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私、山家の偏見ー歴史エッセイ

史記の記載は何処まで歴史書と言えるのか、そういった辺りを考えます

作者: 山家

 多くの方から反感を買いそうなタイトルですが。

 改めて、そんなことを先日、読んだ「後宮」という新書から考えてしまいました。


 その著者の方が書かれているのですが、史記もその中に含まれますが、中国史の中の二十四史の一つ、明史の記載の精確性については、複数の個所でどうにも疑問があるとのことです。

 例えば、明の悪女として名高い万貴妃の様々な悪行の典拠を探していくと、それこそ本人の死後、90年近く経った後の老人一人からの聞き書きだけしかなく、同時代の資料は典拠としては皆無だとか。


 それこそ、1930年代に亡くなった人の悪行について、2025年現在の人一人の言葉から断罪してしまうのは、無茶苦茶だ、と考えるのは私だけでしょうか?

 更に言えば、同時代の人の言葉、証言にしても、一人だけでは、どれだけ信用できるでしょうか?


 それこそ現在進行中で、此処に書くのには相応しくない気がしますが。

 ネットの書き込み一つから、この人はこういった悪行をするような酷い悪人だった、とされては。

 複数の証拠等から、悪人だったか否か、を判断すべき、と反論されるのが当然ではないでしょうか。 


 更に言えば、織田信長や豊臣秀吉を始めとする明史における日本の叙述ですが、少しネット検索していただければ分かりますが、豊臣秀吉は薩摩の奴隷階級出身で、織田信長は関白だったとか、何処が精確な記載なのだ、と喚きたくなるような叙述があるのです。


 それでも、明史は中国の史書、史記を始めとする、いわゆる二十四史の中では最高峰の精確性を誇る、という評価が基本的に為されている、というのを読んでは、中国史の歴史書は何処まで精確なのか、歴史小説レベルでは、と私は喚きたくなります。


 話が少なからず変わりますが、それこそ歴史書において、史実として描かれていることについて、それなりに裏取りをしてみると、史実とは言い難いのでは、それこそ怪しい根拠に基づくことでは、ということがそれなりに出て来ることがあります。


 こういった辺り、歴史書という二次史料である以上は、ある程度は止むを得ないことで。

 更には筆者によって、何処まで一次史料を集めた上で、叙述したのか。

 筆者にしてみれば、自分なりに努力した上で、叙述したのだろうが。

 そうは言っても、余りにも一次史料とは食い違い過ぎでは、と私は考えることが稀ではありません。


 そんなことから考える程に、例えば、史記の叙述について、何処まで精確な史実と言えるのだろうか、歴史書を名乗ってはいるが、極論を言えばですが、歴史小説と言われても、止むを得ないのではないか、という疑念が、私の中では浮かんでなりません。


 少なからず違う書籍になり、私自身が布団を被ってしまう話ですが。

 塩野七生氏の「ローマ人の物語」という書籍があります。

 これについて、私は歴史書と以前は考えていましたが。

 実は完全な歴史小説で、所々不正確な叙述があるとか。

 

 そんな感じで、史記にしても、本当に史実なのか、歴史書と言えるのか、極論を言えばだが、歴史小説ではないか、と疑いたくなる話があります。

 例えば、蘇秦と張儀については、明らかに誤っているというのが、戦国縦横家書を典拠にして、通説化しつつあるとか。

 他にも始皇帝の遺言とか、史記では真実とされていますが、その場には、胡亥と趙高、李斯の3人しかいなかった筈なのに、始皇帝の遺言の偽造が何故に世間に広まる事態が起きたのか、と私は考えます。


 そういったことを考える程に、司馬遷が史実を精確に遺そうと頑張ったのは事実だが、史記が本当に歴史書といえるのか、極論を言えば、歴史小説と言われても仕方ないのではないか、という考えが私は浮かんでなりません。 

 念のために申し上げますが、中国の二十四史の著者、司馬遷を始めとする面々が、懸命に史実を遺そうとしたのは否定しません。

 とはいえ、その内容を読む限り、本当に史実なのか、歴史小説では無いか等、余りにも酷い気が私はしてならないのです。


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― 新着の感想 ―
>塩野七生氏の「ローマ人の物語」 塩野先生は、好きな人はヨイショして美化しますからね。それは小説家の性(さが)ですから。でも、城山三郎先生の無茶苦茶ヨイショして美化よりは遥かに客観的であると思います…
歴史は別に事実の羅列じゃないからなぁ、歴史書は「過去の出来事を整理し、意味を与える営み」であり、単なる記録ではなく「物語化された過去」であるのは確かかと。 なればこそ、読むときは「史実」と「著者の意…
2025/11/20 07:50 教訓さんざー
 (^皿^;)本家の中国どころか朝鮮ベトナムそして日本すら自国の歴史を測る最高の測距儀(スケール)として扱われている二十四史への挑戦的な疑義申し立てのようなエッセイ、基本「前代王朝が滅びてから記される…
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