して暮らせるわ!」

「え、う……あの、私はただの村人なので、アルドは領主様だし……そんなんじゃ……」

「何謙遜してるんですか! あんなに凄い魔法が使えるじゃない! 領主様もいい方をお選びになったわ。ぜひこれからも領主様を支えて下さいね」

 彼女は満面の笑みを浮かべてそう言った。

 そして「それじゃ、失礼しますね!」と言って軽やかに去っていく。


 私は口をあんぐりと開けたまま、しばらく固まっていた。

 それからゆっくりと辺りを見渡しーー


「……ここ、どこ?」

 ぽつりと、誰にも聞こえない声をこぼした。




 **===========**


 ゆるやかな時間が流れるある日。

 雨の降る音も、心地よく耳へ届いていた。

 ひんやりとした空気の中、私の手には温かな紅茶が収まっている。

 そこから立ちのぼる香ばしい香りが、優しく鼻をくすぐった。


 あれから街の人たちに道を教えてもらい、なんとか帰ることが出来た。

 元気なあの女性と話したあとだから、どことなく視線が痛かったけど……


 と、ひとり頬を染めながら、手にしていた紅茶のカップをソーサーへとカチャリと戻した。

 そして目の前の人へと視線を移す。

 すると気配に気づいたのか、古めかしい本に目を通していたエリオルが、不意に顔を上げた。


「ちょっと昔の内容だけど、いたって普通の魔導書だね」

 彼はパタンと本を閉じると、丁寧に机の上に置いた。

「そっか。ずいぶん前に旅人が置いていったものって聞いてたけど……特別な本ってわけじゃなかったんだね」

 私は残念そうにその本を眺めた。


 今日も開口一番に求婚してきたエリオルは、そのあとで「シェラの水魔法の秘訣って何?」と聞いてきた。

 だから、2階の部屋をひっくり返して探したのに。


 また……片付けなきゃ。


 私はがっくりと項垂れた。


「そんなに気を落とさなくて大丈夫だよ。水魔法が得意な理由なんて、その人の気質ってだけだったりするから」

 エリオルが穏やかに笑って続ける。

「ただシェラの魔力がちょっと特殊で気になっただけ。……ほら、自分の力を知れば、もっと上に行けるって言うだろ?」

 私の落ち込みようを勘違いした彼は、熱心に慰めてくれた。


 慰める……


 私の脳裏に、幼い頃の記憶が一瞬だけ浮かび上がった。


 薄暗い場所。

 水の気配。

 誰かに慰められて……

 とても楽しかった記憶。


「…………なんでかな。子供の時に〝雨の唄〟を歌った記憶を思い出したの」

 自分でもまだよく分からずに、眉を寄せてエリオルを見る。

「へぇ、案外その時のことがきっかけかも。〝雨の唄〟はシェラだけの呪文でもあるし。ちなみにどこで?」

 彼がわずかに目を輝かせた。

「……村のはずれの祠で」

「それじゃないか!? 行ってみよう!」

 エリオルが机をバンと叩いて勢いよく立ち上がった。

 



