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『破片のパズル』  作者: くろめがね


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23/28

第23話 迎えの時間

23話です

「迎え 21:30」


その文字を、

俺はもう何度も見ている。


夜行バスのメモ。

救急隊員が拾った紙。

黒く塗りつぶされた数字。


だが、

その紙がどこで書かれたのかは、

まだ分かっていなかった。


処分日の翌日、

母が珍しく早く起きていた。


台所で、

何かを拭いている音がする。

布が擦れる、一定の音。


「今日は、

 少し片づけるから」


朝食を出しながら、

母が言った。


片づけ。


この家でその言葉が出るとき、

対象はたいてい

“見えないもの”だ。


「兄の部屋?」


俺が聞くと、

母は一瞬だけ手を止めた。


「……ついでにね」


ついで。


その言葉は、

主目的を隠すときに使われる。


俺は何も言わず、

食事を終えた。


母は、

兄の部屋に入った。


扉は閉まる。

鍵はかからない。


しばらくして、

引き出しを開け閉めする音。

紙が擦れる音。

何かを袋に入れる音。


俺は、

自分の部屋で

それを聞いていた。


行くべきか。

行かないべきか。


この家では、

行かないほうが正解だ。


母が部屋から出てきたとき、

手には小さなゴミ袋があった。


白い。

中身が透けないタイプ。


「これ、

 燃えるゴミでいい?」


母は、

俺に確認するように聞いた。


確認。


病院。

落とし物センター。

夜行バス。


同じ言葉。


「……うん」


俺は、

そう答えた。


母は、

ゴミ袋の口を

きゅっと結ぶ。


結び目は、

固い。


「これで、

 スッキリするわ」


スッキリ。


その言葉を、

母は本当に

良い意味で使っている。


ゴミの日は、

明日だった。


母は、

ゴミ袋を

勝手口の脇に置いた。


その夜、

俺は眠れなかった。


あの袋の中に、

何が入っているのか。

考えないようにしても、

浮かんでくる。


紙。

メモ。

名札。

迎えの時間。


夜中、

静かに起き上がり、

勝手口へ向かった。


音を立てないよう、

足を運ぶ。


ゴミ袋は、

まだそこにある。


結び目を、

ほどく。


中身は、

思ったより少なかった。


紙類。

古い封筒。

使われていない便箋。

切り取られたメモ帳の端。


そして、

一枚の紙。


「迎え 21:30」


やはり、

これだ。


夜行バスのメモと、

文字の癖が同じだった。


同じ人が書いている。


下の数字は、

黒く塗りつぶされている。


塗り方も、

見覚えがある。


強く。

何度も。

ためらいなく。


俺は、

その紙を見つめた。


これは、

兄が書いた字ではない。


父の字でもない。


母の字だ。


家計簿。

メモ。

冷蔵庫の伝言。


比べなくても、

分かる。


「迎え 21:30」


それは、

母が誰かを迎えに行く時間。


もしくは、

迎えが来る時間。


俺は、

その紙を袋に戻した。


持ち出さない。

見なかったことにする。


それが、

この家での

正しい行動だ。


翌朝、

ゴミ袋は回収された。


何事もなかったように。


朝食の席で、

母は普段通りだった。


父も、

何も言わない。


兄の部屋は、

少しだけ

物が減っている。


だが、

減ったことを

誰も指摘しない。


空いた引き出し。

白い跡。


それが、

昨日より

“自然”に見える。


母が、

洗い物をしながら言った。


「人ってね、

 約束を守れないと

 余計なことになるのよ」


唐突な言葉だった。


「時間とか」


続ける。


「迎えとか」


俺は、

何も返さなかった。


返事をすると、

会話になる。


会話になると、

確認が始まる。


母は、

それ以上言わなかった。


言わなくても、

通じている。


その日の午後、

俺は兄の部屋に入った。


机の上は、

きれいに片づけられている。


引き出しの跡。

名札の跡。


だが、

壁際のカレンダーが

そのままだった。


兄の字で、

一箇所だけ

丸がついている。


日付は、

あの日。


時間の欄に、

小さく書いてある。


「21:30」


俺は、

しばらく

その数字を見ていた。


母が書いたメモ。

兄が書いたカレンダー。


二つの「21:30」が、

ようやく

同じ時間を指す。


迎えは、

来なかった。


だから、

迎えの時間だけが

残った。


母は、

その時間を

消そうとした。


消すことで、

守れるものがあると

信じて。


夜、

自分の部屋で

欠片を並べる。


夜行バス。

名札。

病院。

処分済みのバッグ。


そして、

迎えの時間。


これで、

兄の「外へ出る線」は

ほぼ完成した。


残っているのは、

なぜ迎えが来なかったのか。


それを知るには、

次に進むしかない。


母が、

何を片づけたのか。


父が、

何に気づいたのか。


そして、

俺が

何を引き受けさせられたのか。


それが、

次の話で

初めて

一つの形になる。


そう確信しながら、

俺は欠片を引き出しに戻した。


「迎え 21:30」


その時間は、

もう過ぎている。


だが、

この家では

まだ終わっていない。


誤字脱字はお許しください。

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