意志と力
ヴォルテールは、床に倒れ伏した柊さんの襟首を掴み、そのまま軽々と担ぎ上げた。
まるで荷物のように。
「柊さん……!」
私は鉄柵に駆け寄る。
だが、柵は動かない。
叩いても、叫んでも、白い空間は何も返さなかった。
柊さんの身体は、だらりと力を失っている。
意識は、もうない。
ヴォルテールは一度だけ、こちらを見た。
「死んじゃいねぇ。…だが、これ以上は持たねぇな」
それだけ告げると、背を向ける。
白い壁に穿たれたような、黒い通路が見える。
隔絶された、冷たい道。
「待って…!」
ヴォルテールはそれ以上何も言わず、その背が闇に溶けていく。
壁は何事もなかったかのように塞がる。
そして、私の声は閉じた壁に吸い込まれただけだった。
もう、柊さんはいない。
残されたのは、焦げ跡と、血の跡と、そしてーー私たちだけ。
ギゴコゴゴ…と音を立てながら鉄柵が床に沈んでいく。
動作音が収まり、最初にここに入った時のように、白く、静寂の支配する空間が再び目の前を支配する。
「……クソだな」
燈ちゃんが吐き捨てるように言う。
雷蔵君は歯を食いしばり、拳を握ったまま動けずにいた。
こはるは口元を押さえ、必死に呼吸を整えている。
その中で、葵君だけが、すぐに視線を動かしていた。
床。
鉄柵。
閉じた壁。
そして、空間の奥。
「…来る」
いつもよりも更に落ち着いたトーン、低い声だった。
「はぁ?何がだよ」
燈ちゃんが苛立たしげに振り向く。
葵君は、白い空間を睨んだまま続ける。
「この裁定続行が、だよ。柊さんが連れて行かれた時点で、ここはもう戦場じゃない」
私は、胸がひやりとした。
(まさか……)
その直後だった。
白い空間に、鏡心の無慈悲な声が落ちる。
『最終審査を継続する』
葵君は一度、目を閉じた。
『柊紅華は裁定により退場、クロエ03は回収済、残存候補生により、審査は成立している』
「……っざけんな!」
燈ちゃんが苛立ちを全く隠さない声で低く唸る。
「あいつらが連れて行かれた直後だぞ…!」
『感情は評価の対象外だ』
鏡心の声は、あまりにも平坦だった。
『最終審査は、個体の生死や離脱によって停止しない』
雷蔵君が拳を握りしめ、一歩前に出る。
「柊は……あいつは、どうなるがよ…!」
『質問は受け付けない』
その瞬間、葵君も一歩、前に出た。
「聞きたいことが、ある…っ!」
冷静だった。だが、その声は硬い。
「退場、と言うのは禊処理じゃない。つまり、柊さんは生存前提で管理側に移された。ーーそういう解釈でいいんだよな?」
一瞬の沈黙。
『……肯定しよう』
その一言で、空気がわずかに動いた。
雷蔵君が息を吐く。
こはるの肩が、少しだけ下がる。
完全な安心じゃない。でも、終わりでもない。
葵君は、そこで初めて私達に振り返った。
「…皆、ここで感情に引きずられて止まれば、柊さんは只の"裁定妨害者"で終わってしまう」
燈ちゃんが唇を噛みながら葵君に突っかかる。
「じゃあ、どうすりゃいい!」
迷いの一切感じられない声色で、葵君ははっきりと宣言する。
「進む。そして最終裁定まで行って、僕達は発言権を取るんだ」
その言葉が、胸に落ちる。
(発言権……)
ただ生き残るだけじゃない。ここで"言える立場"になる…?
「…進めば、取り戻せる可能性がある」
葵君はそう言って、私たちの顔を順に見る。
「葛城さん。君が最後に立ってさえいれば、裁定は覆せないまでも、かなりの条件は引き出せる筈だ」
私は、床に落ちた鉄扇から目を離し、前を見る。
「つまり僕達は何があっても最後まで続けなければならない」
「そう、何があっても、だ」
怖い。
悔しい。
怒りも、ある。
それでも。
「…行こう」
自分の声が、はっきり響いた。
「柊さんが残してくれた時間、無駄にしたくない」
こはるが小さく頷く。
「……うん。まだ、終わってない」
雷蔵君が、深く息を吸う。
「生きて戻るがよ。それが、一番の答えやき!」
燈ちゃんが肩を回し、短く笑った。
「上等。ここまで来たんだ、最後まで全開で突っ走ろうぜ!」
白い空間の奥で、次の扉が静かに開き始める。
『最終審査・最終裁定フェーズ、評定を行う』
無情な宣告。
私は一度だけ、振り返った。柊さんが消えた場所を。
(……必ず、取り戻す)
鉄扇を拾い上げ握りしめる。
胸の中で誓い、私は仲間たちと共に、前へ進む。
ーーまだ、終わっていない




