第43話 盾になる紙
43話です。
それは、
頼まれたからだった。
母が、
玄関で靴を履きながら
言った。
「棚の下、
あの書類、
一つ持ってきて」
あの書類。
説明はいらない。
「どれ?」
「最近の」
最近。
それで、
十分だ。
リビングの棚に行く。
一番下の段。
色も、
厚みも、
ほとんど同じ。
だが、
端の角に
小さな違いがある。
紙の折れ。
ホチキスの位置。
俺は、
安全対策報告書の
ファイルを抜いた。
手に取ると、
少し重い。
紙の重さだ。
母に渡す。
「ありがとう」
それだけ。
母は、
そのまま
外に出た。
どこへ行くのかは、
言わない。
昼前、
父が電話を受けていた。
リビングで、
立ったまま。
声は、
低い。
「……ええ」
「……報告書は
出てます」
「……事故扱いで
整理されています」
整理。
「……記録も
揃ってます」
揃っている。
その言葉が、
今日、
何度も使われる。
電話を切ると、
父は
ソファに座った。
少しだけ、
疲れた顔。
「誰から?」
俺が聞くと、
父は
一瞬だけ
考えた。
「学校」
それ以上、
言わない。
午後、
母が戻ってきた。
手には、
あのファイル。
角が、
少しだけ
曲がっている。
「どうだった?」
「大丈夫」
また、
その言葉だ。
「ちゃんと、
書いてあった」
書いてあった。
「何が?」
「子ども同士で
注意してたって」
注意していた。
母は、
それを
安心材料のように
言った。
「それで、
先生も
納得してた」
納得。
誰が、
何に納得したのかは
曖昧だ。
だが、
納得した人がいる。
それで、
十分だ。
夕方、
俺は
自分の部屋で
机に向かった。
透明な袋を
引き出しから出す。
中の紙を、
一枚ずつ
並べる。
保健関係。
会議室。
安全対策。
順番は、
意識しない。
意識しないほうが、
自然だ。
それらは、
もう
説明の材料になっている。
材料は、
使われるために
ある。
夜、
父が
棚の前に立つ。
ファイルを
一つ抜き、
中を見る。
「ちゃんと、
守ってくれたな」
誰が、
とは言わない。
守ったのは、
誰か。
守られたのは、
誰か。
その両方が、
曖昧なまま
成立している。
父は、
ファイルを
戻す。
位置は、
少しも
ずれていない。
俺は、
それを
見ていた。
今日、
初めて
はっきり分かった。
この棚の書類は、
保管のためではない。
使うために
並べられている。
使うとき、
それは
盾になる。
人を守る。
問いから守る。
掘り返しから守る。
盾は、
前に出る。
その後ろに
立つ人は、
姿が見えない。
布団に入る。
天井を見る。
今日、
俺は
初めて
棚を使った。
頼まれたからだ。
だが、
断る理由は
なかった。
断らないことで、
形は保たれる。
それが、
この家の
やり方だ。
目を閉じる。
棚は、
静かだ。
だが、
静かなものほど
役に立つ。
次は、
誰が
この盾の後ろに
隠れるのか。
それを、
俺は
もう
予想できてしまう。
誤字脱字はお許しください。




