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『破片のパズル』  作者: くろめがね


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第13話 夜中の確認

13話です

夜行バスは、深夜二時前後で一度だけ止まる。


サービスエリアでの休憩だ。

形式的なものに近い。

降りる者は少なく、ほとんどの乗客はそのまま座席に残る。


ブレーキがかかり、

振動が止まった瞬間、

車内の空気が少しだけ緩んだ。


同時に、車内灯が点いた。


白い光が、

座席の列を均一に照らす。


運転手が通路に立つ。


「お休みのところ、失礼します」


声は低く、

起こさないための声だった。


名簿は持っていない。

クリップボードもない。

ポケットにも何も入れていない。


それが、

妙に気になった。


運転手は、

一人ずつ顔を見る。


声をかけない。

返事も求めない。

ただ、目で確認している。


俺の前の列。

後ろの列。

左右の席。


一人分ずつ、

「そこにいる」ことだけを確かめる。


人数確認というより、

存在確認に近い。


空席の前で、

運転手の足が止まった。


ほんの一瞬だった。

だが、はっきりと分かった。


通路に対して、

身体の向きが変わらない。

声も出ない。


ただ、

立ち止まった。


何かを見落とした人間が、

視線を戻すときの止まり方だった。


だが、運転手は何も言わず、

そのまま次の席へ進んだ。


確認は、

それで終わった。


車内灯が落ちる。

再び、暗闇。


バスはサービスエリアを出て、

夜の高速に戻る。


誰も、

今の確認について話さない。


俺は目を閉じたまま、

その光景を繰り返していた。


名簿を使わない確認。

数を数えない確認。


「一人分、多い」という言葉が、

頭の中で再生される。


数が合わない。

だが、それを直そうとしない。


修正するのではなく、

見なかったことにする。


それが、

今の確認の目的だったように思えた。


目を閉じているのに、

空席の輪郭が分かる。


暗い車内で、

そこだけが微妙に浮いている。


誰も座らない。

誰も近づかない。

誰も数に入れない。


それでも、

消えない。


俺は、

昔のことを思い出そうとしていた。


兄と一緒に夜、出かけた記憶。

バスだったのか、車だったのか。

どこへ行ったのか。


父の背中。

母の声。


場面は浮かぶのに、

順番がつながらない。


必ず、

「誰がいたか」というところで切れる。


そこに兄がいたのか。

それとも、兄の隣に別の誰かがいたのか。


思い出そうとすると、

胸の奥が鈍くなる。


思い出さないほうがいい、

という感覚だけが先に立つ。


バスは一定の速度で走っている。

窓の外は、

暗さが均一すぎて、

距離感が消える。


その均一さが、

空席と似ていた。


すべての座席が、

同じ形をしている。

同じ向きで並んでいる。


だからこそ、

一つだけ違う状態があると、

すぐに分かる。


空席は、

違っている。


違っているのに、

修正されない。


それが、

この夜行バスの「決まり」になっている。


俺は、

ふと考えた。


もし、

あの席に誰かが座っていたら。


途中で降りたのだろうか。

それとも、

最初から降ろされたのだろうか。


降ろされた、

という言葉が浮かび、

すぐに消した。


降ろす理由がない。

ここは夜行バスだ。

規則はある。

手続きもある。


理由のないことは、起きない。


起きないはずなのに、

空席はある。


サービスエリアを出てから、

しばらくして、

車内のどこかで小さな音がした。


カサ、と。


紙が擦れる音。


誰かが荷物を動かしたのかもしれない。

だが、音は空席のほうから聞こえた。


俺は目を開け、

そっと視線を向ける。


暗闇の中、

空席の下がわずかに明るい。


非常灯の反射だ。


その光に照らされて、

紙の端が見えた。


小さな紙片。

角が丸く、

薄いフィルムが貼られている。


名札だ。


名前を書くための紙。

だが、

名前の部分は黒く塗られている。


消したのではない。

最初から、

塗られている。


なぜ、

名前を書く場所を隠す必要がある。


その疑問が浮かんだ瞬間、

俺は視線を戻した。


見続けるべきではない。

そういう判断が、

即座に下った。


ここで確認する役目は、

俺にはない。


確認する人は、

すでに通り過ぎた。


名簿を持たない運転手。

数を数えない確認。


それが終わった以上、

この件は「処理済み」なのだ。


俺は、

自分が少し安心していることに気づいた。


理由が分からない異常が、

誰かの手で扱われた。


扱われた結果、

何も変わらなかった。


それが、

最も安全な形だ。


人は、

説明よりも、

「扱われた」という事実で安心する。


夜行バスの中では、

特にそうだ。


動かない空席。

塗りつぶされた名札。

誰も触れない。


それらが、

「このままでいい」という合意を作っている。


俺は目を閉じた。


眠れる気はしなかったが、

起きている理由もなかった。


空席は、

夜の中でじっとしている。


誰にも数えられず、

誰にも呼ばれず。


それでも、

消えない。


その感触だけを残して、

夜行バスは走り続けていた。


誤字脱字はお許しください。

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