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『破片のパズル』  作者: くろめがね


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21/28

第21話 保管期限

21話です

落とし物センターは、

人が何かを失ったあとの空気だけが集まる場所だ。


駅の裏手。

表通りから一本入った、

目立たない建物の一階。


看板は小さく、

入口は分かりづらい。

探して来る人間しか、

ここには用がない。


俺が来たのは、

自分でも理由をうまく説明できなかった。


夜行バスの忘れ物。

病院の名札。

保管期限。


それらの言葉が、

頭の中でつながってしまっただけだ。


受付のカウンターには、

年配の職員が一人座っている。


「いらっしゃいませ」


声は穏やかで、

感情の起伏が少ない。


「何をお探しですか」


「……探している、というほどじゃないんですが」


自分の言葉が曖昧なのは分かっていた。

だが、ここでは曖昧さが許される。


失くした物を、

正確に説明できる人間のほうが少ない。


「最近、

 夜行バスで忘れ物があったと聞いて」


職員は、

何も聞き返さずに頷いた。


端末を操作し、

一覧を表示する。


「路線と日付は分かりますか」


告げると、

職員は淡々と入力を続けた。


画面を見つめ、

少しだけ眉を動かす。


「……ありますね」


その言い方は、

「ありました」ではなかった。


「あります、

 が正しいです」


引き出しから、

薄いファイルを取り出す。


中には、

透明な袋がいくつも挟まっている。


水筒。

鍵。

帽子。

手袋。


そして、

黒い小さなバッグ。


見覚えがある。


「こちらです」


職員は、

淡々と袋を置いた。


「夜行バスの忘れ物として、

 回収されました」


「持ち主は……」


「いません」


即答だった。


「問い合わせも、

 引き取りもありませんでした」


バッグは、

袋の中で静かに横たわっている。


夜行バスで見たときと、

何も変わっていない。


「中身、

 確認してもいいですか」


俺がそう言うと、

職員は一瞬だけ考え、

頷いた。


「危険物はありませんので」


袋が開けられる。


水筒。

ハンカチ。

靴下。


それから、

名札。


名前の欄は、

黒く塗りつぶされている。


「……最初から、

 こうでしたか」


「ええ」


職員は、

迷いなく答えた。


「消された跡ではありません。

 塗られていました」


その言い方は、

第14話で見たものと同じだった。


「保管期限は、

 いつまでですか」


「今月いっぱいです」


今月いっぱい。


「それを過ぎると?」


「規定どおり、

 処分になります」


処分。


その言葉が、

軽く聞こえる。


物に対しては、

それでいい。


だが、

これは本当に

“物”だけなのか。


職員は、

袋のラベルを指で示した。


路線名。

日付。

回収場所。


それから、

備考欄。


「備考?」


「はい」


そこには、

短く書かれていた。


――同伴者不明。


同伴者。


病院で見た言葉だ。


「……このバッグ、

 誰が届けたんですか」


「清掃業者です」


職員は、

事実だけを返す。


「夜行バスの終点で、

 車内清掃の際に見つかりました」


「そのとき、

 座席は……」


俺は、

途中で言葉を切った。


職員は、

続きを待たない。


「空席でした」


即答だった。


「その席に、

 誰かが座っていたかどうかは、

 こちらでは分かりません」


分からない。

分からないことにする。


「ただ、

 忘れ物として回収された以上、

 扱いは一つです」


職員は、

淡々と続ける。


「保管し、

 期限が来たら、

 処分する」


「持ち主が名乗り出ても?」


「名札に名前がありません」


それで、

終わりだ。


名乗り出る方法が、

最初から用意されていない。


俺は、

バッグを見つめた。


夜行バスで、

空席の下にあったもの。


誰のものでもないとして、

ここまで流れてきた。


「……これ、

 引き取ることはできますか」


自分でも驚くほど、

自然に言葉が出た。


職員は、

初めて俺を見た。


「ご本人ですか」


「……いいえ」


「ご家族?」


一瞬、

兄の顔が浮かんだ。


「……違います」


職員は、

小さく頷いた。


「それでしたら、

 引き渡しはできません」


当然だ。


「ただし」


職員は、

一言だけ付け足した。


「保管期限を過ぎれば、

 処分されます」


「処分の方法は?」


「規定どおりです。

 可燃、不燃、

 内容によって分別します」


名札は、

紙だから可燃だろう。


黒く塗られた部分も、

一緒に燃える。


「……分かりました」


俺は、

それ以上聞かなかった。


聞けば、

もっと具体的になる。

具体的になれば、

現実になる。


現実になったら、

戻れない。


受付を離れ、

建物を出る。


外の空気は、

少し暖かかった。


落とし物センターは、

背後で静かに閉じる。


そこには、

まだ“処分されていない何か”が

残っている。


それは、

時間の問題だ。


歩きながら、

俺は考えていた。


もし、

兄がこのバッグを

探しに来たとしたら。


もし、

名札に名前が

書かれていたとしたら。


そうならなかった理由を、

俺はもう

「偶然」だとは思えない。


家に帰ると、

母が電話をしていた。


内容は聞こえない。

だが、

落とし物センターの

職員と同じ調子だ。


短く、

事実だけを並べている。


電話を切った母が、

俺を見る。


「どこ行ってたの?」


「駅」


それ以上、

聞かれない。


聞かれないことが、

この家の“正解”だ。


部屋に戻り、

引き出しを開ける。


透明な欠片を、

指でなぞる。


今度の欠片は、

少しだけ

“期限”を持っている気がした。


保管期限。


それは、

物に与えられるものだ。


だが、

人の記憶にも

期限があるとしたら。


この家は、

その期限を

管理している。


俺は、

それに気づき始めている。


そして、

気づいた以上、

次に起こることは一つだけだ。


誰かが、

 期限切れになる。


誤字脱字はお許しください。

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