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『破片のパズル』  作者: くろめがね


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18/28

第18話 照合

18話です

病院からの電話は、夕方にかかってきた。


知らない番号だった。

一瞬、出るのをためらったが、

そのまま鳴らし続ける理由もなかった。


「はい」


『○○病院、地域連携室です』


救急受付でも、外来でもない部署名だった。

声は落ち着いていて、

事務的だが、硬すぎない。


『昨日お越しいただいた件で、

 少し確認させていただきたいことがありまして』


確認。


その言葉を聞いた瞬間、

昨日の救急受付の光景が頭に浮かんだ。


仮登録。

訂正。

消された名前。


『ご本人確認のため、

 一度来院いただくことは可能でしょうか』


断る理由は、思いつかなかった。

行けば終わる。

そういう種類の呼び出しに聞こえた。


病院に着いたのは、

外来がほぼ終わった時間だった。


待合は空いている。

昼間のざわめきが、

きれいに片づけられた後の空間。


受付の職員に名前を告げると、

すぐに奥へ案内された。


通されたのは、

診察室ではなく、

事務用の小さな部屋だった。


机と椅子。

端末。

ファイル棚。


医療の匂いが、

ほとんどしない。


「お待たせしました」


中年の女性職員が、

一枚の紙を差し出した。


「こちら、過去の救急受診記録です」


日付は、

十年以上前。


俺が、まだ子どもだった頃。


「この記録について、

 照合が必要になりまして」


照合。


昨日から、

何度も聞いている言葉だ。


紙には、

俺の名前と生年月日が印字されている。


間違いない。

確かに、俺だ。


「当時、夜間に救急受診されています」


そう言われて、

記憶の底が少しだけ揺れた。


熱を出した夜。

車の中。

病院の白い光。


断片的な映像はある。

だが、

順番がつながらない。


「このとき、

 同伴者の記載がありました」


職員は、

指で紙の一部を示した。


同伴者欄。


そこは、

空白になっている。


正確には、

空白にされた跡がある。


紙が、

不自然に毛羽立っている。

消しゴムで、

強くこすった痕。


「……ここ、消されてますね」


俺がそう言うと、

職員はうなずいた。


「はい。

 当時、訂正の申し出があったようで」


申し出。


誰が、

何を訂正したのか。


「記録上は、

 “保護者の希望により修正”とだけ残っています」


理由は、

書かれていない。


書く欄が、

存在しない。


職員は、

別の紙も出した。


修正履歴の控えだ。


日付。

時間。

担当者名。


そして、

「修正内容:同伴者欄削除」。


削除。


訂正ではなく、

削除。


「同伴者が間違っていた、

 ということでしょうか」


俺は聞いた。


職員は、

一瞬だけ言葉を選ぶように間を置いた。


「医療記録では、

 “必要でない情報”が削除されることはあります」


必要でない。


誰にとって、

必要でないのか。


「当時、

 お父様かお母様が

 付き添われたと記憶されていますか」


父か母。


その二択は、

自然すぎた。


「……父だと思います」


そう答えた瞬間、

胸の奥に、

小さな違和感が生まれた。


本当にそうだったか。


父の背中は、

思い出せる。


だが、

父の隣に、

誰かいなかったか。


職員は、

それ以上踏み込まなかった。


「いずれにしても、

 現在の記録に問題はありません」


そう言って、

紙を揃える。


「今回の救急搬送の方とは、

 無関係であることも確認できました」


無関係。


その言葉で、

すべてが片づく。


「仮登録が走ったのは、

 連絡先の一部が偶然一致したためです。

 すでに訂正されています」


訂正。

削除。

処理済み。


一連の流れが、

綺麗すぎるほど整っている。


「何か、

 ご不明点はありますか」


職員は、

本当に“不明点”があるとは思っていない顔で聞いた。


俺は、

首を振った。


ここで質問しても、

答えは出ない。


答えは、

この部屋の外にある。


病院を出ると、

夕方の空気が、少し冷たかった。


昼と夜の境目。

物事が、

どちらにも転びうる時間帯。


歩きながら、

子どもの頃の夜を思い出そうとした。


救急車のサイレン。

それとも、

父の車のエンジン音。


どちらだったか、

分からない。


だが、

一つだけ確かなことがある。


「同伴者欄が削除された」という事実。


誰かが、

あの夜、

俺と一緒にいた。


だが、

その存在は、

“必要でない情報”として消された。


家に帰ると、

母が台所にいた。


「病院、どうだった?」


声は、

いつも通りだ。


「昔の記録の確認」


「へえ」


それだけ。


母は、

包丁を動かし続ける。


父は、

リビングでテレビを見ている。


二人とも、

俺の話に興味を示さない。


それが、

答えのように思えた。


自分の部屋に戻り、

机に座る。


ポケットから、

透明な欠片を出した。


前より、

少し大きい。


薄い。

角にフィルム。


欠片を、

救急記録のコピーの上に置く。


紙の毛羽立ちと、

欠片の縁が、

ぴたりと合う。


まるで、

そこにあったものが、

抜き取られた後のように。


同伴者欄。


そこに、

誰の名前があったのか。


兄か。

母か。

それとも、

俺自身が知らない誰かか。


欠片は、

何も答えない。


ただ、

「削除された形」だけを、

正確になぞっている。


その夜、

俺は久しぶりに夢を見た。


病院の廊下。

白い光。

手を引かれている。


誰の手か、

分からない。


ただ、

その手が、

途中で離されたことだけは、

はっきり覚えていた。


誤字脱字はお許しください。

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