 私とエリオルはさっそく祠へ向かった。

 近付くにつれて雨は霧のように変わり、私たちを優しく包み込む。


「久しぶりに来たかも。子供の時はよく来てたのに」

 岩肌をくり抜いたような祠の入り口に立った私は、朽ち果てた柱の一部にそっと触れた。

 それは苔がむしており、美しかったであろう紋様はほとんど隠れてしまっている。


「……なんだか重たい空気だな」

 エリオルはひと足先に中へと入り、風化した石の床を興味深そうに眺めた。


「古い言葉が書いてある。読めないけど水の聖地でも見たような……うわっ、防水魔法をかけてたのに、足先が濡れてしまった」

 彼がそう言って片足を持ち上げると、床に水の足跡がくっきりと残っていた。


 私は中へと歩みを進めながら、さっとドライ魔法をかけた。

 エリオルと私のふたり分。

 ふわりと暖かな風が足元でくるりと巡り、そのまま頭上へと抜けていく。


「ありがとう。やっぱり仕事にしているだけあるね」

「どういたしまして。ふふ。今日はタダにしてあげる」


 さっぱりした所で、今度はエリオルが呪文を唱えた。

 彼が手をかざすと、使いかけの蝋燭に火が灯る。

 奥には細い滝が見えてきて、光を受けたしぶきがわずかに煌めいた。

 そばには小さな祭壇があり、萎れた花が飾られている。

 私は摘んできた赤い花を、そっとそこに生けた。


 その脇をすり抜けたエリオルが、滝に近付いてしげしげと眺めた。

 しばらくすると、ゆっくりと私を振り返って口を開く。


「……ここは……」


 けれど続く言葉はなく、滝の音だけが大きくなった気がした。


「ミスレスト村の守り神、名前のない女神様を祀る祠なの。……昔は立派だったみたいだけどね」

 私は幼い頃の記憶をたどりながら、ゆっくりと滝に近付いた。


「子供の私は、友達と喧嘩別れして……ここに駆け込んで、ひとりで泣いてたの」

 何かを思い出せそうな気がして、たおやかな水の流れをじっと見つめる。


 たしか、誰かに話しかけられたんだよね。

 『大丈夫? あなたも悲しいのね』って……


 けれど、それ以上は何も思い出せなかった。

 つい眉を下げて悲しんでいると、そのしょげた顔が滝の表面に浮かび上がる。

 

「え?」

 いつの間にか滝が水鏡のように変わり、呆然と立ち尽くす私をそのまま映していた。

「さっきまで映ってなかったよね?」

 滝の中の自分に思わず喋りかける。

 すると不思議なことに、水鏡に映る私は口を閉じたままだった。

 代わりにーー

 にっこりと笑ってから息を吸う。


 そして、鏡の中の私が〝雨の唄〟を歌い始めたのだ。


 途端に隣から悲鳴があがる。

「ぅわあ!!」

 続いて、どしんと何かが倒れた音がした。

 けれど私は、目の前の()()に夢中だった。

「思い出した! こうやって水鏡の中の自分と歌ったんだった。〝雨の唄〟って本当はふたりで歌うの!」

 そして私も喉を震わせた。

 歌に合わせて彼女と声を合わせる。


 小さな祠の中に響く声が、複雑に重なっていく。

 かと思えば、それぞれが違う旋律を奏で始めた。

 ひとつは細やかな雨のように口早に歌を紡ぎ、ひとつは滑らかに歌い上げた。

 それらはやがて交わり、調和していく。

  

 するとこの土地らしい、ひそやかでやさしい雨を表す唄となるーー




「♪————……」

 歌い終わると、私は満足げに息をついた。

 体がほわりと暖かくなり、胸がドキドキしている。


「そっか。あの時もこうやって、女神様が力を重ねてくれたんだった」


 水鏡に映る女神様に向けて、私は静かに頭を下げた。

 彼女はゆったりと笑い返す。

 けれどその瞳は、ひどく悲しげに見えた。


 少し引っかかって見つめていると、水鏡の姿は流れる水に溶けるように、やがて消えてしまった。


「……なんてすごいんだ! シェラは水の神と会話できるんだな!!」

「わぁっ!」

 目を輝かせたエリオルに、腰に手を添えられ、ひょいと抱き上げられた。

 怖くて思わずしがみつくと、彼がくるりとターンする。

 赤くなって戸惑う私をよそに、そのままふわりと下ろされた。


 エリオルはさっきまで私が居た場所を陣取り、滝の前でワクワクと背伸びをする。

「……あれ? 何も映らないな。おーい、女神様〜」


 文字通り私そっちのけで、彼は滝に向かって喋り続けていた。

 立つ位置や覗き込む角度をあれこれ変えてみたけれど、滝にはもう、何も映らなかった。


「…………」

 私は必死なエリオルの姿を、じとっとした目で見つめていた。




 **===========**


 穏やかな雨と過ごす、静かな昼さがり。

 店の奥にある自分の部屋で、私は椅子に座りレースを編んでいた。

 

