第6話 迎えのメモ
6話です。
バスの写真騒ぎから、少し日が経った。
その夜は残業が長引いて、電車よりタクシーのほうが早かった。
駅前で手を挙げると、一台がゆっくりと寄ってきた。
後部座席のドアが開き、乗り込む。
シートは少し冷たく、布の匂いがわずかに残っている。
行き先を告げると、運転手は短く復唱し、メーターを入れた。
走り出してすぐ、
膝の横あたりに、紙が当たる感触があった。
見ると、シートポケットの口から、白いメモが少し飛び出している。
角が折れていて、そこにだけ透明のフィルムが貼られていた。
触れずにいようかと思ったが、
揺れで床に落ちるのも厄介だ。
そっと引き抜いてみる。
名刺より少し小さい紙。
片側だけに細いフィルムが貼られている。
そこにボールペンで文字が一行。
「迎え 21:30」
それだけだった。
下に、何か消された跡がある。
消しゴムで強くこすったのか、紙の繊維が毛羽立っている。
「住所、だったんですかね」
思わず口に出る。
運転手がバックミラー越しにちらりとこちらを見た。
「ああ、それ、まだ残ってましたか。
さっき片づけたつもりだったんですが」
「タクシー会社のメモですか」
「ええ。さっきね、ある団地に“迎え”に行ったんですよ。
時間ぴったりに着いたんですけど、
誰も出てこなかった」
よくあること、と言うように、
運転手は肩をすくめる。
「電話もつながらなくて。
部屋番号も書いてあったんですが、
インターホン押しても返事がない。
管理人さんも不在で、結局そのまま戻りました」
「キャンセルの連絡もなしで?」
「そうですね。
こういうの、たまにありますけど……
このメモの字が、ちょっと古くて」
言われて見直すと、
たしかにインクが少し色あせている。
書いたのは最近ではないのかもしれない。
「会社の台帳の隅に挟まってた番号で、
今日はじめて“呼ばれた”みたいなんですよ。
誰がいつ書いたのか、誰も覚えてなくて」
それでも「迎え」に行くのか、と思った。
「一応、入ってる以上は。
行ってみて、いなければそこで終わりですから」
運転手はそう言って、メモに目を落とした。
「お客様のものでは、ないですよね」
「いえ。
でも、どこかで見たような気がします」
そう言ったあとで、
自分でもそれが何の記憶なのか分からなかった。
バスの写真の裏の、消された名前。
アルバムの抜けたページ。
玄関の電話の横に挟まっていた、古いメモ。
それらが脳のどこかで重なり合い、
「迎え」という字と同じ場所に沈んでいる。
メモの隅の透明フィルムが、
車内の灯りをひどく控えめに反射した。
運転手は信号待ちのあいだに、
メモをダッシュボードに挟んだ。
「もう使わないんですけどね。
なんとなく捨てづらくて」
それが、誰を迎えに行くはずの紙だったのか。
今となっては、誰にも説明できない。
誤字脱字はお許しください。




