第25話 出さなかったもの
25話です
ゴミ収集車の音で、目が覚めた。
低いエンジン音。
金属が触れ合う乾いた音。
一定のリズム。
勝手口の前で止まり、
少しして、また動き出す。
それだけだ。
窓から外を見ると、
道路はもう空いていた。
ゴミ袋は、ない。
予定通りだ。
朝食の席で、
母はいつも通りだった。
味噌汁。
焼き魚。
箸の持ち方。
昨日と変わらない。
父も、
新聞を広げている。
ページをめくる音が、
規則正しい。
誰も、
ゴミの話をしない。
「今日は、
何時に帰る?」
母が、父に聞く。
「少し遅くなる」
「分かった」
それで終わり。
兄の席は、
最初から数に入っていない。
食後、
俺は自分の部屋に戻った。
机の引き出しを開ける。
透明な欠片を、
一つずつ取り出す。
夜行バス。
名札。
病院。
迎えの時間。
並べると、
きれいに一列になる。
だが、
その列には
空白がある。
出さなかったもの。
昨夜、
勝手口で
ゴミ袋を開けたとき。
俺は、
一枚の紙を
取り出していた。
「迎え 21:30」
母の字。
それを、
袋に戻さなかった。
燃やされる紙。
回収される袋。
その流れから、
一つだけ
外した。
それが、
今、
俺の引き出しの奥にある。
取り出す。
紙は、
少し皺が寄っている。
黒く塗りつぶされた数字。
塗り直しの跡が、
何度も重なっている。
消そうとしたのではない。
見えなくしようとした跡だ。
俺は、
それを
欠片の列の横に置いた。
すると、
全体の形が
変わる。
今まで、
バラバラだったものが、
一つの線になる。
迎えの時間。
夜行バス。
空席。
落とし物。
処分。
病院。
訂正。
兄は、
迎えを待っていた。
迎えは、
来なかった。
それだけのことだ。
事故でも、
事件でもない。
ただ、
来なかった。
その結果、
家の外に
痕跡が出た。
それを、
母が消した。
父は、
止めなかった。
俺は、
何も知らない役を
続けた。
今も、
続けている。
紙を折り、
元の形に戻す。
引き出しの奥へ入れる。
戻した瞬間、
部屋は元通りになる。
何も起きていない部屋。
それが、
この家の完成形だ。
昼前、
母が声をかけてきた。
「買い物、
付き合ってくれる?」
「いいよ」
車に乗る。
助手席。
エンジンがかかる。
走り出してしばらくしてから、
母が言った。
「最近、
よく眠れてる?」
「うん」
嘘ではない。
眠れてはいる。
「なら、
よかった」
それ以上、
会話はない。
信号で止まる。
交差点。
俺は、
ふと
時間を見る。
21:30。
偶然だ。
母も、
メーターを見る。
だが、
何も言わない。
信号が変わり、
車が動き出す。
迎えの時間は、
もう過ぎている。
それでも、
この家では
時間は巻き戻らない。
消すだけだ。
買い物を終え、
家に戻る。
父は、
まだ帰っていない。
母は、
洗濯物を取り込む。
兄の部屋の前を通る。
扉は、
閉まっている。
中には入らない。
入る理由がない。
夕方、
俺は自分の部屋で
机に向かった。
何かを書くわけでもない。
読むわけでもない。
ただ、
座る。
引き出しの奥に、
紙がある。
出さない。
出さないことを、
選び続ける。
それが、
俺の選択だ。
夜、
父が帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり」
短いやり取り。
食事。
テレビ。
同じ一日が、
また一つ
積み重なる。
だが、
引き出しの中には
昨日までなかったものがある。
それだけで、
十分だった。
何も起きなかった一日。
何も解決していないようで、
一つだけ、
確実に終わったことがある。
兄の迎えは、
もう来ない。
それを、
俺は知っている。
知ったまま、
黙っている。
その状態が、
この家に許された
唯一の形だ。
電気を消す。
暗闇の中で、
引き出しの奥が
静かに重くなる。
出さなかったもの。
それは、
まだ
処分されていない。
誤字脱字はお許しください。




