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『破片のパズル』  作者: くろめがね


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19/28

第19話 身元不明

19話です

ニュースは、昼のローカル枠で短く流れた。


「昨夜、○○市内で倒れていた男性は、

 県外在住の会社員であることが確認されました。

 所持品の紛失により身元確認に時間がかかりましたが、

 命に別状はなく、事件性はないとのことです」


映像は、

交差点の一角を遠巻きに映しただけだった。


赤色灯はない。

規制線もない。

夜の出来事は、

朝の光の中で薄くなっている。


それで終わりだ。


救急車。

仮登録。

訂正。


すべてが、

「よくある話」として片づいた。


俺はテレビを消し、

リモコンをテーブルに置いた。


家の中は静かだった。

父は仕事。

母は買い物に出ている。


一人になると、

余計なことを考えずに済む。


だが、

今日は違った。


あの男は、

俺の家族とは無関係だった。


病院も、

そう結論づけた。


それなのに、

胸の奥の違和感だけが、

消えない。


昼過ぎ、

病院からもう一度電話が来た。


今度は、

地域連携室ではなく、

医事課だと言った。


『昨日の件で、

 最終的な処理が完了しましたので、

 念のためご連絡を』


最終処理。


その言葉は、

「もう触れるな」と言われているのと同じだった。


『仮登録はすでに抹消されています。

 誤って紐づいた個人情報も、

 すべて切り離しました』


切り離す。


『今回の身元不明者は、

 別件として処理されていますので、

 ご安心ください』


安心。


俺は、

「はい」とだけ答えた。


電話が切れる。


それで、

この件は終わった。


終わったはずなのに、

終わった感じがしない。


理由は、

一つだけだ。


病院が切り離したのは、

「身元不明の男」と俺の家族だ。


だが、

切り離されなかったものがある。


俺自身の、

過去の記録。


夕方、

母が帰ってきた。


袋を置き、

手を洗い、

いつもの動き。


「そういえば、

 この前言ってた病院、

 もう大丈夫だった?」


軽い聞き方だ。

心配しているようにも、

興味がないようにも取れる。


「うん。

 確認だけ」


「なら、よかった」


母は、

それ以上聞かない。


俺は、

あえて言った。


「昔の救急の記録、

 見せられた」


母の手が、

一瞬だけ止まった。


ほんの一瞬。

だが、

確実に。


「そう」


母は、

すぐに動きを再開する。


「懐かしいね。

 熱、すごかったでしょ」


懐かしい、

という言葉の使い方が、

少し早い。


「同伴者欄、

 消されてた」


そう言うと、

母は包丁を置いた。


音を立てない置き方だった。


「病院のミスじゃない?」


即答だった。


考える時間がない。

つまり、

考える必要がなかった。


「父さんが連れて行ったって、

 覚えてる?」


俺が聞く。


母は、

少しだけ首を傾けた。


「そうよ。

 あなた、夜中に急に」


その言葉は、

途中で止まらなかった。


よく練られている。

何度も話したことがある内容だ。


「兄は?」


俺は、

言ってから後悔した。


母は、

こちらを見なかった。


「寝てたんじゃない?」


即答だった。


だが、

その声には、

微妙な遅れがあった。


一拍分。


母は、

その一拍を埋めるように、

続けた。


「あなたたち、

 年が近かったからね。

 夜は一緒に寝てたでしょう」


それは、

事実でもあり、

事実でない。


俺は、

それ以上聞かなかった。


聞けば、

もう一つ嘘が重なる。


母は、

嘘をつくこと自体に

抵抗がないようだった。


嘘をついている、

という自覚がない。


それが、

一番厄介だ。


夜、

父が帰ってきた。


食事をしながら、

俺は同じ話を振った。


父の反応は、

母とは違った。


「昔の話だろ」


それだけだった。


「病院の記録なんて、

 あてにならない」


病院という言葉を、

雑に扱う。


それは、

触れられたくない証拠だ。


「兄は、

 その夜どうしてた?」


俺が聞くと、

父は箸を止めた。


「……何で、

 今さらそんなこと聞く」


その問い返しが、

答えだった。


父は、

記憶を訂正しない。


削除する。


話題ごと、

終わらせる。


母は嘘をつく。

父は話を切る。


二人の役割が、

はっきりしている。


その夜、

自分の部屋で、

救急記録のコピーを広げた。


同伴者欄の空白。

消しゴムの跡。


その上に、

透明な欠片を置く。


ぴたり、と合う。


削除された部分の形と、

欠片の輪郭が、

一致している。


偶然ではない。


これは、

元々そこにあったものだ。


誰かの名前。

誰かの立場。


それが、

“不要”として消された。


そして、

消した側は、

今もそのやり方を続けている。


夜行バス。

病院。

家。


場所は違っても、

処理の手順は同じだ。


数を合わせる。

記録を整える。

余分なものを切り離す。


俺は、

その処理の中で、

「知らない役」を与えられている。


何も知らない弟。

何も見ていない子ども。


だが、

何も知らないこと自体が、

誰かの作業の成果だ。


テレビをつけると、

さっきのニュースが

別の言葉で繰り返されていた。


「身元は確認されました」


確認。


その言葉は、

誰の安心のためのものなのか。


俺はテレビを消し、

部屋の明かりを落とした。


暗闇の中で、

欠片だけが、

わずかに光を返す。


身元不明だった男は、

もう身元不明ではない。


だが、

俺の過去の一部は、

まだ身元不明のままだ。


そしてそれは、

この家の中で、

意図的にそうされている。


この章の終わりが、

近づいている。


そう感じた。


次は、

誰の嘘が

“確定”するのか。


それを考えながら、

俺は欠片を引き出しにしまった。


処理されたものと、

処理されなかったもの。


その境目が、

ようやく見え始めていた。


誤字脱字はお許しください。

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