第54話 間違っていなかった
54話です。
母は、
風邪をひいていた。
珍しいことだ。
朝から、
声が少し
かすれている。
父は、
いつもより
早く出た。
「無理するなよ」
それだけ言って。
家には、
俺と母だけが
残る。
昼前、
母が
ソファに座って
新聞を読んでいた。
ページを
めくる音が
遅い。
「学校、
最近どう?」
唐突だった。
「普通」
その言葉を、
俺は
選ばずに
出した。
母は、
小さく
笑う。
「普通が
一番いい」
一番。
それは、
優先順位だ。
「問題が
起きないのは、
ちゃんと
誰かが
考えてるからよ」
考えている。
誰が、
とは言わない。
だが、
分かる。
母は、
新聞を
畳む。
「昔ね、
あなたが
小さい頃……」
そこまで
言って、
一度
止まる。
続きを
言うかどうか、
迷っている。
「大変なことが
あったの」
過去形。
「でも、
ちゃんと
整理できた」
整理。
その言葉が
ここで
出る。
「整理できたから、
今がある」
今。
母は、
俺を見る。
「だから、
間違ってなかった」
その一言が、
静かに
落ちる。
間違っていなかった。
否定でも、
言い訳でもない。
確信だ。
俺は、
何も言わなかった。
言わなかったことで、
肯定した。
母は、
それを
受け取る。
「あなた、
最近
ちゃんとしてる」
ちゃんとしてる。
父が
言ったのと
同じ。
「余計なことを
言わない」
余計。
「波風を
立てない」
立てない。
それが、
美徳として
並ぶ。
「あなたは、
私に
似てる」
似てる。
その言葉で、
胸の奥が
少し
温かくなる。
それが、
一番
怖い。
午後、
母は
昼寝をした。
俺は、
自分の部屋に
戻る。
棚の前に
立つ。
一番下の段。
揃った
ファイル。
透明で、
中身が
見えるようで
見えない。
母は、
これを
「整理」と
呼んだ。
間違っていない
と。
確かに、
今は
静かだ。
誰も
騒いでいない。
誰も
責めていない。
それは、
成功だ。
成功したから、
正解になった。
その論理が、
頭の中で
はっきり
つながる。
布団に入る。
天井を見る。
今日、
俺は
母を
否定しなかった。
否定できなかった
のではない。
否定しなかった。
それは、
選択だ。
間違っていなかった
と
思ってしまった。
一瞬でも。
その瞬間、
俺は
母の側に
完全に
立った。
もう、
外から
見ることは
できない。
電気を消す。
暗闇の中で、
棚の形が
浮かぶ。
整っている。
整っていることが、
こんなにも
安心する。
それを
知ってしまった。
誤字脱字はお許しください。