 指で張った白い糸を、かぎ針で掬っていく。

 時折り糸をくるっと巻き取って、複雑な模様を編む。

 するとそれは、ミスレスト村に伝わる花になっていった。


 しとしと、しとしとーー


 雨の音に合わせて同じ動きを繰り返すと、雫が連なるように、編み目が繋がっていく。

 けれどどうしても、瞼が重くなってしまい……


「眠くなっちゃった……ふわぁぁ」

 編みかけのレースを机に置き、片手を突き上げて伸びをした。

 もう片方の手で口を押さえるけれど、それをはみ出すほどの大あくびをする。


 すると不意に、誰かが吹き出す声がした。


 目を向けると、声の主は窓の外でくすくすと笑っている。


「〜〜〜っ!」

 私は真っ赤になってカーテンを勢いよく閉め、その足で店の玄関へ向かった。

 雨に濡れた幼馴染を、待ち構えるためにーー




「もうっ! 寝起き狙ってたでしょ?」

 店の中へと入ってきたアルドに向けて、ドライ魔法をかけた。

 腹いせにいつもより強めで。


「ははっ! だって見られたくないって言ってただろ? 窓の前を通ったら、ちょうどあくびしててさ」

 強く吹きつける風を浴びるのも気にせず、彼は少年のように笑い続けていた。


 ……まぁ、あの時からこうなる気はしてたけど。


 私はむくれながらも、心の中で苦笑する。

 それからアルドを乾かし終えると、紅茶の支度をしにキッチンへと向かった。


 彼は先に席につくと、ひと息ついたように話しかけてきた。

「この前サンドラッドに来た時に、真っ直ぐ帰らなかったんだって? 何してたんだ?」

「街をぶらぶらしてたんだよ。そんなとこまで報告がいくの? さすが警備がしっかりしてるね〜」

 そう言いながら、私は淹れたての紅茶を配り、彼の向かいに座った。


「ま、まぁな。てか勝手に報告が入るんだけど……けど、珍しいな。俺の街に興味出た?」

 アルドがいつになく嬉しそうに笑った。

 きっと彼も、自分の街を……領地を、すごく大切にしてるからだと思う。

 

「そうだね。アルドの生まれ育った場所だからね」

 私もニッコリと笑い返した。

 すると彼はついと目を逸らし、照れくさそうに頭をかく。


 私は小さく笑ったまま、紅茶に手を伸ばし口に含んだ。

 アルドも一口含むと、そわそわと切り出す。


「……あのさ、街で何か言われなかったか?」

「ぅぐっ!?」

 思わず紅茶を吹き出しそうになり、ぐっとこらえてからなんとか喋った。


「……な、何も言われなかったよ!!」

「言われただろ……」

 アルドが胡乱な目になりながらも続ける。

「俺は別に、乾燥してる領地だからって、シェラの水魔法目当てで仲良くしている訳じゃないからな」

「……ふふふっ。分かってるよ。だって私が水魔法が得意なこと、この前まで知らなかったじゃない」

 私はケラケラと笑いながら言った。

「私もアルドが伯爵様だからって、仲良くしたい訳じゃないよ」


 子供の時から変わらない、和やかな時間が流れた。

 けれど気持ちは昔のままなのに、立つ場所だけがいつの間にか遠くなっている。

 

『あんなに凄い魔法が使えるじゃない! 領主様もいい方をお選びになったわ。ぜひこれからも領主様を支えて下さいね』


 サンドラッドの街で会った、あの女性の声がよみがえる。


 ……アルドみたいな立派な人の横にいても、本当におかしくないのかな?


 紅茶を両手で包んだまま、中をじっと見つめていると、彼が遠慮がちに話しかけてきた。


「今日は来てないんだな。あいつ」

「うん。サンドラッドでの頼まれごとが忙しいようだよ」

「…………で、どうするんだ?」

「??」

 私が首をかしげると、彼はぶっきらぼうに言う。

「結婚の話だよ」

「……悪い人じゃないんだけど、ミスレスト村を離れるのはやっぱり無理かな」

「…………」

 アルドは紅茶に口をつけ、黙って聞いていた。

「一緒にいるとなんだか慌ただしそうだし、ほら、私って世界一のんびりしたい水魔法使いだからなぁ〜」

「…………」


 そう言いながら、自分の中でも〝ないかな〟と気持ちが固まっていく。

 少しスッキリしていると、ふとアルドの空気が変わった。


「俺、伯爵を引き継いでやっと仕事も軌道に乗ってきたんだ。今回、王都での用を済ませば、山を越えて落ち着くと思う」

「……そうなんだ。いつもひたむきに頑張ってたもんね。よかったね」

 こんな時なのに、ありきたりな言葉しか出てこない。

 だからせめてもの想いで、ニッコリと笑った。


 するとアルドが、真っ直ぐな目で私を見た。

「だからーー」


「だから?」

 きょとんとしながら待っていると、彼はふっと息を吐き、気持ちを切り替えるように顔を上げた。


「今度言う」

 そう言って立ち上がり、私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「わわっ! 何? ……髪がぐちゃぐちゃ」

