第1話 座席の下で光ったもの
第一話です。
バスに乗ったとき、足元で何かが光った。
乗り口から二歩目あたり、通路の縁。
靴の先で軽く触れると、それは座席の下をすっと滑っていった。
蛍光灯の白い光を一度だけ拾い、すぐに影に紛れる。
空いている席に腰をおろしてから、こっそり足を伸ばした。
靴のつま先で引き寄せ、手を伸ばしてつまみ上げる。
爪くらいの大きさの、透明な欠片だった。
角が白く濁っている。
片面にだけ薄いフィルムが貼られていて、その端が少しめくれている。
指で押すと、かすかにしなるが、割れそうにはない。
写真の表面を覆う保護シートに似ている。
ただ、少し硬い。
「……ゴミ、かな」
小さくつぶやいて、手のひらの上でひっくり返した。
通路を挟んだ反対側では、小学生くらいの男の子が窓の外を見ていた。
隣には母親らしい女の人。
男の子の膝には、小さなアルバムが乗っている。
ページをめくっては止まり、また戻る。
男の子は何度も同じところを見ているようだった。
母親はスマホを持ったまま、前方を見ている。
子どもの話を聞いているのかいないのか、判断しづらい顔だった。
バスが発車する。
エンジンの振動が、床と座席を通して伝わってくる。
冬の夜で、窓はうっすら曇っている。
俺は手の中の欠片を、座席と窓の隙間に立てかけた。
わざわざ持ち帰る理由もないし、足元に落として割るのも気が引けた。
視線を前に戻すと、アルバムのページが目に入る。
透明なポケットが三つ横に並び、そのうち二つに写真が入っている。
真ん中だけが空だった。
子どもの手が、そこを何度も押す。
「ここにあったよね」
男の子が言った。
母親は、視線だけアルバムに落とした。
「何が?」
「ママの写真。ここ。
ほら、この服のやつ」
男の子は、自分の肩のあたりを指で叩いた。
見慣れた絵をなぞるみたいな動きだ。
母親はアルバムを少し近づけ、
透明ポケットの空白を見た。
「そんなのあったっけ」
「あったよ。さっきまで」
「さっきって、家で?」
「うん。これ持ってくるとき」
男の子は、言いながら首をかしげた。
自分の記憶を確かめているような表情だった。
母親は肩をすくめた。
「入れ忘れたんでしょ」
「入れたよ。ちゃんと。
だって、ここに“四人”いたもん」
四人――という言葉に、少しだけ引っかかった。
アルバムのほかのページを見ても、写っているのは三人家族ばかりだ。
母親と男の子、それから父親らしい男。
構図も場所も変わるが、人数は同じだ。
四人目の姿だけが、どこにもない。
うちも昔、写真が多い家だった。
壁に飾られるほどではないが、アルバムだけやたらと増えていくタイプの。
ページをめくるたびに、「三人家族」の写真が続いた。
……三人だったはずだ。
バスが大きく揺れた。
座席の下で小さな音がする。
さっき立てかけた欠片が、また動いたのかもしれない。
男の子の声が少し大きくなる。
「入れ忘れてないって。
だって、ママが“この写真きらい”って言ったもん」
母親がわずかに顔をしかめた。
「そんなこと言ってない」
「言ったよ。
“目つきがいやだ”って」
母親は前を向いたまま小さく吐息を洩らした。
「……大きい声出さないの。
ないならないでいいでしょ」
それで会話は途切れた。
男の子はアルバムを抱きしめるようにして、
真ん中の空ポケットをじっと見つめていた。
俺の指先には、
なぜか写真の紙の感触が蘇っていた。
少し厚めの印画紙。
角に貼られたフィルム。
年々、角が丸くなっていく家族写真。
一枚だけ、ページから抜かれたままになっていた写真のことを、
ふと思い出した。
それが何の写真だったのか、
どんな場面が写っていたのか、
もうよく思い出せない。
ただ、「抜かれたまま」だったことだけは、はっきり覚えている。
バスは何事もなく走っている。
車内も静かで、事件と言えるほどのことは起きていない。
それでも、
真ん中の空白と、座席の下の透明な欠片だけが、
妙に目について離れなかった。
誤字脱字はお許しください。




