第46話 頼まれる形
46話です。
翌日の朝、
昇降口で靴を履いていると、
後ろから
小さく名前を呼ばれた。
振り向くと、
昨日、椅子から転んだ
あの子が立っている。
足取りは、
普通だ。
腫れも、
もう目立たない。
「昨日さ……」
声が、
少し低い。
周りに、
人がいる。
聞かれないように
距離を詰めてくる。
「先生、
あとで
聞くかもしれないって」
聞く。
その言葉だけで、
何を指しているか
分かる。
「……昨日のこと」
言い直す必要は
なかった。
「同じで、
いいよね?」
同じ。
それは、
内容ではない。
言い方だ。
俺は、
一瞬だけ
迷った。
迷いは、
昨日より
短い。
「同じでいい」
そう答えた。
それで、
会話は終わる。
理由も、
確認も
いらない。
教室に入ると、
担任が
黒板の前に立っていた。
いつも通りの朝。
だが、
視線が
少しだけ
こちらに来る。
すぐに、
外れる。
昨日の件は、
もう
整理されている。
一時間目の途中、
保健室の前を
通ると、
扉が開いていた。
養護教諭が
昨日の紙を
ファイルに挟んでいる。
色は、
見覚えのある
透明。
棚の位置も、
同じだ。
昼休み、
あの子が
もう一度
近づいてきた。
今度は、
教室の隅。
「もしさ、
家で
聞かれても……」
途中で、
言葉が切れる。
続きを
言わせないほうが
いい。
「椅子、
引っかかった」
俺は、
先に言った。
あの子は、
安心したように
うなずく。
「うん。
それ」
それで、
成立する。
午後、
担任が
俺を呼んだ。
今度は、
職員室ではない。
廊下の端。
「昨日の件だけど」
来た。
「何か、
後から
変わったことは?」
変わったこと。
それは、
事実を
更新するかどうか
という意味だ。
「ないです」
即答だった。
担任は、
一瞬だけ
考える。
「そうか」
それで、
終わった。
確認は、
一度でいい。
二度目は、
要らない。
放課後、
帰り支度をしていると、
別の子が
話しかけてきた。
昨日、
近くにいた子だ。
「さ、
昨日のやつさ」
声は、
軽い。
「本当に
事故なん?」
事故。
「事故」
俺は、
そう答えた。
理由は、
付けない。
理由を
付けると、
広がる。
「ふーん」
その子は、
それ以上
聞かなかった。
聞かないことで、
処理が
完了する。
家に帰ると、
母が
洗濯物を
畳んでいた。
「今日、
学校は?」
「普通」
普通。
その一言で、
説明は
終わる。
父は、
まだ帰っていない。
夜、
父が
帰宅する。
新聞を
置きながら
言った。
「最近、
学校、
静かだな」
静か。
それは、
良い兆候だ。
「問題が
ないってことだ」
父は、
そう付け足した。
問題。
それは、
起きたかどうかではなく、
処理できたかどうかだ。
自分の部屋に戻り、
引き出しを開ける。
透明な袋。
今日は、
新しい紙は
ない。
だが、
袋の横に
見えない線が
引かれている。
昨日の嘘。
今日の確認。
そして、
頼まれた形。
俺は、
もう
一人で
嘘をついていない。
頼まれている。
頼まれるということは、
期待されている
ということだ。
期待は、
次を生む。
布団に入る。
天井を見つめる。
今日、
俺は
二回
同じ言い方をした。
一度目は、
自分から。
二度目は、
頼まれて。
この違いは、
小さい。
だが、
次は
もっと
短くなる。
考えなくても
言えるようになる。
それが、
一番
危ない。
電気を消す。
棚の位置が
頭に浮かぶ。
誰かが
また
同じ場所に
置きに来る。
そのとき、
俺は
もう
迷わない。
誤字脱字はお許しください。




