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『破片のパズル』  作者: くろめがね


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22/28

第22話 処分日

22話です

落とし物センターからの通知は、

封書で届いた。


差出人の欄には、

市の名前と部署名だけが印字されている。

個人名はない。


中身を見なくても、

何の封筒かは分かった。


期限だ。


封を切ると、

定型文が並んでいる。


「◯年◯月◯日までに

 引き取りのない落とし物については、

 規定に基づき処分いたします」


対象物の一覧が、

別紙で添えられていた。


路線名。

日付。

回収場所。


その中に、

黒い小型バッグがある。


備考欄には、

前回と同じ文字。


――同伴者不明。


俺は、

その紙を机に置いたまま、

しばらく動かなかった。


処分日は、

三日後だった。


三日。


短い。

だが、

十分でもある。


その間に、

誰かが名乗り出る可能性は

限りなく低い。


名札に名前がない。

名乗り出る方法が、

最初から削られている。


それでも、

期限という形で

最後の猶予が与えられている。


それが、

この仕組みの残酷さだ。


その日の夜、

食卓でその話題を出した。


「駅から、

 落とし物の通知が来た」


父と母の箸が、

同時に止まった。


止まるタイミングが、

また同じだ。


「夜行バスのやつ」


そう付け加えると、

母が先に反応した。


「まだ保管されてたの?」


声は驚いたようで、

実際はそうでもない。


「今月いっぱいだって」


父が言う。


「引き取り手がいなきゃ、

 処分だな」


即断だった。


「……中身、

 見たことある?」


俺が聞く。


母は、

首を振る。


「ないわよ。

 忘れ物なんて、

 だいたいそんなものでしょ」


そんなもの。


靴下。

水筒。

名札。


確かに、

ありふれている。


だが、

名札だけが異質だ。


名前を書くためのものに、

名前がない。


「名札、

 塗りつぶされてた」


俺がそう言うと、

母は少し考えてから答えた。


「落とし物なんだから、

 名前が書いてないほうが

 多いんじゃない?」


正論だ。


父も、

それに乗る。


「書いてあっても、

 消すことはある。

 個人情報だ」


消す。


その言葉は、

軽く発せられた。


病院の記録。

救急の同伴者欄。

夜行バスの名札。


すべて、

同じ処理だ。


「処分日、

 三日後」


俺が言うと、

母は箸を再開した。


「忙しい時期ね」


それだけだった。


三日後の朝、

俺は落とし物センターへ行った。


理由は、

自分でも説明できない。


引き取るつもりはない。

引き取れない。


ただ、

処分される瞬間を

見ておくべきだと思った。


それは、

義務感に近かった。


受付には、

前と同じ職員がいた。


「あのバッグの件ですね」


名前を言わなくても、

話は通じる。


職員は、

慣れた手つきで

ファイルを出した。


「本日が処分日です」


淡々としている。


「中身は、

 このあと分別されます」


俺は、

袋越しにバッグを見た。


夜行バスで見たときより、

少しだけ

くたびれて見える。


時間が、

触れた証拠だ。


「名札は?」


俺が聞くと、

職員は袋を少し傾けた。


中から、

紙片が見える。


黒く塗りつぶされた部分。

その下に、

うっすらと浮かぶ文字の形。


「これも、

 紙ですから可燃です」


「……処分の前に、

 中身を確認することは?」


「規定上、

 必要ありません」


必要ない。


それは、

誰にとっての必要なのか。


職員は、

もう一度だけ確認した。


「ご本人、

 またはご家族ではないですね」


「違います」


即答した。


この即答が、

どこか練習済みのように

感じられて、

少し気持ちが悪い。


「では、

 こちらで処理します」


職員は、

バッグを

「処分済み」の箱に入れた。


箱は、

思ったより小さい。


いくつも積まれていて、

中身は見えない。


それで終わりだ。


署名もない。

確認印もない。


俺は、

立ち尽くしたまま、

箱を見ていた。


そのとき、

箱の中から

小さな音がした。


カサ。


紙が擦れる音。


職員は気づかない。

あるいは、

気づかないふりをしている。


「処分は、

 このあとまとめて行います」


まとめて。


個別ではない。


夜行バスで起きたこと。

病院で消されたこと。

家で訂正されたこと。


すべて、

まとめて処理される。


俺は、

その場を離れた。


外に出ると、

空がやけに高かった。


何かが終わったはずなのに、

達成感はない。


むしろ、

一つの扉が

閉まった感じがした。


家に戻ると、

兄の部屋の前で足が止まった。


扉は閉まっている。

鍵はかかっていない。


中に入る理由はない。

だが、

入らない理由もない。


扉を開ける。


部屋は、

以前と変わらない。


だが、

机の引き出しが

一つだけ開いている。


中には、

何もない。


ただ、

底に紙の跡が残っている。


名札を

長く置いていたような

四角い跡。


兄の部屋に、

名札。


その組み合わせが、

今になって

現実味を帯びる。


俺は、

その跡を見つめながら

思った。


あのバッグの中身は、

兄の“外出用”だったのではないか。


夜行バス。

迎え。

21:30。


それらが、

ようやく一本につながる。


だが、

つながった瞬間、

物はすべて処分された。


証拠は、

残らない。


残るのは、

処理を見届けた

俺だけだ。


俺は、

何もしていない。


引き取らなかった。

止めなかった。

名乗り出なかった。


それでも、

この処分に

立ち会った。


その事実だけが、

胸に残る。


引き出しの跡を、

指でなぞる。


そこには、

確かに何かがあった。


そして、

今はない。


それが、

この章の

“解決”だった。


だが同時に、

兄が確かに

 存在していた証拠が、

 初めて具体的な形で

 現れた瞬間でもあった。


処分されたのは、

バッグだけではない。


兄の「外へ出る可能性」そのものが、

この日で終わった。


そう考えたとき、

俺は初めて

はっきりと理解した。


この家は、

事故で壊れたのではない。


維持するために、

 何かを消し続けてきた家だ。


そして、

次に消されるものが

何か。


それを、

俺はもう

知ってしまっている。


誤字脱字はお許しください。

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