乱戦
雷は止み、闘技場に静けさが戻った。
私はレンチを握り直す。
右手の奥に、さっき鏡柱を噛ませた余韻がまだ残っている。
『残り150秒』
アイの澄んだ声がカウントダウンを告げる。
「何のカウントダウンだ…?調停は受理されたって…?」
葵君が怪訝な表情で天井を見渡す。
雷蔵君が鉄パイプを構えながらそれに返す。
「よく分からんが、時間が無いっちゅうことだけは分かりゆうき」
ヴォルテールの肩の光は消え、切り返しにわずかな間が生まれていた。
「…分からないわ、だけど…やれることはひとつね」
私はレンチを握り、皆を見る。
「アイツをぶっ倒しゃ、全部オッケーだろ!」
燈ちゃんが先行する。
カモシカの様に床を疾走し、電磁ナイフで右肩の継ぎ目を浅く切り、返しで膝を払う。
「むぅ…?!」
ヴォルテールの動きは鈍く、燈ちゃんの動きについていけない。
柊さんが低い姿勢から鉄扇の縁で肘裏の帯を断ち、反撃の角度を奪う。
そこに合わせてクロエちゃんが正面から銀扇をちらし、ダガーで手首の留め具だけを正確に外す。
「ふんっ!小賢しい真似をっ!」
ヴォルテールが両腕を交差させ、防御姿勢を取る。
雷蔵君は左腕一本で鉄パイプを振り、体当たりで押し戻す。
私は装甲の“遊び”とストラップだけを狙い、レンチで短く叩いて固定を落とす。
葵君とこはるは背後で拍とタイミングを配る。
「二で入って三で離脱」
全員が呼吸を合わせる。
巨体が半歩下がる。壁まであと数歩。
ボコボコ…
そのとき、足元の水路のから薬品の匂いが強く混じる。
水面が揺れ、青い液が濃くなる。溝という溝にE.V.F.が満ちていく。
「全く…電気が無いと貴方は本当に愚鈍ですね」
闇から、黒いフードとガスマスクが姿を見せた。
ゾンメルだ。
「ああん?」
ヴォルテールの怒気が混じった返事には何も返さず、ヴォルテールが前に進む。
背中のスーツが割れ、細い触手が何本も伸びる。
左右に分かれ、私たちはゾンメル達から距離を取る。
追ってきた触手の一本を、柊さんがことも無く鉄扇で薙ぎ切る。
しかし切断面からE.V.F.を吸収し、すぐに形が戻る。
「…またか…、しかも再生力が前回よりも上がっている…?」
葵君が呟く。
「素材は潤えば伸びる。レプリカント・ドールズ、起動だ…」
ゾンメルが両掌を下に向け、腕を水平に振るう。
直後、白いワンピースの小さな影が水路から次々に這い上がってくる。
目のない顔、裂けた口。
子供たちは培養液を滴らせながら、刃物を握り散開する。
『残り110秒』
アイのアナウンスが闘技場に響いていた。
---
私たちはヒットアンドアウェイで押し返しを続ける。
だが、培養液の液面が徐々に上昇し、足場はもう“海”の様な状態だった。
燈ちゃんは深追いせず、関節の返しだけを止める斬撃に徹する。
蹴りは踏み替えの瞬間だけ。
柊さんは返しの衝撃の「縫い目」を切り、間合いを空ける。
クロエちゃんは手首と肩の可動角を狭める一撃だけを選び、短い硬直を作る。
雷蔵君はパイプで肋板を打ち、体でラインを押し上げる。
左肩に負荷がかかっても下がらない。
私は面のストラップと手首の留め具を落とし、視界と握力を削る。
ヒンジには触れない。
葵君は格子の局所遮断を短く入れて安全窓を作り、こはるが拍を重ねて全員の出入りを揃える。
ヴォルテールの切り返しは確かに遅くなっている。壁際に寄せられる。
しかし、ドールズは倒してもすぐ立ち、互いを取り込み、数が崩れない。
ゾンメルは距離を取りながら触手による牽制に終始している。
切っても潰しても、触手はE.V.F.により再生する。
深く斬れば再生が遅いが、その分ヴォルテールや子供たちの攻撃も重なり、こちらも攻撃を食らってしまう。
だから浅く抑える。しかし抑えれば、私たちが前に出る速度も落ちる。
『残り90秒』
アイによるカウントダウンが減っていく。
拍は保てているのに、輪の外側がジリジリと少しずつ圧を増す。
ドールズが五体、十体と層を作り、触手が上と横から角度をずらして迫る。
雷蔵君の押しに私が重ね、柊さんと燈ちゃんが左右の足を止め、クロエちゃんも中央で可動を封じる。
押してはいるーーだが、謎の余白が削れていく感覚に、私達には焦りの色が出始めていた。
私はレンチで面の下辺を押さえ、視界をさらに狭める。
ヴォルテールの拳はまだ重い。けれど、一撃で全てが崩れる感じはもうない。
それでも、足元の水は増え続け、外周の白い影は途切れない。
ゾンメルは距離を置いたまま見ている。ガスマスクの奥の視線は動かない。
E.V.F.の光が溝を走り、足裏に冷たい膜がまとわりつく。
『残り80秒』
拍は続く。
押し込みは続ける。
けれど、海は広がる。
じわじわと、輪の直径が縮むのが分かった。