 恨みがましく彼を見ると、足早に玄関へと向かっていた。


 アルドは掛けてあった外套(がいとう)をさっと羽織り、前を止めながら私を振り返る。

「寝起きって、そんな感じかなって」

「えぇ? こんなにひどくないよー。……多分」

 私も慌てて立ち上がると、髪を撫でつけながら彼の元へと向かった。


 ふたりして外に出ると、ほんのり明るいのにさらさらと細かい雨が降っている。


「じゃあ、またな」

「うん。気をつけてね」

 私は、いつものように旅立つ彼の背中を見送った。

 

 前だけを見つめ、歩き続けるアルド。

 その姿をじっと眺めていると、私も少し前に進んでみたくなった。


「……ちょっとだけ、頑張ってみようかな〜」


 そんな呑気な呟きは、雨の中へすんなりと溶けていった。




 **===========**


「会いにきたよ、ボクのハニー! って、何してるの?」

 エリオルが、扉を開けた私の肩越しに店内を覗き、驚いた声を上げた。


 彼の目線の先には、荷物を詰め込んだ大きな鞄がある。

「ちょっと旅に出ようと思って」

「旅に? ってことはボクとやっと結婚を!?」

 私は、勢い余って抱きついてこようとしたエリオルを、やんわりと押し返した。

「違う違う、あのねエリオル。考えてみたけどやっぱりあなたとは結婚出来ないの」

「……どうして?」

「うーん……一番にしたいって思える相手じゃないかな。私も、エリオルも」

「ボクはーー」

 エリオルが少しムッとしながら言い返そうとした。

 けれど彼の言葉を遮るように告げた。


「私と一緒にこの村で住めないのは、そこまで好きじゃないからだよ。私もエリオルに一緒になろうって言われてもついていけないし……」

 

 その時ふと気付いてしまった。

 誰かと一緒に住んでいる妄想を、したことがあることに。


 ……あれ?

 ということは…………

 無意識にアルドならいいってこと!?


「〜〜〜〜っ!!」

 やっと自分の恋心を自覚した私は、それ以上考えがまとまらなくなってしまい、言葉をなくした。

 

 急に悶え始めた私に、エリオルが不思議そうに聞く。

「どうしたの? 顔が真っ赤だけど」

「とにかくっ、私はこの村がいいの!」

「……こんなジメジメした所に住みたがるなんて」

 がっくりと肩を落とすエリオルの言葉に、私もついムッとする。


「水魔法が大好きなんだもの。潤った状態が普通は好きに決まってるでしょ!」

「…………」

「やっぱり、思ったことをそのまま言うと泣いちゃう感じ? ……そんなに落ち込まないでよ」


 照れ隠しも込めていつもの調子で遠慮なく言うと、エリオルは涙目になってしまった。

 そんな彼を見て、少しだけ落ち着きを取り戻す。


 ……まぁ、自分の気持ちはあとでよく考えよう。

 今はーー


 私は一度深く息を吸ってから、ゆっくりと言葉にした。


「でもね、エリオルに影響されて、私も自分の魔法について……あの女神様について知りたくなったの。だから水の聖地の場所を教えて」


 私は女神様と歌った時のことを思い出していた。

 あのどこか憂いを帯びた守り神様は、誰なのだろう。

 どうして私にだけ、力を託してくれたのだろう。


 体の中にあるその力を探るうちに、奥がほわりと温かくなった気がした。

 

 頑張ってみたいなら、自分のこともちゃんと知らなきゃね。


 そう思い、記憶の中にいる女神様に笑いかけていると、しょげていたエリオルがパッと表情を華やげた。

 

「いいよ。それに面白そうだからついていくよ!」

「…………別にいいけど、きっぱり断ったんだから、結婚の話はナシだよー」

 私は店の奥に一旦引っ込み、鞄を担ぎ上げながら言った。

 重過ぎてふらふらしてしまい、慌てて踏みとどまる。


 エリオルはすでに玄関先に出て、そわそわと待っていた。

「うん。けど旅の中で見えてくることもあるし、どうなるか分からないよね」

「……これからは気を遣わないから。なんでもスルッと言っちゃうからね」

「…………」

「平気そうなのに、けっこう打たれ弱いよね〜」


 そう言いながら外に出た私は、扉をパタンと閉めた。

 



 ふたりの声が遠ざかっていく中、扉にかけられた〝しばらくお休みします〟の小さな看板だけが、ゆらゆらと揺れていた。

 

 数日後、その看板の前でアルドが「何で!?」と絶叫することも知らずに……




最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

この物語があなたに届いて、とても嬉しいです。

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