第3話 忘れ物の箱
第三話です
終点に着くと、乗客たちは順番に降りていった。
母親と男の子も、
アルバムをカバンにしまったまま、
並んでバスを降りる。
男の子は名残惜しそうに車内を振り返ったが、
母親に腕を引かれ、そのまま乗り場のほうへ歩いていった。
俺は少し遅れて立ち上がった。
座席の下を一度だけ覗く。
透明な欠片は見当たらなかった。
運転手が、通路の後ろのほうを確認しに来る。
「お忘れ物、ありませんか?」
声をかけられたので、座席のあたりを見まわす。
特に何もない。
「大丈夫です」
そう答えてから、一歩進んだとき、
通路の端に小さな白いものがひっかかっているのが見えた。
紙片だった。
指で摘んで拾い上げる。
それは、写真を切ったときに出る端のような形をしていた。
角が丸く、片方にだけ透明のフィルムが貼られている。
さっきのアルバムの切り取られた部分に似ている。
まったく同じとは言わないが、
同じ種類の道具で作られたものだと分かる。
運転手が近づいてきた。
「それも、落とし物ですかね」
「……多分」
「でしたら、こちらで預かります」
運転手に渡すと、
彼は運転席横の小さなプラスチックの箱に、それを入れた。
そこには、ボタンやキーホルダー、
子ども用のヘアピンなど、いくつか細かい物が入っている。
箱の底に沈んだ透明な欠片が、
蛍光灯を鈍く反射した。
俺はバスを降り、
乗り場のベンチに腰を下ろした。
母親と男の子の姿は、もう見えない。
同じ方向のバスに乗り換えたのか、
歩いて帰ったのか、それすら分からない。
ただ、さっき見た写真の構図だけが、頭から離れなかった。
二人横に並んだ親子。
その横に、何かがいた余白。
ぎこちない曲線の切り取り跡。
うちのアルバムにも、似たような余白があった気がする。
リビングで父が煙草を吸いながら、
写真を裏返しにした日があった。
母は何も言わず、テーブルの上の灰皿だけを動かした。
兄が、何かを言いかけて口を閉じる場面を、
一度だけ見た覚えがある。
そのとき、誰と一緒に座っていたのか。
ソファの幅は、三人でちょうど埋まっていたのか。
四人で少し窮屈だったのか。
そういう肝心なところだけ、記憶が曖昧だ。
「……三人だったよな」
小さく口に出して確かめてみる。
三人家族。
父と母と、俺。
兄のことを思い出したのは、そのあとだった。
四人目の存在は、
いつから「いなかったこと」になったんだろう。
思考がそこまで進んだとき、
頭の奥に鈍い痛みが走った。
考えるのをやめる。
ポケットの中に手を入れると、
何かが指に触れた。
取り出してみると、
爪くらいの大きさの透明な欠片が出てきた。
いつ入れたのか分からない。
バスで拾ったものとは、濁り方が少し違う。
「……俺の、だったか?」
自分に問いかけても、答えは出ない。
あの日から、家のアルバムは開いていない。
誰もそのことを話題にしない。
兄の話も、家の中では一切しなくなった。
父も母も、それが当然だという顔で暮らしている。
まるで最初から「三人」だったかのように。
バス乗り場の照明に、欠片の表面がわずかに光った。
そこに何が映っているのかを確かめる前に、
俺はそれをポケットに戻した。
忘れ物箱の中の欠片と、
ポケットの中の欠片。
どちらが本当の「落とし物」なのか、
よく分からなかった。
誤字脱字はお許しください。




