表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『破片のパズル』  作者: くろめがね


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/28

第10話 迎えられなかったもの

10話です。

家に戻ると、

玄関の棚の上に、古いメモ帳が一冊置いてあるのに気づいた。


見覚えのある表紙だった。

何年も前から電話の横に置かれていたものだ。


父がよく使っていた。

出前の番号や、取引先の会社名や、

近所の人の連絡先などを書きつけていた。


いつからか、誰も開かなくなった。


今日は、なぜか棚のいちばん手前に出ている。


コートを掛ける前に、

つい手に取ってしまった。


一枚目、二枚目は、

よくあるメモで埋まっていた。


「クリーニング」「法律相談」「○○医院」

母の字も混ざっている。


三枚目をめくったとき、

視線が止まった。


「迎え 21:30」


ボールペンでそう書かれている行があった。

その横に、団地の名前。

さらにその下に、部屋番号。


今日見てきたインターホンの数字と、同じ並びだった。


名前の欄には、

鉛筆で何か書かれた跡がある。

消しゴムで強くこすられたのか、

そこだけ紙が薄くなっていた。


端だけ、かろうじて残っている線があった。


「こ」から始まる曲線。


そこから先の部分を、

目が自動的に読み取ろうとした瞬間、

頭の奥に鈍い痛みが走った。


ページを閉じる。


閉じた表紙の上に、

ポケットから出した透明な欠片を置く。


欠片の角には、

細いフィルムが貼られている。

何かから剥がされたような、

中途半端な形。


タクシー会社のメモ。

団地のポストのテープ。

バスの忘れ物箱の写真。

家のアルバムの抜けたページ。


似たような素材が、

違う場所で少しずつ増えていく。


父がこのメモ帳に「迎え」と書いた日のことを、

かすかに思い出す。


警察が家に来た夜だったかもしれない。

兄の名前を呼ぶ声と、

母が台所で何かを落とす音がした日。


誰を迎えに行くはずだったのか。

迎えに行って、

ちゃんと会えたのか。


あるいは、

その前に全部が終わってしまったのか。


父は結局、タクシーを呼ばなかった。

電話線を抜く音だけが、やけに鮮明だった。


メモだけが残り、

消されずにページの間に挟まっている。


タクシー会社の古いデータと同じように。


迎えられなかったものたちが、

いろいろな場所で「破片」になっている。


それが、

バスの座席の下や、

タクシーのシートポケットや、

団地のポストや、

家のアルバムの中で少しずつ見つかっていく。


俺が見つけているのか、

向こうから寄ってきているのか、

その区別もよく分からない。


メモ帳を棚に戻し、

欠片だけを机の上に残した。


照明を落とすと、

透明な板の縁が、

ごくわずかに光を返した。


バスの中の小さな写真騒ぎも、

タクシーの迎えの空振りも、

表向きの話としてはとっくに片がついている。


それでも、

どこかでまだ呼び出され続けている名前がある。


そう思うと、

玄関のほうの暗がりが、

少しだけ深く見えた。


それが何を迎え入れようとしているのかを、

この時の俺は、まだ知らなかった。


誤字脱字はお許しください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